第83話 ゴミラにぶんのいち
かつて妖怪たちがその偉大なる力を失った原因は、人間社会の『都市化』にあったと言われている。
人間たちが農村部から離れて人工の明かりに照らされた都市に居住しはじめると、彼らは暗闇が支配する山野を
なによりも怖いのは人間——これを皮切りに妖怪たちは力を失い続け、最近では情報化社会の波に乗った正体不明の現代怪異が勢力をいや増している。
現代怪異の勢いがもっとも強いのは、人口過密地帯である都心であろう。
人と怪異がちょうどいいバランスを保っているやつか町とはちがい、東京や大阪ともなると、少々危険な怪異がニュースを騒がせることもある。
その日、やつか町に住む狩人や怪異関係者は朝からちょっとだけ浮足立っていた。
街の人達もスマホなどで
昼前になるとやつか支部は仕事を放り出して、いつも『白熱大陸』をエンドレス再生し続けている小型テレビを片付け、モニターを置いてニュースにチャンネルを合わせた。待合室の座席を並べ直して、全部モニターに向けたころに、兼業狩人が暇な人たちから順番に集まりはじめた。
「よう支部長! なんか東京たいへんらしいじゃない!」
缶ビールを山盛りに抱えて現れたのは酒屋の
「らしいじゃないよ、もうめちゃくちゃだよ」
七尾支部長は口を
事務員の
それらの混乱の背後にいるのは、黒々とした皮膚に覆われた巨大な怪獣『ゴミラ』である。身長は二十メートル近くあるだろうか。黒い小山のような姿で、怪獣映画のような地響きを立てて、ゆっくりと前進してきている。
ゴミラとはずばり、日本人なら知らない者はいない、超有名な特撮映画に登場するあの怪獣だ。そのキャラクター性もあいまって、まるで映画の撮影のようにみえるが、これは映画ではない。
東京のど真ん中を
「
「本部もきのうから何も言ってこないからな、わからん。しかしこの規模じゃ組合の出る幕は全くといっていいほどないだろうな」
支部長は渋い顔つきである。
昨晩未明、ゴミラは突然動き出し、大移動をはじめた。
何をするでもなく道路をのしのしと歩くだけで建物を壊そうとしたりはしないのが幸いである。
ただしそうはいっても体長二十メートルの巨体であるので、移動先の人や車は避難しなければならないし、万一のこともあるので警戒は解けない。
映像はスタジオに切り替わる。
「それにしても、このクレイグなんとかってのは男前だよなあ」
雄勝さんがしみじみとした口調でいう。
スタジオでは、金髪碧眼のアメリカ人男性が座っていた。
すらりと長い手足で、雄勝さんの指摘通りハリウッド俳優のような出で立ちだ。
彼の名前はクレイグ・アンダーソン。魔法使いである。
七尾支部長の言う通り、ゴミラ事件を解決するのは自衛隊の役目だ。しかしその自衛隊でもゴミラをもてあましたのだろうか。
米軍に協力を要請し、派遣されてきたのがこの男だった。
「えっと、たしか、競技魔術のアメリカ大会優勝者なんでしたっけ……。多重詠唱の世界記録保持者なんですよね?」
リモコンを手に音量を調節しながら、相模くんが聞きかじりの知識を披露する。
「それってすごいんですか?」
質問を投げかけた先には、最前列に座らされている
「……選手のほとんどが米国式を使う競技魔術の世界で、トップレベルの選手が名を連ねるアメリカ大会は実質、世界選手権と同じだと言われている。クレイグ・アンダーソンは個人部門で三年連続チャンピオンになり、現在は軍とコンサルタント契約を結んで活動している」
「多重詠唱…………って宿毛さんの得意技でしたよね。世界チャンピオンってなると何回くらいできるものなんですか?」
「
宿毛湊は無表情で辞書通りの解答を述べる。
しかし魔法の世界にあまり興味のない相模くんはぴんときていない顔つきである。
「あれっ。でも、それじゃ宿毛さんと五回しか違わないんですね。世界って言っても、思ってたほど差はないんだ」
宿毛湊が声を発する前に、雄勝さんの笑い声が
「そりゃ、その五回が大きなちがいなんだよ。俺達しろうとにはわからなくても、プロの世界にとっちゃ一回と二回の差がでかいもんなんだ。そうでしょう、支部長」
「まあな。アメリカと日本じゃ、競技人口の差も物凄いからなあ。日本にいるとトップ選手の技術を目にする機会もほとんどない。めったにない機会だからいい勉強になるだろう」
スタジオではクレイグが若い女性アナウンサーからのインタビューに答えていた。ピンクのカーディガンを着たアナウンサーが「クレイグさんは日本食はお好きですか?」とたずねる。
クレイグはカメラにほほえむと覚えたての日本語を
「オコノミヤキ、キノウ食べました。オイシかったです」
「わ~、お好み焼き~! ほかに気になってる食べ物はありますか?」
「ツギはスキヤキ、チョウセンしたいですね」
「日本語がお上手なんですね~! クレイグさんはこの後、準備が整いしだいゴミラ退治の現場に向かいます!」
みごとに米国式魔術も、世界記録も関係ないインタビュー内容である。
まあ無理もないかもしれない。クレイグ・アンダーソンはその恵まれた容姿のおかげで日本の若い女性にも熱心なファンがいるくらいの有名人なのだ。
「たしかにかっこいいですけど、そんな言うほどですかね? それに、魔法の腕だって先輩のほうが上ですよ!」
「君は宿毛くんの太鼓持ちだからなあ」
「それ何か根拠あるんですか?」
的矢樹が抗議の声を上げるが、日ごろの態度が悪すぎるのか誰にも取り合ってもらえない。
その後も、七尾支部長の呼びかけで何人かの狩人が事務所を訪れた。
ゴミラ退治の中継をみんなで見るためだ。
彼らはゴミラを解説するスタジオの有識者の意見にうなずき、そしてクレイグが何かコメントするたび、競技魔術経験者である宿毛湊に解説を求めた。
「このクレイグって人と宿毛くんだったらどっちが強いの?」
「強いとか弱いとかじゃなくて……」
「米軍と仕事したらお給料どれくらいもらえるのかな」
「さあ……」
「あっちはトップ選手のレッスンが一時間一万ドルっていうよね、本当かな」
「そういう話も聞いたことあります」
「宿毛くんもアメリカ行ったらよかったのにねえ。日本は自衛隊なんかも雀の涙っていうよね。危険手当が300円とかじゃなかった?」
「……」
宿毛湊はだんだんと無口になっていった。
みんなはさほどゴミラにもクレイグ・アンダーソンにも興味があるわけではないので、まじめに質問に答えても「ふうん」くらいの反応しか返ってこない。
そもそも宿毛湊も、それなりに案件を抱えて忙しい身だ。
昼日中からテレビモニターの真正面に座っていたくはない。
それでも支部長が「めったにない機会なんだから、勉強のつもりで事務所に来い」と言ったから来たのである。
なのに今では支部長も世間話に夢中だ。
夕方頃、宿毛湊はひとり煙草休憩に出た。
屋外の喫煙所でスマホを取り出すと、通話アプリにメッセージが入っていた。
『ひさしぶり! ミナトはいま東京? どこにいるの?』
昔の知りあいからである。
宿毛湊はしばらく考えた後、東京本部を離れて地元に戻り、嘱託職員をしていると返事を出した。
相手は何やらビックリした表情のスタンプを送って来る。ビーバーをデフォルメしたキャラクターがかわいらしい。
『ウソだろ、それじゃ、今回の仕事はミナト来ないってこと?』
『管轄がちがう。それは自衛隊の仕事だ』
『ホントに? ボク、今回はキミとふたりの仕事だと思ってた! なんてことだ! 契約書をよく読まなかったせいだな!』
怒涛のメッセージが送られてくる。
『日本の軍隊は何をしてるんだ、キミがいれば十五分で終わるイージーな仕事だろう? すぐにヘリを寄越すよ、一緒に東京の夜景を見ながらモツ鍋を食べよう』
『スキヤキを食べるんじゃなかったのか』
『あれはテレビ向けのコメントだ。キミが、ああいうテレビのコメントにはスキヤキかテンプラって答えるとウケがいいって言ったんだよ』
『言ったかもしれない』
『それにしてもキミに会えなくて残念だよ。地元って都会なの? 仕事はたくさんある?』
『田舎だ』
『おいおい、まだ田舎に引っ込むようなトシじゃないだろう? ボクがスランプに陥っていたとき、北やつかの悪魔がアドバイスをくれたから、あの世界記録が生まれたんだよ!』
メッセージの送信者は、自撮りの画像を撮影して送ってくる。
そこには交通規制をかける警察官の後ろ姿、摩天楼のかげにゴミラの威容がそびえている。手前でスマートホンのインカメラを自分の顔に向けているのは、先ほどインタビューに答えていたクレイグ・アンダーソンであった。
クレイグがかつて日本を訪ねてきたのは、宿毛湊が
クレイグは生来優秀な魔法使いであったが、当時は競技魔術の世界に疲弊し、自分で言っていた通りスランプに陥っていた。
彼はまだ十代だった宿毛湊と意見をかわし、連絡先も交換した。
クレイグは宿毛湊のアドバイスを気に入ったようだ。
それからもときどき連絡をくれた。そのたびに日本語が上達し、いまでは書くだけなら並みの日本人よりも達者だ。
『君のレッスンを受けられるなら一時間につき一万ドルを払ってもいいって客が、アメリカには山のようにいるよ。君は本当に天才だ。田舎暮らしが嫌になったら、いつでも声をかけて!』
競技魔術の人気が
宿毛湊はやつか町を赤く照らす夕日をしばらく眺め、煙草の火を消してから、ゴミラ退治鑑賞会の名のもとに酒盛りをはじめた事務所にもどっていった。
ゴミラはその後、魔法にまったく耐性がないことがわかり、10センチくらいのサイズに小さくされて自衛隊に回収されていった。のしのしと踏み歩いた被害も、路上駐車されていた車両がへこんだくらいで済んだようだ。
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