第57話 天使が通り過ぎた日


 七尾支部長と賀田さんが同じタイミングで昼食に出かけ、事務所には二人だけが残っていた。

 相談に来る客の姿もない。静かな事務所には、受付のテレビでエンドレスで再生されている白熱大陸の録画の音声だけが流れている。


「相模さん、そういえばなんですけどね」


 やけににやにやした顔で狩人の的矢樹が事務員の相模くんに話しかける。


「なんですか?」


 処理中の出張届を脇にやって、相模くんは聞く態勢になった。


「あのですね。この間、僕が行った案件なんですけど、それがすごく面白くって。絶対に誰かに話したいと思ってたんですよね~」

「それって自分が聞いちゃってもいいんですかね」

「僕から聞いたことだけは黙っといてください。それがですね――、依頼者は子どものいない熟年夫婦で、けっこう裕福そうな二人だったんですけど。事務所を通さず支部長に直接かかってきた依頼だし、最初から何かわけありって感じだったんですよね。だからか僕が行ってもなかなか事情話してくれなくて。よくよく聞いてみたら、まさかの                       だったんですよ。      生活を     しようとして、旦那さんの     が             しちゃったんですって。おもしろくないですか?」

「はい?」


 相模くんは思わず聞き返した。

 なぜだろう、急に声がうまく聞き取れなくなってしまった。


「ですから、その二人、夜の        が                  だったみたいで、インターネットを介して      を        して、    楽しもうとしたら、                    が       になっちゃって、さあ大変っていうんで支部長に直接連絡してきたんです。でもまさか    が     になって         したなんて言えないじゃないですか。だからそのふたりも困ったんでしょうね。あれやこれやと言い訳して、本当のことを聞きだすのに二時間半もかかったんですよ。まあ、夫の      を          して          として           を電車の網棚に置き忘れたなんて言えなかったんでしょうね。で、まあ、当然、鉄道会社に問い合わせるわけじゃないですか、そしたら二人に泣いて止められまして。こんな           がバレたら会社にいられないとか、なんとか。でも、このまま忘れ物の鞄を誰かが開けたら……面白すぎでしょ。そもそも奥さん、旦那さんの      を         して何しようとしてたんでしょうね? もしかして       で         するつもりだったのかなあ。それって         もんなんですかね。俺にはちょっとわかんない      だな~。んで、鉄道会社の遺失物係がその        の鞄を見つけてくれまして、中身を確認するっていうんで、例の夫婦がまたまた泣き始めちゃって。そんなの     を             するほうが悪いじゃないですか。でも可哀想かな~って、危険なものなので開けないでくださいって指示したら、なおのこと確認しないとってなったのか、興味がわいたのか知りませんけど、遺失物係の上司の人が鞄を開けちゃって。           が入ってるのを見たその人がパニクって、警察を呼んじゃいましてね。結局、鉄道会社の人と僕と警察の人が    さんの    

      を確認することになってしまったんですよ。いやあ、いくら夜の         が      でも        外れたことをするのはよくないですね」


 うれしそうに話す彼の台詞は、あちこち音が飛んで壊れかけのラジオみたいだ。

 相模くんははじめ、耳鼻科的な要因で音が聞き取れなくなってしまったのかと気をもんでいたが、しだいにこれは普通のことではないなと気がつきはじめた。

 怪異退治組合に入り、仕事をこなして、怪異に慣れ始めたのかもしれない。


「あの、的矢さん。申し訳ないんですけど、話がぜんぜん聞き取れないんです。これって怪異じゃないですか?」

「ん?」


 的矢樹は不思議そうに首を傾げ、斜め上方向をぼんやり見つめた後、「ああもしかして、天使が通ったのかな」と言った。


「天使?」

「怪異の名前がそのままずばり使っていうんです。ほんものの天使じゃないんですよ。フランス人の狩人が名付けたから、おしゃれな名前なんです。至近距離でもう一回話しかけるので、よく聞いていてくださいよ」

「はい」


 的矢樹は相模くんの耳元に唇を寄せて、何事かを囁いた。


「                。どうですか?」

「全然だめです」


 全く何も聞こえない。吐息を感じただけだ。

 的矢樹は訳知り顔で頷いた。


「これは、誰かが猥談わいだんを話していると現れて、に規制をかけていく怪異なんです。自然にいなくなると思うけど、三日は猥談ができないな……」

「そんな怪異があるんだ……」


 テレビで、発言がピーという音に差し替えられることがあるが、それの現実版ということだろうか。猥談を楽しそうに話すおじさんに若者が目をひそめる、なんて光景は定番の現象だが、あらかじめ聞きたくない発言を封じてくれるなんて、ちょっと親切かもしれない……と思いかけて、相模くんははっとした。


「ってことはさっき、僕の耳にわいせつな言葉をささやきかけたんですか?」

「え? なんですか? そんなまさか~」

「き、聞こえてないとはいえ、いったい何を……。っていうかさっきの全部いやらしい話だったんじゃないですか。汚された! 僕の耳が的矢さんに汚されましたよ!」


 がたり、と背後で物音がする。

 カウンターの向こうに昼休憩から戻ってきた賀田さんが立っていた。

 賀田さんは冷たい氷みたいな眼差しを狩人と事務員に向けてくる。

 そして黙ったままロッカールームに入って行った。

 そのことについて賀田さんはコメントすることこそなかったが、後日、相模くんと的矢樹は七尾支部長からやんわりとした注意を受けることとなった。



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