第30話 ターボババアVS爆走フードデリバリー (下)



 ターボババアに遭遇そうぐうしたはぁちゃんは再戦を誓い、すぐに宿毛湊すくもみなとに連絡をしてきた。

 怪異退治組合に連絡しなかったのは、はぁちゃんにとっての幸い、宿毛湊にとっては不幸のはじまりでもあった。


「怪異と一般人の対決なんぞ問答無用で止めるべきなんだろうが、はぁちゃんはひとりでもやると言って聞かない……」


 ひとりで怪異に立ち向かい、事故でも起きたら取り返しがつかない。

 かといって組合に連絡したとしても怒られるだけで協力が得られるはずもない。


 湊ははぁちゃんの熱意に押し切られる形で段取りを整えることになった。

 まずは運転手役として前回の経緯を知っているリーさんをスカウトした。

 そして万一、ターボババアがはぁちゃんに危害を加えるようなら狩人の出番だ。

 念のための後詰ごづめとして的矢樹まとやいつきも連れてきた。

 もちろん、とてもではないが組合には報告できないので、これは秘密の作戦であり、二人はあくまでもプライベートという扱いだ。

 ちなみに峠道の出口付近には相模くんが来ていて、警察車両や一般人が入って来ないかどうか監視している。


「問答無用でウチに実家の両親連れてきた勢いはどこに行っちゃったわけ。意志がぐにゃんぐにゃんじゃないの」

「面目ない」


 宿毛湊は沈痛な面持ちである。


「狩人ふたりがかりなら滅多めったなことは起きないとは思う。だが、的矢は怪異の種類によっては全く使えない場合があるので――」

「念には念を入れてあたしが呼ばれたのね。わかってるでしょうけど、魔女の依頼料は高いわよ」

「ダブルカウントを教える」

「よっしゃ。野郎ども、配置につけ!」


 さくらは意気揚々いきようようとして軽トラに乗り込んだ。

 運転席にはリーさん。

 荷台には宿毛湊。的矢樹は別の車両だ。

 はぁちゃんを先頭に出発し、すぐにトンネルが見えてきた。

 夜中のやつかトンネルは不気味な空気が漂っていた。

 付近には展望台があるだけなので夜間は通行量も少なく、近くに民家もない。

 入口付近には壊れた公衆電話があり、明かりがついたり消えたりしているのが、ますます雰囲気を暗くしている。

 オレンジ色の街灯の光に誘導されながら、はぁちゃんと軽トラはトンネルに入っていった。

 そのとき、後方から距離を開けて追跡している的矢樹から連絡が入った。


『宿毛先輩、そっちはまだ見えてないと思いますけど、後ろから追って行ってるヤツがいますよ。公衆電話の影から出てきました』


 それから間もなく、トラックの横を風のかたまりが追い抜いて行った。

 それはあっという間にはぁちゃんに追いついた。


「はぁちゃん、出たぞ! ターボババアだ!」


 トンネルを抜ける瞬間、それは老婆の姿になって、軽トラを追い抜いて行った。

 子供と見間違えそうになるほど小柄な老婆だ。

 白髪のざんばら髪を振り乱し、たくし上げた着物のすそを引きながら、二足のわらじを目に見えないほどの高速で動かして疾走している。

 上半身を路面スレスレまで屈め、弾丸のように駆けていく。

 陸上選手のそれではなく、まるで映画やアニメに出てくる忍者みたいなフォームだ。 

 小柄な影はあっという間に先頭を行くロードバイクの前に出た。

 たちまち、はぁちゃんとの間に差ができていく。


「昼間はびっくりして腰抜かしちまったが、今度はそうはいかねえ!」


 不気味なシチュエーションではあるが、出るとわかっていれば怖くない。

 今度は運転を間違うこともなく、はぁちゃんもその背中を猛追もうついする。


「はぁちゃん、わかってるな。これはあんたとアイツの勝負だ。命を守ること以外に魔法は使わない」

「ああ、それでいい!」


 はぁちゃんはさらにロードバイクをさらに加速させていく。

 開いていたターボババアとの差が二十メートル、十メートルと縮んでいく。

 当たり前に考えたら、草鞋で走るババアと最新のロードバイクで走るはぁちゃん、どちらが速いかなんてわかりきったようなものだ。

 だが――はぁちゃんがババアの背中を捉えたそのとき、ババアはさらに急加速した。

 ありえない速度だ。

 はぁちゃんは意表を突かれたようだが、なんとか食いついて行く。

 見通しの悪い右カーブを抜けると、ババアの背中はさらに遠くに逃げていた。

 まるで蜃気楼しんきろうのようだ。

 どれだけはぁちゃんがスプリントをかけてもその差はいっこうに縮まらない。


「そういう怪異なのかもしれないな……」


 湊は苦しそうなはぁちゃんの横顔を見ながら呟いた。

 ターボババアは速さを宿命づけられた現代妖怪だ。

 高速で走る車両を老婆ろうばが人力で追い抜くという意外性が話の核になっているため、遅ければ話題にもならない。ただの道路を徘徊はいかいするボケ老人になってしまう。

 だからはぁちゃんがどれだけ追いかけても、むしろ速く走れば走るほど、ターボババアの速度もそれを上回っていくのではないか。

 そう考えるとターボババアに勝つことは絶望的に思えてくる。

 とはいえ宿毛湊の使命ははぁちゃんが事故を起こさないよう見守ることであり、勝敗は問題ではない。

 極論を言えば、はぁちゃんが勝利すると信じている者はここにはいないのだ。

 そうと知ってか知らずかはぁちゃんはペダルをこぎ続ける。

 観客も応援もない。勝利したところで得られるものもない。

 あまりにも孤独なレースだった。

 しかし、どんなに過酷で孤独なレースにも終わりはやって来る。

 重なるカーブの果てに街の光が見えて来た。


「はぁちゃん、残念だが――」


 レースの終わりを告げるため、闇の中を走っているはぁちゃんに軽トラが近づいていく。

 そのときだった。

 いきなり、暗闇が強い光で切り裂かれた。


 ゴオオオオッ!!

 オオオオオオオオオン!!


 激しい轟音に振り返ると、そこにはロケットのブースターを搭載した空を飛ぶ白い立方体が浮かんでいた。見覚えがあり過ぎるワンルームロケットだった。

 前面は硝子ガラス張りになっており、配信機材を満載したブースに頭を派手なオレンジ色に染めた若者が座っているのが外からでも見えた。


『どもどもホリシンの魔法工学で遊ぼ! にようこそ~! みんなハッピーマジックハッピー工学! え~~、今日はですね! かつてのライバルの激励げきれいに来てます! どうしたんだはぁちゃん! お前の力はそんなものか!?』


 ひどくハイテンションな声がスピーカーから聞こえてきた。

 魔法工学を学んだ迷惑系配信者、ホリシンこと堀江進二ほりえしんじの姿がそこにあった。


「誰だ、アイツに連絡したの!」


 さくらが明け放した窓から顔を出し、怒鳴どなった。

 宿毛湊が静かに手を挙げた。


「なんで!?」

「なんとなく……礼儀かと……」

『はぁちゃん、お前がいかないなら、このロケットマンション改! がターボババアを抜いちまうぞ~っ!』


 ロケットマンションが火をいた。

 ホリシンのマンションは軽トラを悠々ゆうゆうと追い抜いていく。

 かつてのライバルの応援が力になったからかはわからないが、はぁちゃんは最後の力を振り絞った。


「うおおおおっ!」

『そうだ! 行け行けーっ! お前ならやれる! やれるやれる~っ!』

「おおおおおおっ!!」


 火花を散らしながらカーブを曲がり、最後の直線で速度を増したはぁちゃんが再びターボババアを射程内に捉えた。

 ターボババアは後ろを振り返り、はじめて驚愕の表情を浮かべた。


『凄いぜはぁちゃん! そろそろゴールが近いから俺は離脱りだつするが……あれっ、なんだこのパーツ。どこの部品だ? えーと、あれ、もしかしてこれ……速度調整ノズルが……取れた……?』


 不穏な台詞が聞こえてくる。

 その瞬間、ロケットマンションが再加速した。

 スピードがどんどん上がり、前方を走るはぁちゃんの自転車に接触する。

 それでもロケットマンションの加速は止まらない。何しろロケットなのだ。ロードバイクだとか車だとかいう次元ではない。


『えっ、ちょっと待って、待って待って、ブレーキかないんだけどぉ!』


 マンションに押され、はぁちゃんの自転車がターボババアの背中に追突する。

 玉突き事故である。


「えっ?」


 これまで事故を引き起こしたことはあっても巻き込まれたことはなかったのだろう。

 突然のことにババアは対応しきれず間抜けな声を漏らした。

 高速すぎて制御を失ったマンションは、はあちゃんとターボババアを前方に引っ掛けたまま急加速し、空に打ち上げられていく。

 高く、天に昇っていく。

 満月を背景にしてターボババア、はぁちゃんと自転車、そしてロケットマンションの影が浮かび上がった。


「なんか、こんな映画見たことある……」


 さくらが呟いた。


 二人と一妖怪は、そのまま限界を越えて星になって消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る