第104話 アフィリエイト呪文ブログ 下

 昼休憩に入った食堂は少しがらんとしていた。

 四人掛けの席には中居さつきをはじめとする女子社員全員が揃っている。

 三十人ほどの社内で女性はこれだけ。

 部署が違うメンバーもいるが、昼食は女性全員で取るのがなんとなくの習わしになっていた。

 食事時の当たり障りのない世間話も、毎日顔を合わせるとなると、途切れることなくずっと、というわけにもいかない。

 時折おとずれる無音の空間に適度な話題を投げ込むのは、メンバーのなかでも最年少で入社時期も遅いさつきの役割みたいになっているところがあった。


「駅前にできたカフェ、行きました? けっこう評判いいみたいなんですよ」


 さつきがそういうと、メンバーのうち二人が「へえ~」とか「そうなの」といった好意的な反応を返してくれる。あとのひとり……同じ部署の先輩にあたる山口ゆかりは、すかさず鞄からスマートフォンを出して検索をかけた。


「ホントだ。星が4つもついてるね」


 彼女はにっこりと笑って口コミサイトをみせてくる。さつきも微笑んで「そうでしょ」という顔をしていたが、内心は穏やかではなかった。

 山口ゆかりのことを、さつきはこっそりと『検索魔』と呼んでいた。

 もちろん心の中でそう考えているだけで、口に出したことはいっさいない。

 とはいえ『検索魔』などと、あまり名誉ではないあだ名で呼んでいるのは社内全体を眺め渡してもさつきひとりだけだろう。

 というのも、ゆかりがわざわざスマートフォンを取り出すのは、さつきと話しているときだけなのだ。

 もちろん悪質なデマが世間にはびこっていることも考えると、情報の出所を確かめるのは悪いことではない。

 だけどゆかりは「コンビニで韓国スイーツフェアやってますよ」とか、「芸能人の〇〇が、女優の××と結婚したらしいですよ」みたいな、正直、真実かどうかなんてさほど大事ではない会話にまでいちいちスマートフォンを出してくる。

 さすがに「課長、検査入院するらしいですよ」と言ったときまでスマートフォンを出しかけたのには、驚きを通り越してあきれ果ててしまった。課長の入院予定なんかインターネットに掲載されているわけがない。

 さつきが話したことをいちいち確かめるという行いは、もはや先輩にとって無意識の習慣になっているのだ。

 だからといって、さつきには真正面から「いちいち検索するのをやめてください」と言い出せないわけもあった。

 なぜ先輩がそういう行動を取るようになったか、彼女には心当たりがあった。

 さつきは専門学校卒業後、いまの会社につとめて三年になる。山口先輩は二歳年上で、入社したばかりの頃から教育係としてお世話になっていた。

 入社して間もない頃、さつきは取引先にも迷惑がかかるような大失態をおかした。しかし社会人になりたてのさつきには、事の重大さも、どうしたらリカバリーできるのかもわからない。結局、山口先輩が社内のいろいろなところに頭を下げて回るのをついて回るだけになってしまった。

 それ以来、山口先輩はさつきがやることなすこと、しつこいほどに確認を取るようになった。

 仕事に慣れてきた頃、改めてさつきはそのときのことを謝った。山口先輩はあっけらかんと笑って「気にしないで」と言ってくれたが、検索癖が治ることはなかった。

 山口ゆかりのスマートフォンを見る度、近頃のさつきは心が苦しくなる。

 ただの世間話ですら間違ったことを言ってはいけない気がして、顔を合わせるだけでもかなりのプレッシャーだ。

 もちろんそんなにつらいなら、距離を置くという選択肢もあるだろう。

 毎日、昼食を一緒に食べるというのもルールで決まっているわけではない。

 そのことについても何度も考えた。

 でも、今勤めている会社には女子社員が少なく、そのためか言明はされていないものの「女子社員の面倒は女子社員がみる」という不文律がある。

 ひとつしかない「女子社員」のグループから離れてしまうと、さつきは社内で孤立してしまう。そうなると業務に差し障りが出る。日々の仕事の進め方だけでなく、例えばこの先に当然待ち構えているだろうこと、結婚して育児休暇を取得することになったらどうしたらいいかとか、育児が忙しくなって時短勤務に変更するとしたらどんな手続きを取ったらいいのかを知っているのは、先輩たちしかいない。結婚や育児をしなかったとしても、資格の取得や昇進の際に頼れるのは、やっぱり先輩たちだけなのである。

 そんなある日、さつきは一縷の望みに出会った。それは自分のスマートフォンの中にあった。


『しごでき呪文ブログ』である。


 ブログはビジネスに関する魔法を紹介するものだった。

 彼女は夕飯を終え、テレビのバラエティ番組をかけ流しにしながら、ベッドの上に横たわってブログを眺めていた。

 そろそろお風呂に入らなければ明日の出勤に差し障る時間だが、また山口先輩と顔を突き合わせなければならないと思うと、上半身を縦に起こす気にもなれないでいた。テーブルの上には、コンビニ惣菜の容器と割りばし、朝に使ったマグカップやパン皿までもが出しっぱなしになっている。


「簡単な呪文でアナタもしごでき……か。あやしすぎるな……」


 ブログの存在を知ったのは、SNSでだった。

 注意喚起、として回ってきたにくっついたリンクをクリックすると、たどりついたのはごく普通のアフィリエイトブログである。


「仕事を効率的に進められる呪文、眠い時に目を覚ます呪文……ふふ、なにこれ。こんなのやる人いるの?」


 しかし、さつきのアカウントに回って来た注意喚起には『何らかの魔法がかけられており、何が起きるかわからず危険なので、安易に実践しないように』と書かれていた。ということは、何らかの魔法の効果があるということは確かなのだ。

 魔法というものに、さつきはこれまであまり興味を持ってこなかった。

 もちろん一般常識としては、そういうものがあるというのは知っている。

 でも、一般人が使ってもおまじない程度の効果しかない、というのは良く言われていたので実践しようと思ったことはない。男の人に誘われて競技魔術のドキュメンタリー映画を一度観に行ったけれど、なんだかわけがわからなかった。

 要するに、わかっているようなわかっていないような、中途半端な知識だけがある状態だった。そんなときだった。

 短いメッセージがモニターに浮かび上がった。


『何かお困りですか?』

「えっ?」


 さつきが戸惑っていると、通話アプリが勝手に立ち上がりショートメッセージが送られてきた。


『はじめまして、しごでき呪文ブログの管理人です。さきほどからずっとブログを見ているようだったので、メッセージを送りました。なにか悩み事があるようでしたら、個人的に相談を受け付けます。もしもこちらの勘違いだったり、迷惑でしたら、フレンド登録はせずにアカウントをブロックしてください』


 どうして、さつきがずっとブログを見ていたことを知っているのだろうか。わからないが、ブログの管理人なのだからそういうものなのかもしれない。それに、みずから「迷惑ならブロックしろ」と言っているのだから詐欺的なものでもないのだろう。


 さつきは一時的にフレンド登録をして、メッセージを送ってみることにした。


「はじめまして。相談ってどんな感じですか。お金はかかりますか」

『いきなりですね。えっと、内容によります。できないことは、できないので。ただ、こっちでならブログでは紹介してない呪文を教えることとかもできます。ヒマつぶしなんでお金は取ってませんが、欲しいものリストから何か送ってくれると助かります』


 念のため、リストとやらを見てみるが、そんなに高額なものはない。安価な文房具や一袋数百円のグミとかもある。

 さつきは思い切ってメッセージのやり取りを続けてみることにした。


「じつは職場のことで悩んでるんです」


 さつきが相談したのは、もちろん、山口ゆかりのことだ。

 ある程度フェイクをまじえ、さつきが置かれた状況を説明すると管理人は「ふむふむ」と考えているキャラクターのスタンプを送ってきた。


『閉鎖的なコミュニティの嫌な感じがしますね。その社員さんに意地悪されてるってわけじゃないんですよね?』

「ちがうと思います。先輩は、悪い人じゃないんで」

『けっこう無神経な人だと思いますけどね(顔文字)』

「魔法でなんとかできませんか?」

『できますよ』

「ほんとですか!」

『ぴったりの呪文をお教えします』

「難しいですか? 私やったことないんですけど」

『儀式とかは全部こちらでやりますから。呪文も、複雑なやつを会話の度に唱えるわけにはいかないので、短くて不自然じゃない言葉にまとめますね』

「お願いします」


 気がつくと、さつきはよくは知らない「魔法」に乗り気になっていた。

 しかし、管理人はここで思わぬことを言い出した。


『でも、たぶんですけど……その問題は、魔法を使わなくても解決できると思いますよ。魔法の前に、まずは魔法を使わない方法を試してみませんか?』


 せっかくその気になっていたのに……。

 突然、手の平を返されたようで、さつきは少し不安になった。


「魔法を使わない方法ですか?」

『ハイ。すごく簡単な方法です』


 ――翌日。

 ランチタイムになっても、さつきの心は昨日と打って変わって晴れやかだった。

 さっそく山口ゆかりの前で昨日管理人に教わった方法をためすことにしたからだ。

 さつきは食堂に集まったメンバーを前に、いつも通り他愛ない世間話を振ってみた。


「これはんですけど……今年の冬は夏の猛暑の影響で葉物野菜の値段がいつもより上がるみたいですよ」


 そこにはさり気なく管理人が教えてくれたとっておきの対処法が込められていた。

 それはずばり『友達が言っていた』というフレーズだ。

 昨晩、管理人はさつきにこう言ったのだった。

 

『その先輩があなたの言うことなすこと疑ってかかるなら、別の人から聞いた噂話ってことにしたらいいんじゃないですか?』


 目からうろこだった。

 確かに、とさつきは思った。

 山口先輩が過去のさつきのミスをきっかけに検索魔になってしまったのなら、さつき以外の人の話だという建前で話せば疑わないはずだ。

 あまりにも単純な方法ではあるが、これなら管理人に報酬を支払う必要はない。よく知らない魔法を使うわけでもない。

 うまくいくようにお祈りもしてくれると管理人に言われ、さつきはまずこの単純な方法を試すことにしたのだった。

 山口先輩以外のふたりはいつも通りで何の問題もない。「気軽に鍋料理が作れなくなるわね」とか「困るわあ」とか言っている。

 山口先輩はじっとさつきのことを見つめていた。


「それって……さつきちゃんの地元の友達の話?」

「はい、高校の同級生です」


 そう言うと山口先輩は納得したようにうなずいた。スマートフォンを取り出すことはなかった。

 さつきはささやかな勝利を手にした。

 その後も何度か試してみたが、けっきょく、この日の山口先輩はスマートフォンを取りだすことはなかった。

 さつきはうれしくて仕方がなかった。

 あれだけ悩ましかった会話がスムーズに進み、むだに疑われもしない。過去にしてしまった過ちを思い返さずにすむ。

 こんなに簡単にことが済むだなんて。

 仕事が終わってから管理人に礼を言うと『お役に立ててよかったです』とだけ、そっけない返信があった。返礼を求められることはなかったが、念のためアカウントはブロックしておいた。

 解決のきっかけをくれた管理人には少し申し訳ない気がしたが、あやしい存在であることは間違いない。


 それからというもの、さつきは山口先輩との会話のたびに『友達』を登場させた。

 友達が言ってたんですけど、とさえ言えば、山口先輩はさつきの言うことを信じてくれる。もちろん毎度毎度『友達』を出していたら会話が不自然になるので、その都度、登場人物は変える必要があった。「これはかかりつけのお医者さんが言っていたんですけど」とか「有名な大学教授がテレビで話してて」などと微妙に表現を変え、工夫を重ねた。

 でもやっぱり、使いやすいのは『友達』だ。大学教授とか医者とかは、後で調べられたら困る。でも地元の友達や高校時代の部活の先輩なんてものは、本当に存在しているかどうかなんて誰にも調べられない。

 やがて、さつきは気がついた。


 この会話術は使


 本当に偶然ではあったのだが、管理人に秘策を授けられてから数日後、山口先輩とはまた別の男性上司と意見が食い違い、もめたことがあった。

 上司の叱責は長く、理不尽で、だんだんボルテージが上がって隣の部屋まで聞こえそうなほどの大声になっていく。

 そのときについ『友達が言っていたんですけど』と口走ってしまったのだ。


「友達が言っていたんですけど——部下を大声で叱責すると、その人の作業効率は四割も下がるらしいですよ」


 何言ってんだ、とさつきは自分で自分にツッコミを入れた。

 こんなの、その場から逃げたいだけの本心が丸見えだ。

 しかし、気難しいことで知られている上司はなぜかその一言で納得してしまった。


「そうなのか? 知らなかった。それは悪いことをしたな」


 そう言って、さつきに向けていた矛先を納めたのである。

 驚いたのはさつきのほうだ。


 それから、さつきは業務中にも『友達』を使いまくった。

 自分の意見、自分の発言ではなく『友達』のせいにすれば、何でも上手くことが運んだ。仕事場でさつきの立場はジワジワと上がっていった。

 何しろ、どんなことでも『友達が言っていた』ことにすれば、仕事の提案ですら信じてもらえるのである。

 気がつくと、さつきの周りにはありもしない『友達』が増えていた。はじめはただの『友達』だったものが、状況にあわせたプロフィールもできた。

 東京で働いていて芸能関係やファッションに詳しい幼馴染や、自衛隊をやめたあとジムのインストラクターになり、ダイエットの専門家として働いている男友達。オカルトやスピリチュアルに詳しい小説家の友達や、ハーバード大学を卒業して経済学の博士号を持っているビジネスの専門家、英語の資格をいかして国連で勤務している国際政治に詳しい従妹のお姉さん……さつきはいつの間にか『多様な人脈を持つ頼れる女性社員』としてみられるようになっていた。

 決してさつき本人の努力が認められ評価されているわけではない。

 でも信頼されるというのはそもそもが気分が良いものだし、近頃では、それらの『友達』の設定を作りこみすぎてしまい、彼らが本当にこの世にいるのではないかという気さえして来た。少なくとも山口先輩をはじめとする社員たちは、彼らの実在を信じて疑っていないだろう。

 いつかはやめなければならないと思ったが、やめどきはとっくに失っていた。

 そんなある日、彼女は残業を二時間ほどした後で自宅アパートに戻ってきた。

 その日はアパート全体が騒がしかった。

 たぶん、同じ階に住んでいる外国人留学生の部屋だろう、と彼女は思った。

 学生だからか、それとも外国人だからか知らないが、ついこの間も部屋に入りきらないほど来客を招いたパーティをして、管理人に怒られていたばかりだ。


 だから——その物音が自分の部屋からしていることに、さつきは部屋の鍵を開けるまで気がつかなかった。


「あれ……?」


 消したはずのリビングの明かりがついている。

 にぎやかな笑い声が廊下の奥から聞こえてくる。

 玄関には脱いで揃えられたいくつもの靴。

 スリッパを入れたラックは、来客用のものまですっかり空になっている。

 一部分がすり硝子になった扉の向こうに人影が過ぎった。


「だれ……? えっ、何……!?」


 恐怖のあまり、さつきは玄関から共用廊下に飛びのいた。

 その気配で気づいたのだろう。

 扉の向こうから、声がかかった。


「さつき? 帰ったの? お帰りー!」

「おそーい。もう初めてるよお。はやくおいでよぉ」


 けらけらと笑いあう声。

 信じられない、他人の部屋で、とさつきは怖いながらも怒りが湧いてきた。


「誰!? 警察呼びますよ!」


 そう言うと、ワンテンポ遅れて笑声が弾ける。


「ははは! 何言ってんだよ、さつき! 俺らだよ!」

「なーにびびってんの。さっさと入って来いよ!」

「そうだよ、みんな“友達”だろ!」


 友達。

 そう聞いて、さつきは

 なんだ、そうか。友だちだったか。

 さつきが知らない間に、みんなで集まっていたのだな、とさつきは思う。どうやって鍵を開けたのかは知らないが、そういうものなんだろう。


 だって、友達なんだから。

 友達が言っているのだから、そういうものなんだ。

 

「ごめーん、残業してた。今行くね!」


 さつきは疑うことなく笑顔で部屋に入った。

 扉を閉め、内側から鍵をかける。


 がちゃり、と音がした。

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