第46話 ホリシン・サマー・バケーション(中)


 的矢樹まとやいつきが小さくなってジオラマに入り込んでしまった。


 やつか町広し、怪異多しといえど、かつてこれほどの危機ピンチがあっただろうか。あったかもしれない。水とか。

 しかし今回のこれはさすがに狩人の手には負えないと、急遽きゅうきょやってきたのは諫早いさはやさくらだった。

 魔女は精巧なジオラマを覗き込み、不思議そうに首をかしげた。


「んんん~~~~?」


 とにかく急ぎで頼む、と言われたにも関わらず、たっぷり二時間かけて現場にやってきたさくらは、シースルー素材のふんわりそでの黒トップスとタイトスカートを履き、口紅とハンカチしか入らそうなハンドバッグを片手にあでやかな女子大生風を決め込んでいた。

 左右で合計四枚の付けまつげを貼り付けた視線の先で、小さくなった的矢樹が所在無げにぼんやり空を見あげている。


「なんとかなりそうか?」

「ん~~~~………」


 狩人に問われて、さくらは首を反対側にひねる。


「とりあえず、触ったら吸い込まれる的なトラップみたいなのは感じないわ。まあ、出してあげるのはあげられるわよ。ただし、体の大きさはそのままだけどね」

「それじゃ意味がない!」

「落ち着きなさい。そんなに簡単に出せるんなら、最初から入れないわよ」

「それもそうか……」

「全然理屈が通ってないですよ、宿毛さん。もしかして軽くパニックになってませんか? そこで納得しちゃだめです」


 相模さがみくんに揺さぶられて、狩人はわずかに冷静さを取り戻した。

 わざわざ魔女まで呼び出したのに、なんの解決にもなっていないのである。

 解決の糸口を見出したのは、結局、ジオラマに吸い込まれた被害者的矢本人だった。彼は突然、はっとして、浜辺を離れて森のほうへ飛び込んでいった。


「宿毛先輩! これ見てください!」


 そう言って、灰色のかたまりを引きずってきた。

 それは……おそらく人間だった。砂埃にまみれた服は裾が切れてボロボロ、手足はせこけ髪の毛やひげは腰のあたりまで伸びきって、手入れが行き届かずに毛が絡んだトイプードルのようになっている。


「なんだその汚いのは。元いたところに返して来なさい!」

「宿毛先輩落ち着いて。この人、いなくなってたホリシンさんじゃないですか?」


 そう言われてみると、容姿……はボサボサの髪と髭に紛れてよくわからないものの、毛先のほうのツートンカラーに名残りがあった。最近ホリシンは動画配信者として目立とうとして、髪の毛をピンクと緑に染めていたのだ。


「ホリシンさん、どうしてジオラマの中に……? というか、どうして森の中に隠れていたんですか? みんな心配してたんですよ」


 相模くんがジオラマ越しに語りかける。


「いやっ。助けを求めてはいんたんですけど、きゅ、急に物凄いイケメンが島に来たのでビックリして」


 さくらは訳知り顔で頷いた。


「確かに、急にシュッとしたイケメンが部屋に来たらビックリもするわ。ショックで死んでいてもおかしくないわね」


 そうだろうか。

 相模くんは少し疑問に思ったが、話が進まなそうだったので黙っていた。

 ホリシンは砂浜に正座し、何故ジオラマの中にいるのかについて話し始めた。(実際は体が縮んでいるので天に向かって叫んでいるのだが、描写がやかましくなるので割愛かつあいする。)


「はじまりは、大学時代の先輩が急死したという連絡が来たことでした……」


 数少ない魔法工学科の貴重な卒業生であったその人物は、卒業後一般企業に勤めていたがほどなくして退職、ゲーム会社を起業した。

 ゲーム好きだったことはもちろんのこと、魔法工学という専門分野を生かしたいという、かねてからの念願を叶えるための起業であった。

 しかしゲーム会社は数年で頓挫とんざし、ホリシンの先輩は多額の借金を抱えたまま失踪してしまった。

 そしてつい最近、死亡したという連絡がホリシンの元に届いたのだった。

 先輩はアパートの契約時、緊急連絡先としてホリシンの名前と電話番号を指定していたようだ。もう何年も連絡を取り合っておらず、特に仲が良かったという記憶もないが、借金もあって困っていたのだろう。

 アパートの管理人が遺品だけでも取りに来てほしいと言うので、ホリシンは追悼ついとうの気持ちで向かった。


「断じて、動画のネタにしようと思ったわけじゃありません!」


 わざわざ断るところが怪しい。

 さて、先輩の部屋はがらんとしており、貴重品と呼べるものもなく、遺品として渡されたのは彼の会社が最後に手掛けたゲームと、販促はんそくのために用意したのかやたら立派な無人島のジオラマだけだった。

 ホリシンはそれらの遺品を持ち帰った。

 そして先輩の残した最後のゲームを使ってゲーム実況を配信することにしたのだ。


「だって、あんまりやる瀬ないじゃないですか……。魔法工学って最初こそチヤホヤされてたものの今じゃ学会にも無視されて、ほとんどオカルト扱いです。同級生たちもみんな、まともな職にもつけなくて。魔法でロケットを飛ばしてたやつらが毎日駅で名刺を配ったりトイレを素手でみがいたりしてるんですよ。そんなのあんまりですよ」


「魔法でロケットを飛ばすってスタイルがそもそも問題なんだよな」とさくら。

「劣悪な業務内容だが、別口の問題だと思う」と、冷静を取り戻した宿毛が言う。


「先輩もどれだけ無念だったことか。せめて最後に一華咲かせてやりたいと思って、ゲーム実況に望んだんです」


 そうして配信中にジオラマを披露しようとしたら、吸い込まれて、気がつくと南国の島にいたのだ。


「皆さんが来てくれてほんとに……なんとお礼を言ったらいいか!」

「まだ助かってないけどな」

「明日から小さいおじさんとして暮らしていくということでいいなら、出してあげられるわよ」

「いや、ほんと、他人がいるってだけで感動ものです。もう十年くらい、誰とも話してなかったので!!」


 一瞬、時が止まった。


「じゅ、十年……!?」


 相模くんが驚愕きょうがくの表情を浮かべる。

 ホリシンは不思議そうな表情だ。


「いやあ、まあ、この島、僕が取り込まれていた間は日が暮れなかったんで、正確なところはわからないんですが、寝て起きての繰り返しを数えたら、たぶんそれくらいはいってるんじゃないかなあと……」


 ホリシンが消えてから、現実の時間では一週間ほどしか経過していない。


「やばいな、玉手箱たまてばこ式だわ……」


 さくらもドン引きである。

 現実の時間がわずかでも、ジオラマの内部ではとんでもない時間が経過しているのだ。このままだと、ジオラマ内に引き込まれた的矢樹も、出て来る頃にはおじいさんになってしまう可能性もある。


「あっ、でも、安心してください。十年って言ってもですね、なんか、普通の十年じゃないっていうか、現実離れしててボンヤリしてるっていうか……えーと。学問の徒としては、根拠のない推測を述べたくはないんですが……」

「スッキリしゃべりなさいな。実況者にはあり得ない語彙力ごいりょくよ」

「ええい、僕も後天的魔法使いの端くれです。おそらく、この島の時間はゲームに連動してるんだと思うんです」


 部屋に残った面々の視線は、大画面のモニターに大写しになった『トロピカン・サマーアイランド』に向けられた。


「先輩は、おそらく起死回生きしかいせいをかけて、完全没入型のゲームを作ろうとしていたんです! つまり、ここはゲームの中なんです。ゲームをクリアすれば、僕らは外に出られるはずなんですよ」

「魔法工学……なんて厄介な学問なんだ…………!」


 狩人は眉をひそめてうなった。

 




 調べたところ、トロピカン・サマーアイランドはホリシンの先輩、大村隆おおむらたかしが社長を務めていたゲーム会社が販売する主要タイトルだ。一作目はそこそこ順調に売れたが二作目が大コケ、シリーズ三作目の発売間近に会社が倒産したようだ。

 この作品はシリーズを通して無人島が舞台になっており、アイランドシリーズと呼ばれている。


「過去の二作品とシステムが同じなら、無人島で田畑を耕したり建物を作って、島の人口が目標に達すればクリアとなるようですね。意外とシンプルな内容ですよ」


 相模くんがスマホで攻略情報を検索しながら説明する。

 ホリシンの先輩には悪いが、火山島や北極圏の島を舞台にしたシリーズ二作目『サバイバルアイランド』がいわゆる『クソゲー』と呼ばれていたおかげで、インターネット上には無数の攻略情報や動画が行きかっていた。

 電子世界の集合知を頼りに、モニターの前には相模くんと宿毛、そしてさくらが並ぶ。コントローラーを持つのは狩人の宿毛だ。


「とにかく、二人を助けるためにやってみるしかないな」


 ゲーム開始を選ぶと、誰だか知らない野太い男の声が「ビィ~バッ! トロピカン!」と叫んで、プレイヤーキャラクターの選択画面に移動した。


「プレイヤーキャラクターが選べるのか……」


 的矢とホリシンのイラストが仲良く並んで表示される。


「先輩、俺を選んでください。もしかしたら、選ばれなかったホリシンさんは助かるかも!」


 隣に置いたジオラマから、的矢が大声で叫ぶのが聞こえた。

 しかし、そういう甘い考えがゲームに見透かされていたかのように、選択されなかったホリシンのイラストに『サポート』という文字が表示された。

 画面が暗くなり、短いモノローグが始まった後、新しいマップが生成される。

 それに連動してジオラマ内部が変形した。

 元は一つの島だったものが、四つの島に別れていく。

 細かい地形も変化して洞窟どうくつや鉱山が地面から生えた。

 その後、チュートリアルが始まった。

 男性の声のナビゲートに従って、小屋を作ったり、簡素な桟橋さんばしを建てたり、畑を作ったりしなければならないようだ。


「まずは寝床の確保からだな」


 何気なく小屋の建設を選ぶと、ホリシンと的矢がいる浜辺に建材や工具が空から降り注いだ。


「これ、もしかして俺たちがやらないといけない系なのかな」

「たぶんそうです……」


 的矢が話しかけると、ホリシンは青い顔で答えた。

 まずいと思ってるのは島の外の面子めんつも同じだ。


「ちょっと待ってよ。こいつらが小屋が建てるのを待ってたら、それだけで何時間もかかるわよ」

「待ってください。どこかに作業時間を短縮する機能があるはずですよ」


 攻略情報サイトを素早く検索し、相模くんが指示をする。

 シュミレーションゲームにはありがちだが、ゲーム内の時間が流れる速度はプレイヤーの意志でコントロールできるようになっているはずだ。


「だが、それをするとあり得ないスピードで老化も進むことになる」


 宿毛は渋い顔だが、どのみちジオラマから出られなければ小さいおじさんとしてとしを取っていくしかないのだ。

 覚悟を決めてゲーム内の時間を進める。

 的矢とホリシンが倍速モードでちょこまか動き、小屋を建て、桟橋をつくり、畑を耕していく。チュートリアルが終わった頃には、現実で一時間が経過し、ジオラマ内部の二人はクタクタになっていた。

 ゲーム内の時間でも三日は経っている。

 画面には空腹を示すアイコンが点滅していた。


「これは、かなり厄介なゲームだな」


 畑は作れたものの、作物が実るまではまだまだかかる。

 その前に二人が飢え死にしてはたまらない。

 マップを検索すると、浜辺から離れたところに、資源としてマンゴーが実っていることがわかった。


「的矢、その場所から移動できるか?」

「任せてください」


 疲労でやつれた顔ながら気丈に頷くと、的矢はマップ上に示されたアイコンまで移動しはじめた。

 本来なら道を作らなければいけないのだが、ホリシンは作業小屋で倒れたまま動かず、二人で道路を作る余力はない。


「うっ!」


 やぶに踏み入ってしばらく歩いていると、的矢が唐突に声を上げた。

 その腕に緑の斑模様まだらもようの毒々しい蛇が食らいついていた。


「何が起きた!?」

「的矢さん、しっかり!」


 もんどり打って地面に倒れた的矢の表情が苦痛にゆがんだ。

 顔色がどんどん悪くなり、真紫になっていく。痙攣けいれんが始まって、唇から白い泡が漏れた。

 だが、ジオラマの外からはどうしようもない。

 なすすべもないまま、とうとう動かなくなった。

 モニターに『YOU DIED』の血文字が現れた。


「ちょっと、し、死んじゃったんだけど……」


 さすがのさくらも声が引きつっている。

 相模くんは表情を青くしたまま口元を覆い、言葉もない。

 宿毛湊もコントローラーを手にしたまま絶句していた。

 場違いなラテンのリズムのBGMだけが賑やかに部屋に流れていた。

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