第56話 マメタのお盆(下)


 高校生の頃、的矢樹は霊感少年として知られていた。

 同学年の生徒だけでなく、ご近所中が知っていた。本人がぜんぜんしらない同級生たちの親まで彼のことを知っていた。

 まあ無理もないと思う。

 むしろかわいそうなのは同じクラスに当たってしまった男子生徒たちだったかもしれない。学校で一番のイケメンの座と、霊感少年で不思議ちゃんという陰キャの星みたいな二大タイトルをひとりの人間に奪われた上、クラスの女子はみんなうっすら的矢樹のことが好きという状態で一年を過ごすことになったのだから。(もちろんクラスの女子はみんなうっすら的矢が好き、というのは極端な思い込みな上、「あれだけ美形だったら自分だってモテただろう」という自意識過剰の裏返しなのだが、それはさておく。)

 彼らのうち何人かは的矢樹という存在を有効活用することで抑圧された青春の溜飲をさげようとした。高校二年の夏、比較的、友好的な関係を築いていた男子生徒がこんな提案をしてきたのだ。


「女子を肝試しに誘おうと思うんだけど……って集めれる?」


 あまりにも意外過ぎる申し出に、樹少年は夢かと疑った。


「女子ではなく……?」


 当然の疑問だったと思うが、問いかけると怒られた。


「お前が集めた女子はみんなお前のことが好きだろ」


 それは言いすぎだ。

 しかし、幽霊がどうのこうのというのは、どうやら夢ではなかったらしい。クラスメイトの言い分はこうだ。

 肝試しはしたいが、ネットや都市伝説で噂の本格的なところに行くのは怖いし、警察に捕まるなどのリスクもある。しかし人を集めておいて、何も起きなかったのでは女子たちは白けて帰ってしまう。適度にスリリングで怖い目にあい、ほどよく場があったまったタイミングで安全に帰還したい。なので、適当に弱い幽霊を連れてきてくれないか、というのである。

 むちゃくちゃである。


「お化け屋敷にいったら?」

「金がかかるじゃん」

「やめといたほうがいいと思うよ」

「できるの? できないの?」

「できる。やったことないけど」


 それはあたかも、運動神経のいいやつが動画や解説書をちょっと見ただけで、あたらしい技を覚えてしまうかのようなものだ。できるか、と問われた彼は大して考えをめぐらせることはなく、やれなくもなさそうだからそう答え、同級生は「じゃあいいじゃん」と言った。

 樹は適当な、同級生たちが言うところのあまり害の無さそうな幽霊を集めた。

 とはいえ、彼は霊媒体質ではない。ここが彼の不思議なところなのだが、樹少年は幽霊は見えるものの、取り憑かれることはない。むしろ幽霊側からはうっすら嫌われているようなところがあった。

 なのでスカウトした幽霊たちはみんな元いたところから強制的に、あるいはなだめすかし、廃墟に連れていかれた者たちばかりだった。

 それぞれを階段の踊り場とか浴室とかに配置し、劇団の団長よろしく役割や台詞を与えた。廃墟は元々明治時代に建てられた病院だったので、看護婦役幽霊が電気ショックの機材を抱えて追いかけてくるとか、地下室で患者を生贄に秘密の儀式をやってるとか、そんなやつだ。


 こうして即席の、そしてマジもんのホーンテッドマンションが完成した。


 当日、同級生三人は二人の女の子をまじえて嬉々として病院に入っていった。が、誰一人として帰ってくることはなかった……。


 話を聞きながら、宿毛宅の居間はしんと静かになった。

 さくらですら黙りこくって眉間を押さえている。

 なんかちょっと涼しい気もした。


「と、いうわけなんです」


 語り終えたらしいが、終わった気はしない。


「それって可能なんですか? 宿毛さん」


 いくらか現実感のない声音で相模くんが訊ねる。

 宿毛湊は難しい顔だ。


「うーん……。個人的な才能に紐づく現象で、かなり特殊な事例だろうな」

「それで…………その後その五人はどうなったんですか?」

「結論から聞きます?」

「過程もお願いします!」

「え~っと、片付けは明日でいいか~って思って肝試し当日は寝ててよくわかんなかったんですけど、翌朝になってめちゃくちゃ騒ぎになってて~……」

「なんで全体的にフンワリしてるんですか? 当事者でしょ?」

「地元の怪異退治組合じゃ太刀打ちできないっていうんで、最終的に自衛隊がきて、五人は病院送り、現状復帰まで五年くらいかかりました」

「だ、大事件じゃないですか!?」


 的矢樹は、ざぶとんに座ってちんまり話をきいているマメタに向き合った。


「いいかい、マメタくん。肉体を離れた魂は本来自由なものだから、無理やり何かをさせようとするとすれば、負荷がかかって悪霊化しかねない。それに、僕はいわゆる除霊とか浄霊といった方面の才能が欠けてるからか、ついてきた霊をしちゃうんです」


 さっぱりとした語り口だが、ドッペルゲンガーでも出動しなかった自衛隊が出てきたのだから、相当の被害だっただろう。

 ごめん、と言って頭を下げる的矢君に、マメタはウルウルした目を向けている。


「だから、マメタくんにおばあちゃんを会わせてあげることは、僕にはできない。マメタくんも、怨霊になったおばあちゃんには会いたくないと思う。でも、故人が姿を現さないってことは、未練がないってことだから……。それはマメタくんが一生けん命、毎日をがんばって過ごしてて、綾子さんも安心しているということなんだよ」


 マメタは何も言わずに、ざぶとんから離れると、ちゃぶ台の下をテチテチくぐり、宿毛湊の体を這い上がって首のあたりに顔をうずめた。

 小さな涙をこぼしながらちゃいろい毛玉はプルプル震えている。

 的矢樹は座布団を外して、頭を下げた。


「何も……力になれなくてすみませんでした」

「いいや。よくやってくれた。ありがとう」


 マメタはもう、暴れたりワガママを言ったりはしなかった。

 マメタはマメタなりに、なんとか「おばあちゃんはもういない」という現実を受け入れようとしているのだ。


 こうして、マメタのお盆は終わった。


 おそうめんやスイカを目にする度におばあちゃんとの思い出があふれてきて、マメタの目はウルウルになったけれど、その度に宿毛さんが慰めてくれて、相模くんが話しをきいてくれた。


 さくらちゃんはずっとちらし寿司を食べていた。





 翌日は送り火である。


 仕事を終えてから、的矢が宿毛宅に向かうと、宿毛湊が玄関先で煙草を吸っていた。焙烙皿におがらを用意して、送り火の準備は整っている。


「マメタくんは……」

「縁側で寝てる。ついさっきまで起きてたんだが、昨日は大勢客が来たから疲れたんだろう。ちょっと寝させてやってくれ」


 ちりん、と風鈴が鳴る。

 ごく小さな庭先に面した縁側で、マメタがおへそを出して眠りこけていた。

 おなかの白いフサフサした毛が、涼し気な風に揺れている。

 的矢樹は手持無沙汰になり、先輩狩人の隣に腰かけた。

 じっとりと真昼の熱を残した空気が肌にまとわりついて、虫の鳴く小さな音が聞こえてくる。マメタが起きてくる気配はない。


「花火でもするか」


 そう言って、宿毛湊が取り出したのは駅前のスーパーマーケットで売られている花火セット……の、残りだった。海水浴で遊んだときのもので、不人気だった線香花火やねずみ花火の詰め合わせになっている。

 空き缶を割ったものに蝋燭を立てる。

 男二人が線香花火に火をつけると、むなしさが火花になって散った。


「あの、宿毛先輩……俺……もし……」


 言いかけて、立ち消えた言葉の端を、宿毛湊は拾い上げる。


「謝らなくていい。お前が自分の才能を伸ばそうとしなかったのは、お前なりに、そうしないほうがいいと思ったからだろう」

「はい。自家製ホーンテッドマンションの件だけじゃなくて……。なんか、誰のためにもならないっていうか……あんまり良くないような気がして」

「薄々わかっていたが、お前は霊媒師よりも呪術師とか、そっちむきなんだろうな」

「だと思います」

「申し訳ないとか、それ以上は思わないでもいい。もともと俺たちの仕事は成功とか失敗で割り切れることだけじゃない。それに、こんな時期にマメタに付き合ってくれて感謝してるのは本当だ。地元に帰らなくてよかったのか?」


 的矢樹はオレンジ色の花火の光に照らされた苦々しい笑みを浮かべる。


「いいんです。帰ったところで実家に居場所なんかないですから」

「自衛隊案件のせいで?」

「いや。俺、いわゆる後妻さんの連れ子なんで、お盆に帰省なんかしたら、顰蹙ひんしゅくものですよ」

「そんなことはないだろう。大きい家なんだから、お母さんの手伝いをしてやればいいのに」

「……うちね、本家の人間で霊が見えるの俺だけなんですよ」


 明るい口調に徹しているが、ざらりとした手触りの言葉だった。

 その言葉そのものが、はっきりと何かを示しているわけではない。

 でも、宿毛湊には、その言葉の裏側にあるものが見える気がした。他人よりすぐれた才能を持っていても、それそのものが人を幸福にするわけではないと、思い知っているどうしだからかもしれない。


「そうか」

「そうなんです」

「的矢、これだけは言っておく。俺も、事務所のみんなも、お前がやつかに来てくれて助かってる。ありがとう」


 返事はなかった。

 ぽたりぽたりと炎の粒が落ちる。


「そろそろマメタを呼んでくる」

「待ってください、先輩」


 立ち上がろうとした宿毛湊を制して、的矢樹は腰を上げた。

 それから、庭のほうに向かって声をかける。


「もうお帰りですか?」


 庭には、まえの家主が置いて行ったプランターがあるだけで、他には何もない。

 縁側でマメタはスヤスヤ寝息を立てていた。風もないのに風鈴がちりんと鳴る。


「マメタくんは疲れているから、もう少し寝かせあげてほしいそうです。僕らだけでお送りしましょう」

「ああ……そうだな……」


 的矢樹が何もない空間をみつめて、じっと聞き耳を立てる様を、宿毛湊はぼんやり見上げていたが、あわてて新聞紙の切れ端に火をつけた。


 明け方、マメタはすっかり元気になって起きてきた。

 そして画用紙を引っ張り出してきて、お手紙を書くのだと張り切っていた。


「おばあちゃんがね、来年も来るからげんきでねってゆってたの!」


 うれしそうに言いながら、クレヨンで『まとやくんありがと!』とヘタクソな字で書き上げた。


 マメタは夕方から晩御飯も食べずにずっと眠っていたはずだが……。


 もしかしたら夢の中で会えたのかもしれない。


 宿毛湊が縁側をみると、出した覚えのない団扇うちわが置かれていた。

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