第66話 ワイヤレスイヤフォンの帰還
先日、組合が業務委託をしている専業狩人、
原因も、どうして助かったのかも謎のままだ。
というのも宿毛湊自身が語らなかったからだ。宿毛湊の危機を七尾支部長に知らせた
「いや~、たまたま体調が悪かったんじゃないですか?」
どうあっても白を切り通したいらしい的矢樹は狭い相談室に押し込められ、卓上ライトの光を顔に当てられて「うっ」と苦しそうな声をあげた。
「マメに自炊して付き合いがなけりゃ酒も飲まず夜九時に就寝してインフルエンザのワクチンも毎年欠かさず受けにいくような男が突然ぶっ倒れるわけねーだろ」
「う~ん。唯一体に悪いことが喫煙なんですよね……」
「だいたいお前が血相変えて俺に連絡してくるってことは何らかの霊障だろが」
「分が悪いな~……」
七尾支部長に詰められ逃げることもできず、的矢樹は一方的に責められるままだ。
「えーっと。茜先輩っていうのは……俺や宿毛先輩が組合に入ったときに教育担当になってくれた方で、俺にとっては大先輩です」
「お前らが言うその茜先輩ってのは、
「さすが支部長、事情通で……」
「お前らが喋らなくても、こっちは勝手に探れるんだぞ」
「それは勘弁してくださいよ支部長~」
「なんでだ。探られたらマズいのか? どうせ宿毛に口止めされてるんだろ?」
図星らしく、的矢樹は深いため息を吐いた。
「それもあります。けど、茜先輩はもう引退してるんです。そっとしておいてほしいんですよ」
「引退してどこに行った? 民間か?」
「現役引退です。今どこにいるのかは僕も知りません。連絡先もわかりません」
「だが――」
七尾支部長が眉をしかめる。宿毛湊が自宅で倒れたとき、的矢が先んじて異常を察したのは鷲津茜からの連絡があったからだったはずだ。
「…………もしかすると霊能力者か?」
怪異を専門的に扱う狩人たちの間でも、霊が見えるかどうか、霊のある世界に触れられるかどうかは才能だ。そして才能がある者たちには、ない者にはわからない特別なつながりを築くことがある。
直感と第六感で構成された特別な世界の特別な
「ええ。ときどき、あっちから一方的に話しかけてくるんです」
「お前のほうから交信できないのか」
「普通だったらそんな器用なマネできませんよ。茜先輩は霊能力者っていうより超能力なんです」
「超能力者?」
「ほら、あるじゃないですか。サイコキネシスとか未来予知とか」
相談室の様子を、事務所側からおそるおそるうかがっていた事務員の
「超能力ってあるんですかね?」
相模くんが疑問を口にすると、賀田さんが不思議そうに首を傾げた。
「さあ……? 超能力者ってアレですよね。SF映画とか小説で出てくる……」
「あるわけないじゃない。だって未来予知以外のことは魔法でだいたいできちゃうんだから。魔女とか魔法使いの別の言い方みたいなもんよ」
とつぜん会話に割り込んできた声がある。
賀田さんと相模くんは驚いて飛びのいた。
いつの間にか事務所にはシースルーワンピースをまとった黒髪美女がひとり増えていた。
滅多に自発的な外出をしないことで有名な魔女、
「うわっ、さくらさん。いらっしゃいませ! いったいいつの間に?」
「さっきから待合室でずーっと待ってたのに誰も気づいてくれないんだもの」
さくらは不貞腐れたように言う。
誰もいない待合室で待っていたなんて、ずうずうしいように見えて、案外ルールには従うさくらである。
「……何かご相談ですか?」
「そうよ。ほんとは直接、宿毛湊に持ち込もうと思ったんだけど自宅にいなかったから。でもこっちも狩人がいないなら、帰るわ」
そのとき、相談室の奥から「さくらさん! 僕がお受けします!」と必死の叫び声が聞こえてきた。
*
「見てほしいものがあるのよ。でもその前に、決して私の頭がおかしくなったとは思わないでほしいの」
さくらは大真面目に言った。
対するイケメン狩人は物憂げな眼差しをめぐらせ少し考えた後、さくらに問いかけた。
「え~と、じゃあ。闘技王一ターン目先攻の相手が発動した『次のバトルタイミングをスキップする』の効果を受けている場合、二ターン目後攻でバトルタイミング移行を宣言せずメインタイミング1からエンドタイミングに移行した場合、四ターン目に自分はバトルタイミングに移行することが出来るかどうか? 答えてみてください」
「出来ないわ。『次のターンのバトルタイミング』ではなく『次のバトルタイミング』なので一度バトルタイミング移行を宣言しタイミングを生じさせないと効果の処理が発動しないからよ」
「どうやら気は確かみたいですね……」
とてもやつか町一の顔面偏差値を誇る美男美女の会話とは思えない内容であった。
「それは一般的には正気とはみなされない会話ですよ」
同席した相模くんはこらえきれずにツッコミを入れたが、二人は不思議そうな顔つきである。
「これなの」
さくらは相談室のテーブルにワイヤレスイヤフォンを置いた。花柄の丸いケースに納められた何の変哲もないイヤフォンに見える。
強いて言えばケースに細かな傷がはいっており、花柄のプリントもところどころ剥げかけている。かなり古いものに見えた。
「普通のワイヤレスイヤフォンですね……?」
「あれっ、相模くんにはそう見えるんだね」
的矢樹は慣れ馴れしく相模くんの肩に片手を置いた。
そのせいかどうかはわからないが、目の前に置かれたイヤフォンケースが、誰も手を触れていないのにむくりと立ち上がるのが見えた。
ケースの下部あたりから白くて細いエノキ茸のような足が生え、両脇から腕が生えて自ら立ち上がったのだ。
そして、胴体を左右に振って、覗き込む相模くんと的矢樹を見あげるような体勢を取った。
「ハジメマシテ! ワタシハサクラサンノオキニイリノ、ワイヤレスイヤフォンデス! キタノ、トオイトコカラ、キマシタ! トホデ!」
「しゃべった!」
さくらはテーブルのむこう側で頭を抱えている。
「朝、起きたらこいつが玄関に立ってたのよ。何なのこれ、ワイヤレスイヤフォンの精霊かなんか?」
的矢樹はそっとケースを持ち上げる。
「でもこのワイヤレスイヤフォン、さくらさんのものですよね」
「わかるの?」
「なんとなく。嫌な感じはしないですね。
付喪神とは器物が精霊に変化し動き出した姿だと言われている。
「付喪神って、100年経たないと変化しないんじゃなかったでしたっけ」
「お、相模くん、博識だね~」
相模くんが言う通り命を持たない物質が精霊に転じるには長い時間がかかるものだ。それに対してワイヤレスイヤフォンが歴史上に登場したのはここ二十年程度の話である。一般的になってからは、もっと短い。
的矢樹はじっとワイヤレスイヤフォンを見つめていたが、ふと顔を上げて言う。
「もしかしてさくらさん、過去五年くらいの間に北海道に行きませんでした?」
「なっ、何故そのことを……!?」
さくらは動揺して思わず椅子から立ち上がった。
「行ったんですね」
「行ったわ……。さすが霊感少年ね」
「少年って齢でもないけど、お褒めに預かり光栄です」
「実家の両親から家族旅行に誘われたのよ。死ぬまでに一回くらいは家族旅行に行きたいって母親から泣き落としにあったのよね。ホラ、あたしって十代の頃はもう絶対に家から一歩も出なかったから。しょうがないから折れたら、札幌、帯広、知床と北海道一周コースの大旅行だったの」
さくらはいかにも恥をしのんでというふうに話し始めた。
今でも一年に一回、家族旅行に日本中あちこち引き回されてる相模くんはその話しぶりに何かを感じ取ったようだが本筋とは関係ないので省略する。
「このワイヤレスイヤフォン、そのとき落としませんでした?」
「ええ、日程もギュウギュウ詰めで、あれはどこだったかな……。ホテルを慌ただしく出たときに、ワイヤレスイヤフォンを部屋に置き忘れたことに気がついたの……でも、まあ、ほら、疲れていたし次の予定があったから、そのままにして出てきちゃったのよね」
「ソレガワタシー!」
ワイヤレスイヤフォンが元気よく宣言する。
「霊感ってそういうのもわかるの?」
「いや、これは霊感じゃないです。茜先輩の話してたから色々思い出しちゃったな」
そう言いながら、私用のスマートフォンを操作していずこかへと電話をかける。
電話そのものは数秒で繋がったが何やら雑音が多い。
しばらく席を外して、再び戻ってきた。
「事情がわかりました。これは知床支部が担当した怪異事件の報告書です」
的矢がプリントアウトした報告書には観光客向けの宿泊施設の、忘れ物保管庫から『声』がするという事件が記載されていた。
従業員が保管庫にいるとき「サクラチャン」というか細い声が聞こえてくるという事件のあらましとともに、声を発したワイヤレスイヤフォンの写真も掲載されている。
「私のイヤフォンだわ」
「問い合わせたところ、このワイヤレスイヤフォンにはさくらさんの残留魔力が残ってて、持ち主の元に戻りたいという強い意志が働いてたようです。それで……事件解決のために担当狩人がワイヤレスイヤフォンを付喪神化させたようですね」
「させたって、どうやって?」
「知床支部には組合でも僕と一、二を争う霊能力者が在籍してまして。どうやら神仏に祈祷して力を借りたみたいですね。その人、神がかり的な霊媒体質で浄霊とかも得意なんですよ」
原理としては神社に行って賽銭をし、鈴を鳴らして祈願するのとかわりない。ワイヤレスイヤフォンは神頼みで付喪神となったのである。
「ただ、そんなことが出来るのは民間でも数が限られてますから……だから北海道に行ったんじゃないかなって思ったんです」
さくらと相模くんの頭の中には古式ゆかしい神秘的な霊能者のイメージ像が描かれている。しかし、相模くんはふと疑問に思った。
「でも……そんな凄い方が
「ああ、組合の金に手をつけて飛ばされたんですよ。さっきも仕事サボってパチンコしてました」
頭の中の清らかな霊能力者のイメージは脆くも崩れ去った。
後に残ったのは決して結び付かない相反する
「組合の霊能力者って、もしかしてまともな奴いないんじゃないの?」
さくらは呆れたように言った。
ちなみに組合の給料は手取り十五万円を基本としている。民間に出て有名なタレント霊媒師にでもなったなら、何十倍も稼げるだろうことを考えれば答えは自ずと見えてくるはずだ。
「ワタシ……」
そのときワイヤレスイヤフォンがたどたどしく話し始めた。
「サクラチャンノ、トコロニ、カエリタクテ……。キタノ、ズットトオイトコカラ……アルイテキタノ……」
「ワイヤレスイヤフォンさん……」
「ワタシ、キット、サクラチャン、コマッテルトオモッテ……ワタシノコト、サガシテルオモッテ……」
そう言うと、えのきみたいな足でてちてち駆けて行き、うんざりした顔のさくらにそっと寄り添った。
北海道からやつか町までそのか細い脚で歩き通すには大変な苦労があったはずだ。
もちろん部屋お片付け呪文が開発されるまで年間5~6セットのワイヤレスイヤフォンをなくし、なくしたらなくしたで探すのを面倒くさがって買い替えていたさくらには、ワイヤレスイヤフォンへの愛着なんぞかけらもない。
なんなら今朝まではその存在を忘れていたくらいだ。
しかし、そんなことは知らない相模くんは愛犬と飼い主の愛情あふれる感動の再会的な動画を見ているがごとく目じりに涙をにじませている。
「いい話ですね……。よかったね、ワイヤレスイヤフォンさん」
「いや、いい話か、これ……? 喋るし手足もついてるんだけど」
「別に害はないので、連れて帰ってもらって結構ですよ~」
的矢樹はなにやら薄ら寒いつくりものの笑顔を顔面に貼り付けている。
単純な相模くんと違い感情のいまひとつ読めない顔だ。
しかしいまさら「何の愛着もないし、手足も生えてて気持ち悪い」とは言い難い空気ではある。
その後の三日ほど、さくらは喋るワイヤレスイヤフォンと共に暮らした。
食べるときも寝るときも風呂以外はいつも共に過ごし、たまに音楽を聴いた。
長い旅を終えたワイヤレスイヤフォンは割れた音を立てていたが懸命にさくらに尽くした。
そして三日目の朝ベッドの枕元でワイヤレスイヤフォンは冷たくなっていた。
喋りもしないし手足をパタパタさせることもない。
音楽も再生してくれなくなっていた。
もともと高級なイヤフォンではなかった。
花柄なんて好きじゃないけど安売りで、手頃なので買っただけだ。
そんなイヤフォンが北海道からの旅に耐えられるはずがなかったのだ。
精魂尽き、そして念願の主人の元に辿り着き逝った――。
さくらは慟哭した。
「ワイヤレスイヤフォン~~~~っ!!」
情が移っていた。あと、シチュエーションも良かった。
大家が危機感を覚えたらしく組合に通報が入ったが、さくらはそれも気にせずベッドに突っ伏して泣き続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます