第38話 いろんな水(下)


「たぁーのもーーーー!」


 マメタは『クリスタルハルモニアウォーターサーバー・ピュアピュア』の販売会社『優良天然自然派食品ゆうりょうてんねんしぜんはしょくひんショップハルモニア』のテナントが入ったビルの前でお座りし、声を張り上げた。

 店の前には『オリジナルクリスタルウォーター販売中』と書かれたのぼりがずらりと並んでいる。


「たぁーのもーーーー! おみずのませてくださいなーーーー!」


 背中に大きな荷物を背負ったマメタが力いっぱい叫ぶ。

 自動ドアが開いてスーツ姿の若い女性社員が出てきた。

 名札には『水野』と書かれている。

 地面で叫ぶマメタを迷惑そうに見下ろしている。


「あらあ、どこの子ー? 迷子かなあ」


 地味な黒髪でメイクは薄く、まじめそうな顔つきだが、小動物への優しさはあまり持ちあわせがなさそうだ。心配そうな台詞せりふがまるで棒読みだった。


「まいごじゃありません! きんいろおやまのマメタです! たのもうたのもう! すくもさんのかたきうちにきたんです! ここのおみせはわるいおみせです! みなさん、このおみせでおみずをかっちゃだめでーす!」

「まあ、こんなに小さいのに立派なクレーマー! なんてこというの、クリスタルハルモニアウォーターは安くて健康によくて合法的な素晴らしい水なのに!」

「ぜんぶうそでーす!」

「なんですって!」


 女性店員の拳が振り下ろされる前に、物陰から様子をうかがっていた七尾ななお支部長が現れた。


「うちのタヌキがすみませんね」


 羽織袴はおりばかまに帽子をかぶり、通りすがりの好々爺こうこうやを装っているが、その顔を見た途端、店員の顔色が青ざめた。


「あっ、おまえは、怪異退治組合の頭領とうりょうだな……!!」


 どうやら通りすがりの人のふり作戦は全く意味が無かったようだ。

 

「あらら? 私の顔をご存知かな?」

「しらばっくれるんじゃないよ! この前もうちらが商売してるところに手下を送り込んできたばかりじゃない!」


 顔を真っ赤にして訴えられても、七尾支部長には心当たりがない。

 むしろ手下を送りこんで返り討ちにあったばかりなのだ。

 ひどい剣幕で乗り込みたいのは組合の側だった。

 しかし記憶を手繰たぐると、何やらそれらしきものの手がかりが引っかかった。


「あぁ、もしかして相模さがみくんの合コンのときの話か……」


 支部長はポンと手を打つ。

 そういえば事務員の相模くんがプライベートでアライグマの合コンに連れ込まれ、すんでのところで狩人の的矢樹まとやいつきに連れ出された騒動があった。


「てことはあんたら、あんときのアライグマ一味いちみか。噂をすれば影だな。そんで、的矢は最初から面が割れてたってことかい」


 支部長がやれやれ、とため息を吐く。

 人間に化ける獣族はいろいろある。古来から有名なきつねたぬきのほか、最近ではアライグマやコツメカワウソなんかも変化ができるようになった。

 しかしことアライグマに関しては、獣のころから街のそこかしこに潜んでゴミをあさり、家を破壊し、害をなしてきた。

 その性質は変身を介しても社会とは相容れないものだったらしく、数々のこすっからい詐欺行為や軽犯罪に関わり、界隈を騒がせる存在と化していた。

 合コンの件でこりたと思いきや、話題の冷めやらぬうちに違う商売に手を出していたようだ。


「悪いことさえしなけりゃ、人間に化けて街にいたって文句は言わないんだよ。あんたたち、売った水に奇妙な細工をして人間を洗脳してるだろう」

「なんだって、人聞きの悪い。クリスタルハルモニアウォーターは正真正銘のホンモノだよ! 決してお金なんかじゃない。あの水のすばらしさを広めるためにあたしらは奉仕してるんだ! れっきとしたボランティアだよ!」

「アライグマがボランティアだって?」

「ああ、そうだよ。何がおかしいってんだい!」


 女店員、水野は口の悪さを隠そうともせずに叫んだ。

 感情がたかぶったからか、目の周りに黒いあざのようなアライグマの模様が浮かび上がる。


「まあ、そんなにいいもんだっていうなら、このジジイにもひとつ、その良さを教えてもらおうかねえ」

「マメタとしょうぶだー!!」

「ふん、いいだろう。のすばらしさ、お前たちにも教えてやろうじゃないか!」


 妙な展開ではあるが、そういうことになった。

 アライグマ水野はズカズカと大股で店舗へと入っていく。

 店内ではウォーターサーバーのほか、無農薬栽培の野菜や果物、米や乳製品、保存料を使わない手作りお菓子などが販売されている。

 水野に続いて七尾支部長とマメタが店に入ると「いらっしゃいませ!」と明るい声の店員が二人を取り囲んで、契約用のテーブルへと連れていく。

 あくまでも暴力的ではなく、笑顔で優しげな雰囲気だ。

 店舗の奥には謎めいた祭壇が置かれており、しめ縄を張られたウォーターサーバーが真ん中に鎮座ちんざして、異様な雰囲気を放っていた。


「まずはこれだ。ハルモニア自慢のオリジナルクリスタルウォーター! 純度は驚きの百パーセント! 飲み続けると老廃物が排出され、胃腸の調子を整えるほか、吹き出物が減って肌がツヤツヤになるぞ!」


 アライグマ水野は試供品のペットボトルを開け、マメタに差し出す。

 マメタは『打倒アライグマ』のハチマキをひたいにしめて、ペットボトルをグビグビやって飲み干した。

 空気をふくませたり色を確認したりと、テイスティングにもよねんがない。

 そして、結論を出した。


「ん~~~~。マメタ、これ、ただのみずだとおもう!!」


 マメタは明るい声つきで言う。


「何っ、水道水よりもさわやかでまろやかな口あたりがわからないのか!?」

「ぜーんぜん、わかんない!!!!」


 アライグマ水野は緑色のラベルのボトルを開けた。


「では、次はヒマラヤンハイオーラウォーターだっ! 鼻に抜けていくさわやかな、緑の谷を思わせる香りは上等のシャンパンにも代えがたい……!」

「おみずだね!!」

「これはどうだ。ミネラルたっぷりゴールデンハルモニアウォーター!」

「このおみず、ちょっとさびくさくない?」

「浄化水はどうだ!?」

「おみずっ!!」

「なんだと、この味音痴あじおんち!」


 四種類の水を次々に飲み干すマメタを七尾支部長は観察している。

 怪異にやられた的矢と宿毛は明らかにいつもと様子が変わっていた。

 アライグマ水野もいやしいアライグマの性質を失いかけている。

 てっきり水を口にしたせいだと思い込んでいたが、腹を水でぱんぱんにしているマメタに変化はない。

 だとすると、何が洗脳のきっかけになるのだろうか。


「マメタ味おんちじゃないもん! だったら、おねえさんがのんでみて! そんなにおいしいみずなら、ちがいがわかるはずでしょ!」

「あたりまえだ。アライグマとタヌキは格がちがうってことを教えてやる!」


 マメタはかついでいた風呂敷ふろしきを下ろした。

 そこには、的矢樹が持ち帰ったペットボトルがあった。


「えーと、どれにしようかな。あっ、ラベルはみちゃだめだよ!」


 よいしょ、よいしょと苦労しながらペットボトルを選ぶ。

 アライグマ水野は顔を覆っていたが、狡猾こうかつな性質は隠しようがない。

 しっかり指の隙間からマメタが選ぶボトルの銘柄めいがらを見ていた。

 そしてマメタが差し出したボトルから水を飲み、ドヤ顔で「これはヒマラヤンハイオーラウォーターだ!」と宣言した。

 しかし、それこそがワナだった。


「ぶーっ! ぜんぜんちがいまーす! このペットボトルの中身はすいどうすいでーす!!」

「なっ……!! 水道水だと!? お前、さっきうちのペットボトルから水を出したじゃないか」

「ペットボトルの底にちいさい穴をあけてお水ぬいて、注射器で水道水をうつしかえてライターで焼いたら気づかれずに中身を入れかえられるんだよって相模くんがゆってた」

「組合の狩人が怖すぎるんだが!」


 狩人ではなく、事務員である。

 相模くんがなにゆえそのようなテクニックを知っていたのかは、謎だ。あくまでも謎ということにしておいたほうがいいだろう。

 とはいえ、アライグマ水野には、彼女が売っていた特別な水と水道水のちがいがわからなかったことになる。


「そんな、ばかな。このわたしがお水様をただの水道水とまちがえるなんて……!」


 彼女はふらりと椅子から立ち上がり、床にへたりこんだ。

 意気消沈して変身がすっかり解けた彼女はアライグマの姿にもどり、床に散らばったスーツの上でおびえた瞳をしていた。


「もしかして、お水さまって、ただのおみずなの……?」


 その瞳には野生の輝きが戻りかけていた。

 そのとき、マメタと水野の様子をうかがっていた他の店員たちが、ニコニコしながら近づいてきた。


「そんなことないわよ、水野ちゃん。お水様はただの水なんかじゃないわ」

「お水様は素晴らしい力を秘めた水なんだよ……。この人たちはそのことをまだわかっていないだけ」

「すぐに僕らの仲間になれるよ」


 男が、女が、正気に戻ったアライグマ水野やマメタ、そして七尾支部長を押さえつけようとする。


「やあん、マメタをはなせーっ!」


 大暴れするマメタを横目に、支部長は冷静な観察眼を店の隅々に行き渡らせていた。

 その肩を押さえつけている男の向こうに、コソコソと動く店員の姿が見える。

 彼女はプラスチック製の使い捨てコップを手に、店舗の隅にある大型の加湿器のタンクに手を伸ばしている。

 七尾支部長はにやりと笑った。


「なるほどなるほど、そういう仕組みね」

「しぶちょうたすけてーっ!」


 七尾支部長は何事か得心した様子で、ふところから取り出した扇子せんすで手のひらポンと叩いた。


「『吹くからに』!」


 その瞬間、強い風が巻き起こった。

 七尾支部長以外の店内にいた人間すべて、並んでいたじゃがいもやニンジンまでもが浮き上がり空を舞った。

 バサリと広げた扇子の面には『秋の草木のしをるれば むべ山風を あらしといふらむ』の句が浮かんでいる。

 加湿器のタンクにコップの水を注ごうとしていた女性も手をすべらせ、今にも中身をぶちまけようとしていた。

 七尾支部長を扇子をひらりと返した。

 浮き上がった墨の字が『おほけなく世の民に おほふかな わがたつ杣にすみぞめのそで』の句を浮かび上がらせる。

 天井近くまで飛び上がった人々が地面に叩きつけられる。

 かわりにコップからこぼれ出た水だけがプカプカ空中に浮いていた。


「どうやら祭壇の水が怪異の元凶みたいだねえ。加湿器にこっそり入れて吸わせるなんてたちが悪すぎる。残念だけど没収させてもらうからね」

「お、お水様が……!」

「風を嵐にされたくなかったら、じっとしてなさい」


 びっくりしたマメタは床の上でぴゅうと水を吹いた。

 この後、警察もやって来て本格的な捜査になった。

 洗脳を受けた者は矯正施設に送られた。祭壇でまつり上げられていた『水』は専門の研究施設に送られ、解析結果を待っているが、どうやら水そのものに自らを拡散し、信奉者を得ようとする洗脳効果があるのではないかと予測されている。

 やつか支部の狩人二人は諫早いさはやさくらが棒で殴って直した。

 化かしあいに勝利して事件解決に貢献し、大変えらかったマメタはごほうびにステーキを食べさせてもらったという話である。

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