第98話 知床のメンター



 昼食から帰ってくると、事務所の前で体育座りをして煙草たばこを吸っているおじさんがいた。


 煙草のけむりだけ食べて生きてそうな色素の薄いおじさんだ。

 おじさん、おじさんと言っているが、本当におじさんなのかどうかは判然としない。だいたい三十代後半くらいではないかな、という雰囲気だ。


「お待たせしてすみません、いま、カギを開けますね!」


 相模さがみくんは慌ててポケットからカギを取り出した。

 怪異退治組合やつか支部は現在、昼休憩中である。

 日頃は誰かしら事務所に残るように休憩時間をずらすのだが、今日はアルバイトの賀田かたさんがお休みで事務所に相模くんがひとりきりの日で、入口には『休憩中です』の看板がかけられていた。


「あ~、いいよいいよ、ゆっくりで……俺も組合の人間だから。ハイこれ名刺めいし


 おじさんはノンビリとした口調で言ってヤッケのポケットからくしゃくしゃになった名刺を取り出した。

 渡された名刺には『怪異退治組合知床しれとこ支部 狩人 皆月夕みなづきゆう』と書かれている。


「知床支部……って、もしかして、ワイヤレスイヤフォンさんの!?」

「ワイヤレスイヤフォン……さん?」


 皆月おじさんはぼんやり空を見上げ、記憶をたどっている。


 夏の終わりごろ、魔女の諫早いさはやさくらが付喪神化したワイヤレスイヤフォンをやつか支部の組合事務所に持ち込んだことがあった。

 ワイヤレスイヤフォンという本来は命をもたない無機物にたましいを吹き込んだのが、知床支部所属の狩人だった。


 それが皆月夕なのである。





 一見すると、皆月おじさんは人畜無害じんちくむがいそうなおじさんに見える。手足はせて細く、スラックスとシャツの上にワークメンで買った一枚千円のヤッケを着ている。体育会系の暑苦しい面子めんつが多い組合の狩人の中ではさわやかなほうだろう。


 ただし彼もまた、まぎれもなく組合所属狩人のひとりであり、その狩人免許にはほかの狩人にはない特記事項とっきじこうまでついている。

 「霊能力:こう」というものだ。

 これは資格保有者がを有している証明だった。

 しかも甲種は乙種と違い、見えるだけでなく何らかの働きかけが可能な、要するに除霊や浄霊が可能な狩人のみが取得できるものだった。

 現在の怪異退治組合で甲種を取得しているのは的矢樹まとやいつきと皆月夕の二名だけと聞き、相模君は業界の常識というものがわからないなりに感心してしまった。


 相模君の後から事務所に戻ってきた七尾支部長は、事務所の待合まちあいスペースでくつろぐ皆月夕の姿をみつけ、シンプルにびっくりしていた。


「ご無沙汰しております、七尾支部長」

「誰かと思ったら皆月君か! こっちに出てこれたねえ……」

「はい、《いつの間にか増えてるかぎ》の後始末あとしまつで呼ばれたんです」

「あれか。やっぱり担当支部だけじゃ始末がつかなかったかい」


 ふたりは顔見知りらしく、にこやかに世間話をはじめる。

 いつの間にか増えている鍵も、やつか支部が協力した案件である。


「久しぶりにしんどい案件ですよ。もともとの被害者だけでなく、どうも他にもう四、五人はってそうな気配です」

「ありゃ。じゃあ除霊かな」

「遺族会の意見がまとまりそうにないですね。ほかに被害を出しちゃった以上、もう加害者なんですけど、ま、そうは思えないでしょうしねえ……」

「浄霊でごねられたらどうするの」

「民間にお願いするか、封印でまた塩漬けか。たぶん自分はこのまま北海道にとんぼ帰りでしょう。旅費がもったいないったら」

らくさせてもらいなさいよ。貴重な甲種なんだから」

「ええまあ。こっちは言われたことをやるだけですよ」

「今日はなんでやつかに?」

「的矢に会いに来たんですよ。盆とハロウィンで無理してないかなあと思いまして」

「おっ、それは助かる。悪いね、わざわざ。あいつ、まだ何体か霊をつけたまま保留にさせてるんだよ。おはらいしてやってくれ」


 相模君はお茶にお茶菓子をえて出した。


「皆月さんは東京にもいらっしゃったんですね」

「ちょっとの間だけだけどね。一応、東京本部時代はあいつのメンターだったんですよ」


 意外なことに、組合にもメンター制度などという先進的な取り組みがあったようだ。

 相模君は入ってこの方、そうした制度があるとは一度も耳にしたことがないので、もしかすると東京本部だけの制度なのかもしれない。


「結局、的矢が来てすぐ俺が異動することになったから、先輩狩人らしいことは何もできなかったんだよね。霊能力持ちっていろいろ難しい面があるから、もっとサポートできたらよかったんだけど……」


 皆月はそう言って、申し訳なさそうに後頭部をいていた。

 出張がてら後輩の様子を見に来てくれるなんて親切でもある。


「あの~お祓いって、どんな感じでやるんですか。場所とかお道具とか、準備したほうがいいですか?」


 相模君がたずねると、皆月はにこにこしながら「おかまいなく」とだけ答える。

 お構いなくと言われても、と相模くんが戸惑っているところに、当の的矢樹も出先からちょうど帰ってきた。


 的矢樹は皆月おじさんの姿を見るなり、大袈裟おおげさにのけぞって驚いていた。


「あれっ! うわ~っ! ほんものの皆月さんだ。知床からよく出て来れましたね~!」

「お帰り~。後ろのやつ、お祓いに来てあげたよ~」

「あ、ほんとですか。助かります、さっそくお願いしま~す」


 的矢樹は軽い口調で言って、その場でしゃがんで背中を見せた。


「は~い」


 その背中を、皆月おじさんが両手でポンと叩く。


「はい、終わったよ~!」


 一部始終を見守っていた相模くんはさすがに声を上げた。


「ええっ! それだけ!?」


 相模くんに見えていたのはおじさんとおじさん予備軍のふたりが楽しげに遊んでいた姿だ。お祓いといったら、白いビラビラのついた棒を振ったりおきょうとなえたりと、複雑で難しい手順があると思っていた相模くんは戸惑いを隠せないでいた。


「ウン。俺の場合はこれだけ~」

「すごい! 的矢さんでもおじいさんの錫杖がいるのに……」

「感心してくれているところ悪いけど、俺の力はそれほど凄いものじゃないんだよ。強いのは強いらしいけど……霊視の力を含め、的矢みたいに生まれつきじゃなくて、偶然身につけたさずかりものだからね」

「そうなんですか?」


 皆月夕はうなずいて、遠い目つきになる。


「あれは6歳のときのことだった……」


 相模くんは軽く前のめりになって話に集中した。

 皆月夕は組合でも一、二を争う霊能力持ちだ。

 さぞかしすさまじいエピソードが語られるに違いない。


「当時、俺は体が弱くてね。療養りょうようがてら田舎いなかの祖父母宅にあずけられていたんだ。娯楽も何もないところだから、子どもには退屈でさ。ひとりぼっちで神社の境内けいだいでヒマをつぶす毎日だった。でも、そのうちに遊び相手ができたんだ。それが、当時でも珍しいおかっぱ頭で、きれいな着物を着た女の子でさ……」

「ちょっとすみません」


 相模くんはなめらかな語り口調の途中でストップを入れた。


「違ってたら申し訳ないんですけど……。その話、着物姿の不思議な女の子は実はその神社に祀られている神様で、高熱を出した皆月さんを助けるために力を貸してくれて、霊能力に目覚めたとかいうオチだったりしませんか?」

「ん~、惜しい! 過疎化で祖父母が村を離れることになって、神社も取り壊されることになったんだよね。んで、最後の夏祭りの夜、離れ離れになってもずっと一緒だよって約束したら、気がついたら霊感持ちになってたの」

「そっちのパターンだったか……!」


 相模くんがちらりと横を見ると的矢は明らかに「退屈たいくつそうな」顔をしていた。


「的矢さん、知ってましたね」


 的矢樹はうなずいた。

 言葉少なでも、相模くんの言いたいことを完璧に理解している顔である。


「東京本部でも有名なんです。皆月さんは持ってるエピソード全部って……」


 支部長など、とっくの昔にことわりもなく事務室の奥に引っ込んで仕事の電話をかけている。

 皆月おじさんは悲しげな表情を浮かべていた。


「ひどいなあ、別にウソをついてるわけじゃないし、全部本当のことなのに……」


 聞きたがった手前、相模くんは少し申し訳ない気持ちになる。

 でも、先ほどの話のつまらなさは相当のものだった。

 人が特別な才能に目覚める過程かていで、あれほど取ってつけたようなどこかで聞いたような話が語られるとは夢にも思わなかったのだ。


「こう言っちゃなんですけど、話のレベルが、売れないライトノベルのつまらない設定みたいなんですよね」

「相模くんは優しいなあ。僕は一次選考落ちレベルだと思いましたよ。でも、皆月さんの本気はこんなもんじゃないから。ためしに《パチスロで勝つ秘訣ひけつ》について聞いてみるといいですよ」

「そんな、本人の目の前で……失礼ですよ」

「いいからいいから」


 相模君は的矢樹に言われるがまま質問を鸚鵡おうむ返しにする。


「では、すみません。皆月さん、パチスロで勝つ秘訣について教えてください」

「パチスロで勝つ秘訣は……それはずばり」


 皆月夕はとっておきの話をするときのように、タメにタメた。

 そして無駄にキリッとした顔つきで解答を披露ひろうした。


「早起きだね」


 相模君は思わずつばを飲み込んだ。


「……それは、早起きをしたら、いい席が取れる的なやつですか」

「え? うーん、そこまでは考えてなかったなァ。なんとなくそんな気がするってだけで……」

「パチスロお好きなんですね」

「ウン。俺の給料はだいたい毎月それに消えてるよ。あとは競馬かな。そっちはアプリゲームの影響ではじめたんだよね」


 給料を全部ギャンブルにつぎこんで、それか……と相模君はむしょうにつらい気持ちになる。

 人気ゲームの影響で競馬に手を出す流れも、なんとも言えずつまらない。


「人生で大切にするべきことってなんでしょうか?」

「やっぱり、努力かな?」

「人生でいちばんショックだった出来事って?」

「この間、スマホ落っことして画面が割れちゃった」


 落としたスマホを見せてもらったが、画面が読み取れないほどにくだっているでもなく、端っこにちょっとヒビが入っているくらいである。

 話だけでなく、割れ方までおもしろくない。

 そもそも、スマホを落として画面を割ったことが一番ショックな出来事になるという人生はどうなのだろう。


「ごく普通の人の普通の会話でも、もう少し面白味おもしろみがあるのに……」


 最近面白いことがなくて、という前振まえふりから繰り出される『昨日見たテレビの話』でももう少しおもしろいだろう。


「的矢さん、あの方は、霊感と引き換えにトーク力を失ったんですかね?」

「皆月さんの場合、皆月さんを守護している存在が強すぎるので、そのへんの悪意のある霊は近づけないし、取り立てて不幸も起きないから、人生に起伏きふくがないんだと思います」


 同じく霊感持ちの的矢樹の解説は、霊感持ちでない相模君には本当かどうか確かめられない性質のものであったが、なんとなく説得力がある。

 ただ、話がつまらなくても力はホンモノだ。

 皆月おじさんが六歳の頃にかわした約束はいまだに有効で、彼は的矢樹と同じくらい様々なものを見、触れるだけで除霊や浄霊を行うことができる人物として組合では重宝ちょうほうがられている。


「除霊にしろ浄霊にしろ、霊関係の正式な案件だと、俺たちはまず《説諭せつゆ》っていうのをやるんですけど……まあ、つまり、幽霊相手にやる説得ですね。皆月さんはあの通り話が薄く、しかも力は強いから、つまんない話で除霊される幽霊が出ちゃって、見ててかわいそうになりますよ」

「組合にはちゃんとした霊能力者の方っていないんですか……?」

「俺と違っていろんな研修を受けてるので、ちゃんとしてはいるんですよ。ただ天からさずけられた才能のほうがでかいってだけで……」

「なんか、ちょっと拍子抜ひょうしぬけしました……」


 こうして、皆月おじさんは事務所の面々へのあいさつもそこそこに、知床支部へと帰って行った。

 七尾支部長は皆月おじさんをまじえての懇親会を提案したが、スケジュールが立て込んでいるようだ。断りを入れる皆月おじさんを見て、相模君は少しほっとしていた。


 もしも飲み会であのつまらない話を延々と聞かされたら気が狂っていたかもしれない……。


「的矢、あかねちゃんをガッカリさせるようなことだけはするなよ」


 おじさんは見送りもことわり、的矢樹を名指しでそれだけ言うと、夕暮れの中をやつか駅に向けて去って行ったのだった。


 皆月おじさんの姿がすっかり遠くになってしまうと、七尾支部長は「さて」と切り出した。


「相模君、悪いんだが、いますぐ事務所に置いてる金目かねめのものがちゃんとそろってるかチェックしておいてくれ。個人のものか事務所のものか関わらず、な」

「え? なんでですか?」


 その疑問については、的矢樹が答えた。

 めずらしく沈痛な面持ちである。


「皆月おじさんは……昔、東京本部事務所に置いてあった募金箱のお金に手をつけて、それで知床支部に飛ばされたんです」

「えっ。それ、犯罪じゃないですか?」

「金額が少額だったのと、やっぱり甲種を持ってる霊能力者を手放せなかったみたいで。次やったら網走あばしり、その次は海外に左遷させんってことで水に流したらしいですよ」


 どうりで、皆月夕の姿を目にしたとき、七尾支部長や的矢が驚いていたわけである。

 見た目はただのおだやかそうなおじさんなのに……。

 周囲を一番ガッカリさせているのはおじさんなのだった。


 この一件があってから、相模くんは的矢樹の評価をけっこう上げたとのことである。

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