第36話 カッパ


 諫早いさはやさくらは自他共に認める引きこもりである。

 小学生のときにはすでに社会というもののくだらなさに辟易へきえきしはじめており、学校に通わなくなり、自主的に退学した。

 もちろん小学生を退学にできる制度などこの日本に存在しないわけだが、そんなことはさくらの知ったことではなかった。

 その後ずっと日光に当たりにくい生活を続け、今にいたる。

 引きこもりとはいえ、さくらの場合、一日中家から出ないタイプとは少々異なる。

 必要とあらばどこにでも出没する。駅前のカードショップとか、カフェとか、気になるところにはどこにでも行く。

 ただし、行った先で誰かと交流するとかは必要に迫られない限りしない。

 彼女の心の扉は常に閉じられており、そういった意味では、彼女はどこにいようが引きこもりなのである。

 さて、この日もさくらはコンビニに新商品チェックに向かった。

 そしてアパートを出てすぐ、そのことを後悔した。

 家の近くの用水路に人だかりができていた。

 町内会の人々が用水路の掃除をしているのだ。


「うわっ、明らかに出てくる日をまちがえた! くわばらくわばら……」


 ジャージ姿で、しかもスッピンのさくらは財布を手にしたまま回れ右をしようとした。

 しかしそのとき、休日をいいことに駆り出された各家庭の親御さんたちの群れに、知り合いが紛れているのが目に留まった。


「げっ! 宿毛湊すくもみなと!」

「諫早さくら。そこで何してる」


 青いつなぎを着て、長靴をはいた若者がゴミ袋とゴミ拾い用のトングを手にして立っていた。

 いつも適当にまとめてるだけの長髪をしっかりゴムで結んで、タオルで巻いている。

 おかげで目立つ白のインナーカラーは隠れているが、そのぶん左目の傷ははっきり見えた。


「いやこっちのセリフだわ……。あんたこそこんなところで何してるのよ。怪異退治組合ってドブさらいまでするの?」

「する」

「あなた心の底からビックリするくらい風景に馴染んでないわよ」

「そうか? 用水路と川の清掃は、組合が各町内会に呼びかけてやってるんだ。狩人も総出だ。今日は町を歩かないほうがいいぞ」

「うええ。そういうことは先に教えておいてよね。なんで狩人がわざわざ……」

「用水路や川にゴミがたまると、よけいな怪異が街に出てくるからだ」

「よけいな怪異って」

「カッパだ」

「………………カッパって、あのカッパ? 昔話とかに出てくるやつ? 頭にお皿が乗ってる?」


 問いかけるさくらの瞳がキラリと輝いた。


「たぶん、そのカッパだ。見たいのか?」

「え、見たいわけじゃないけど」

「見に行くなら案内するが……今は、これがな」


 宿毛湊は自分の手元に目をやった。

 彼はゴム手袋ごしに茶色い泥団子のようなものを掴んでいた。


「なあに、その茶色い団子」


 よくみると、茶色い泥団子は生まれたての仔牛のごとく細かくぶるぶる震えながら、何事かを叫んでいる。


「ぶええ……すくもさん、ここはどこ、わたしはだれ、何もみえません!!」

「やだ、マメタロウじゃない」

「マメタですう!」


 優しき茶色い毛皮の獣マメタ改め、ちゃいろい泥団子が何かしゃべっている。


「掃除を手伝おうとしてドブに落ちたんだ。今日はシャワーだな」

「シャワー! ゆうかんにたちむかったマメタにこのしうち!」


 マメタはしくしくと涙をこぼした。

 残念ながら、その状態ではシャワーどころかシャンプーだって避けられないだろう。


「よかったら、うちの風呂を貸してあげる」


 あまりにも泥団子が哀れだったからか、さくらが滅多にはださない親切心で提案する。

 狩人は不審げだ。


「風呂場までは見たことないが、他人に貸せるような風呂なのか?」

「なによ、お湯くらい出るわよ。ちいさい毛玉ひとつ洗うくらいなら洗面器でもいいでしょ。何ならあたしが洗っておいてあげる。用水路の掃除が終わるまでには乾くんじゃない?」

「そういうことじゃないが……、でも助かる。終わったらカッパを見に連れていく」

「それ、もしかしてあんたが見たいだけなんじゃない?」

「見たい」


 マメタをさくらに託した狩人は、腕まくりをして用水路の掃除に戻っていった。

 約束通り掃除が終わり、午後になってから、二人は連れ立ってやつか駅前まで出かけて行った。


「どうして駅前なの? カッパって言ったらふつう水辺でしょ。こんなところにカッパなんているはずないじゃない」

「いる。数日前から事務所に目撃報告が入ってる」


 とはいえ、そこは休日の駅前である。

 田舎でも、アーケード側の人通りはそこそこある。

 童話に出てくる妖怪を探すには、違和感がありすぎる風景だ。

 ぼんやりあたりに目をらすふたりの後ろから、ぺたり、ぺたりという異音が聞こえてきた。

 振り返ると、そこにこけむした緑色をした奇怪な生き物がいた。

 大きさは人間の子供と同じくらいだ。鳥のようなくちばしを持ち、背中に背負った甲羅こうら、手足には水かきがついている。何より、その頭部に乗せた皿。

 どこからどうみても見事なカッパだ。

 カッパは駅前広場をウロウロしながら、駅舎から出てくる通行人たちに「スモウ、スモウトランカ」と話しかけていた。

 マメタのように言葉が達者には見えない。

 わずかに覚えた音の羅列られつをそのまま繰り返しているようだ。


「ほんとにカッパだ! 昔話に出てくるやつだ!」

「カッパは多少、小型化が認められるが、現代にあっても形態変化がほとんどみられない古典妖怪のひとつだ。川の源流のほうに行くと、今でも蛍なんかと同じくらいの頻度で見つかる」

「珍しいのか珍しくないのかわかりにくい説明をどうもありがとう! ねえ、本当に相撲すもうを取るのかしら」

「取る。相撲を取って負けると尻子玉しりこだまを抜かれるのも古典妖怪と同じだ」

「え、じゃあ、けっこう危ない怪異なんじゃない?」

「危ない。だが、まあ、大丈夫だろう」


 人々はスマホやイヤフォンから流れる音楽に集中しており、足下のカッパに気がついている者は少ない。

 気がついたとしても、迷惑そうな顔をして去っていくだけだ。


「好奇心が強い子供たちには、定期的に注意喚起のチラシを配っている。それよりも、問題なのはカッパたちが本来の生息域から離れた町中にまで出てきている点だ。あれを見ろ……」


 通行人に蹴られそうになっていたのをあやうくかわしたカッパは、誰も相手をしてくれないので溜息を吐き、ぺたりぺたりと木陰のベンチまで行って腰かけた。

 そして、手に持ったペットボトルの蓋を器用に開けて、中に入った水をじゃばじゃばと皿にかけていた。


「カッパが……自分で皿の水を足してる……!」

「おそらく、水路に捨てられたペットボトルを拾ったんだろう。奴らは人類の文明の利器を利用して、長距離移動をしてるんだ」

「ああ、だからあんたたち、一生懸命、水路の掃除をしてたのね」


 宿毛湊は沈痛ちんつうな面持ちでうなずいた。

 カッパが本来の生息域を離れて街中に出現すれば、住民が尻子玉を抜かれる危険性もあるし、カッパにとってもよくない。皿のかわきだけでなく、カッパの水かきは熱に弱く、アスファルトの上を移動することでけがをすることもある。安易にペットボトルなどの廃棄物を水辺に捨てることは、怪異との共生の障害になりうるのだ。


「環境破壊の影響を受けるのは人だけではない。できれば、そのことをみんなに一度よく考えてもらいたいものだ」

「なんか珍しく教育系のオチに持ってったわね……」





 一方その頃、怪異退治組合やつか支部事務所では。


「ただいま戻りました。今日外、陽射ひざしがめちゃくちゃあっちいですよ!」


 外回りに出ていた的矢樹まとやいつきが事務所にちょうど帰還したところであった。

 彼は何故か、緑色の生き物の手を引いていた。

 緑色の生き物には、くちばしがあり、背中には甲羅を背負い、ほっそりした手足の先には水かきがついていた。どう見てもカッパである。


「おかえりなさうわーーーーッ!! ど、どうしたんですか的矢さんっ。なんかロズウェル事件みたいになってますけど!!!!」


 長身の的矢樹に腕を掴まれ、カッパは少しばかり引きずられる格好だ。

 心なしか呆然とした表情をしている。

 事務所に平然と入り込んだ怪異の姿に思わず絶叫した相模さがみくんは、慌てふためき、壁際ギリギリまで後退した。


「支部長、ほんもののカッパです!」

「見りゃわかるよ。んで、ひと目で見てわかるのが問題なんだよ」


 七尾ななお支部長は困ってるような怒ってるような顔つきでカッパを連れた的矢樹を睨んでいた。


「国道沿いに新しくできた寿司楼スシロウにいたんで連れてきました。最初は河童寿司カッパずしの店員さんが偵察してるのかなって思ったんですけど、近づいたら違いました」

「え? そんな真緑色した店員います?」

「ほら、河童寿司って河童が働いてるって言うじゃないですか」

「その話を信じてる人、初めて見ました……怖い……」


 見慣れぬ部屋に連れて来られたカッパを、何故か自分のデスクに座らせる的矢。

 七尾支部長は考えた結果「お前、責任持って河童の生息地に戻して来いよ」とだけ言った。


「支部長、的矢さんに仰りたいことはそれだけですか?」

「そりゃお前、言いたいことは山ほどあるけど、あいつが覚えてられる注意事項は一個だけだって宿毛が言ってたからな。正座させて説教すんのは後まわしだ」

「そのマニュアル、後で僕にも共有してください……!」

「えへへ!」

「褒められてませんからね!」


 相模くんの声つきは強張っている。

 その心中には河童への恐怖、そして河童を連れてきた的矢樹という得体の知れない存在への戸惑いが入り乱れていた。


「大丈夫ですよ。事務所に寄ったのは、飲み物忘れちゃったからで、すぐに返しに行きますから」


 的矢樹は平然として、隅に置かれた冷蔵庫を開けて中身を探っている。

 そして炭酸ジュースを取り出すと、蓋を開けながらとんでもないことを言い出した。


「そういえば、昔から思ってたんですけど」


 的矢樹は、カッパの皿をじーっと見つめながら言った。


「カッパのお皿に炭酸水を注いだらどうなるんでしょうね?」


 その瞬間、人間の言葉はわからないが、何か恐ろしいたくらみを察知したらしいカッパが震えあがった。


「びびらせるんじゃないよ、まったく! かわいそうだろ!」

「えへへ!」

「褒めてねえよ!」


 七尾支部長は冬の間使っていた加湿器を取り出し、急速に乾きはじめた皿に当ててやりはじめた。その一件以降、事務所での的矢樹のあだ名が「サイコパス的矢」となったことは、言うまでもないだろう。

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