第40話 的矢くん大怒られ



 的矢樹まとやいつきの精神性を理解するのは非常に難しい。



 百人の女性がいたら百人全員が振り返るほどのイケメンというだけでなく、強めの霊感持ちで、誰かと一緒にいても一人だけ違う方角を見つめてるようなところがあり、近づきがたさに拍車をかけていた。

 相模さがみくんがそのことをとりわけ深く理解したのはとある夕方のことだった。

 その日は親戚の冠婚葬祭だとかで七尾ななお支部長は欠席、賀田かたさんは午前中で退勤しており、事務所には的矢樹と相模くんの二人だけであった。

 そろそろ施錠して事務所を出ようかという頃になって、血相けっそうを変えた男性があわただしく事務所に入ってきた。

 パニックになっている男性を何とか落ち着かせて話を聞いてみると、どうやら小学生の息子についての相談らしい。

 男性の息子はやつか町の小学校に通う三年生で、三日前から高熱を出して学校を休んでいる。今日は熱がいっこうに下がらず四十度を超えてしまい、現在入院手続きを取っているところだという。

 まあ、これだけならよくある『子育ては大変だ!』という話で、組合の出る幕ではない。

 だが熱に浮かされた男子児童がしきりに「オマモリサマ」という言葉を口にしたため、両親は大いに慌てることとなった。


「ご存知ですよね、オマモリサマって」


 相模くんと的矢樹は顔を見合わせた。

 どちらの顔にも『何それ』と太字で書いてあった。

 そんな様子に父親は不安げな顔つきになる。

 プロなのにそんなことも知らないのかと言いたげであったが、的矢樹が愛想よく「僕、東京からの出向なのでやつかのことは勉強中なんです」と言うと、ある程度は納得した様子だ。

 東京というお札には世間知らずを守ってくれる効果があるのだ。


「なんでも、この辺に古くからある土地神みたいな存在らしいんですけど……。小学生の間ではオマモリサマと呼ばれてて、オマモリサマのほこらでおまじないをすると願いが叶うそうなんです」


 そう言って父親が見せてきたスマホの写真には、どことも知らないやぶの中に置かれた石の写真が写っていた。

 とくにまつられている様子はないが、周囲には白っぽい小石が積み上げられていて、異様な雰囲気を放っている。

 なんでもこのオマモリサマの周囲を白い小石を持ってぐるりと回り、三つ積み上げることができたら願いが叶うのだそうだ。

 もちろん、ひとりで目を閉じたまま石を積み上げるのは難しい。

 かならず友達と一緒に来て、誘導する係をやってもらう必要がある。

 スイカ割りみたいなものだろう。

 そのゲーム性と相まって、小学生児童のかっこうの遊び場になっているのだそうだ。


「ただし、その際に既に積み上げられているほかの石を崩してしまうと、罰が当たるそうで……」

「息子さんは、そのおまじないに挑戦されたのですね?」

「友達数人と遊び半分でやってみたらしいんですが、仲間うちでも調子のいい子がわざと息子を押して、派手に崩してしまったようなんです」


 息子が急に高熱を出したのは、そのせいではないか、というのだ。

 もちろん、はじめから噂を鵜吞うのみしたわけではない。

 だが、子どもの容体ようだいが悪くなっていくうちに何となくオマモリサマのことを調べはじめ、おまじないに失敗して事故死した子供がいるだとか、その正体はやつかが飢饉ききんに陥ったときに無念の死を遂げた悪霊の集合体だとか、その手の嫌な情報ばかりが集まってきて、とうとうパニックに陥ってしまったというわけだ。


「的矢さん、何かわかりますか? やつか小学校のことなら、久美浜くみはまさんがお詳しいですよね。連絡してみましょうか」

「うーん……」


 的矢樹は父親のスマートフォンを受け取り、写真をじっと見つめながら何事か考えている様子だった。


「久美浜さんを呼ぶにしても、下調べしといたほうがよさそうです。もし相模くんが良ければ、俺、これから現場に行ってみようかと思うんですけど」

「何故、僕が良ければなんですか?」

「事務所に残って連絡対応をしてほしいので」

「あ、そうか。そうですよね……それは全然構いませんけど」


 退勤の時間はとっくに過ぎているが、他に人もいないので何かあったときの対応は相模くんがやるしかないのである。


「でも、的矢さんは大丈夫なんですか」

「車に道具も積んできてるし、全然大丈夫ですよ」


 相模くんがたずねたかったのは、ひとりでの夜間対応のことだ。

 やつかではどんな案件であれ、安全対策のために日が落ちてから狩人一人が対応することはほぼ無いのだ。


「もちろん。こういうときのために僕がいるわけですから」


 その後、父親は病院に戻り、的矢樹はオマモリサマとやらのところへ出かけていった。

 ひとりで事務所に残された相模くんはパンフレットを二つ折りにするというどうでもいいような事務作業をしつつ、連絡を待ち続けた。

 三十分くらいして現地に到着したというメッセージが届いた。

 その頃にはすっかり手持ち無沙汰ぶさたになっていた。

 何もしないでいるのも気持ちが悪いので、相模くんもできる範囲でオマモリサマについて調べてみた。

 依頼人は土地神だと言っていたが、やつか支部内の寺社仏閣じしゃぶっかくとその祭神をまとめたファイルにはそれらしき名前は見当たらない。

 過去数年間の依頼にも類似のものはなかった。

 依頼者のように情報がありすぎても不安になるが、無さすぎても逆に不安になるものだ。

 妙に落ち着かない気分でそわそわしていると、現地到着から一時間ほどして、待ちかねた電話連絡があった。


「的矢さん、無事ですか? 何かまずい状況になってたりしませんよね?」

「あ、相模さん。オマモリサマなんですけど……ええっと」


 電波の状態が悪いのか、ひどく雑音が混じっている。


「少し手間取りそうで……。事務所に戻るまでもう少しかかりそうなんですけど」

「ぼ、僕のことはいいんです。的矢さんが無事ならそれで!」

「あ、そうですか。じゃあ、えーと。詳しくは戻ってから説明しますけど、危険なんで久美浜さんは呼ばなくて大丈夫です」

「危険って、どれくらい危険なんですか……?」

「それも、戻ってから説明します。影響があると良くないので、連絡はこっちからしますんで。それじゃ」


 いつも話が通じない割ににこやかで愛想のいい的矢だが、今回はどこか無機質で強張った口調だった。


 なんだかいつもと様子がちがう。


 事務所支給の携帯電話を机に置いたまま、相模くんは少しばかり戸惑っていた。


 もしかしたら、実はまずい状況なのでは?


 霊感も経験もない相模くんには推測することしかできないが、いつもと違う態度は何だか不安要素のひとつに思えた。

 しかし、今夜は支部長もいないし、どうすることもできない。

 それから一時間ほど無音の事務所でまんじりとし、相模くんは思い切ってスマホを手に取り、狩人の宿毛湊すくもみなとに連絡を入れてみることにした。

 事情を聞いた宿毛は「わかりました。これから現場に行ってみます」とだけ言い、すぐにオマモリサマの元に向かってくれた。




 

 翌日、やつか支部の事務所には、床に正座させられた的矢樹と静かに怒り狂った宿毛湊、疲れ果てた相模くんの三人がいた。


「自分が何をしたのか言ってみろ……」


 宿毛湊は修羅しゅら夜叉やしゃみたいな顔で、聞いたことがないほど低い声で凄んでみせた。

 的矢樹は半泣きで項垂うなだれている。


「すみません、事務所で写真を見たときから、絶対に大したことないってわかってたんですけどぉ……。相模さんがずいぶん心配してくれてるなーって、魔がさして、ちょっと話を盛っちゃったと言いますか……」


 半泣きの的矢が言うことには、オマモリサマは全く危険な存在では無かった。

 兼業狩人の久美浜からの情報によると、オマモリサマが願いを叶えてくれる土地神だというのはここ数年で出回った完全なるデマで、子どもたちだけが信じている、いわゆる学校の怪談のような存在だったようだ。それで死亡した例もない。

 悪霊も誰かが悪ふざけで言い出しただけで、根も葉もない噂なのだ。

 つまり子供が石を倒して熱を出したのは全くの偶然でしかない。


「子どもたちの執着心とかは感じましたけど、霊的なものの影響はほぼなかったんです。現地に行って、ウロついてた低級霊は散らしときましたけど……それも念のためで……」

「つまりオマモリサマの件は霊障ではなかった……ってことですよね」

「はい」

「じゃあ、いったい何故……僕を心配させるようなことを言ったんですか……?」


 しょんぼりしている的矢樹の代わりに、宿毛が答える。


「こいつは五歳児なんだ。大方、相模さんにめられたかったんだろう。やつかにこいつと同じくらい見える狩人はいないし、危険な怪異と言いはっても確かめる術はない。そうすれば心配もしてもらえるし、解決したときに評価もされると思ったんだろうな」

「すみません……」

「すみませんじゃない。こういうくだらないウソをついて信用を落としてどうするんだ。いざ本当に危険な案件が来た時に救援が遅れるかもしれないんだぞ!」


 相模くんは驚きのあまり声を発することさえ忘れていた。

 的矢の取った行動はまさにオオカミ少年そのもので、社会人とか常識とか公共性みたいなものが全く存在していない。

 確かに、以前、何かの折に的矢が自分自身を『褒められたいタイプ』だと評していたが、まさかこれほどまでとは思わなかった。

 その後、的矢は会議室に連れて行かれ、宿毛湊から詰められるだけ詰められていた。


「…………ありゃもう病気だな。あいつの悪い癖は東京からの申し送りでわかってんだけどさ。付き合わせちゃって悪いね相模くん」


 孫の手で背中を搔きながら、心底あきれた口調で七尾支部長がつぶやいた。

 眉毛がハの字になっているので、相当あきれ果てて怒りもいてこないといった様子だ。


「なんか、ふつうの霊能力者のイメージとは違いますね。的矢さんって……」

「的矢の場合、性格に難アリではあるけど、ほかに代わりがいない人材ってのは間違いないんだよ。霊が見えるって才能もピカイチだし、見えるわりに自我がハッキリしててかれたりもしないし、逆に悪いもんを呼び寄せたりもしない。組合には打ってつけの人材ってんで、東京本部がわざわざスカウトして、入ってから組合の金で免許も取らせたクチなんだよね、あいつはさ……」

「そんなに凄い人だったんですね……。でもそんなに凄い人材が、よくやつか支部に来てくれましたね」

「俺は呼んでないよ」

「え、そうなんですか? てっきり……」

「宿毛を東京から呼び戻したときに、何でか知らないけど一緒について来ちゃったんだよ。いらないって言ってんのにさ。あー、困った困った」


 七尾支部長はそう言って、喫煙所に去って行った。

 相模くんはひとり、途方に暮れたまま、宿毛湊の怒鳴り声がかすかに聞こえる事務所に佇んでいた。


 後日、オマモリサマは組合の狩人が見守る中、解体された。

 小学校教師との兼業狩人である久美浜良孝くみはまよしたかにも連絡が行き、解体を不安に思う児童には手作りのお守りが配られ、噂は先細りになったとのことである。

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