第25話 『簡単』に『ちゃちゃっと』


 マメタは宿毛すくもさんちで暮らす平和でしあわせなちゃいろい毛玉、豆だぬきである。


 この日、マメタはおうちで丸くなって寝ていた。

 そのすがたはまるでちゃいろい座布団である。

 宿毛さんはまだお仕事から帰っておらず、はやく帰宅したマメタはひとりで留守るすを守っているのである。

 豆だぬきはお気楽ないきものと思われがちであるが、おはぎや笠利かさりでお仕事をしていたマメタはほかの毛玉とは一味ちがう。

 マメタはお夕飯の時間になっても、勝手にコンロを使ってはいけないという約束をきちんと守っていた。

 宿毛さんがようやく帰宅したのは夜の八時を回ってからであった。

 玄関の扉がバタンと閉まる音でマメタは飛び上がった。

 寝ぼけまなこにリビングを飛び出して廊下をテチテチ駆けていき、防寒着を脱いでいる宿毛さんの出迎えにいく。


「すくもさんおかえりなさーい! ゴハンゴハン!」

「まだ何も食べてないのか?」

「何も食べてないです!」


 マメタは元気よく言った。

 大嘘である。

 コンロを使うなと言われたことはきちんと守っているが、冷蔵庫をあさってはならないという約束のほうはすっかり都合よく忘れてしまったマメタは、ハムを2パックももぐもぐした後であった。


「今日はおそかったですね。すくもさんもおなかがぺこぺこでしょう!」

「実は支部長に誘われて、夕飯は相模さがみさんたちと外ですませてきたんだ」


 マメタはあごが外れそうになるほどショックをうけた。

 そして「もしかしてマメタはもう二度とごはんが食べれないの?」という顔をして四つ足をもつれさせよろめいた。


「だから、今日は簡単なものでちゃちゃっとでいいよな」


 その言葉を聞き、たちまちマメタは地面から三十センチくらい飛び跳ねた。

 宿毛さんは台所に行き、冷蔵庫の中身を確認している。

 マメタはわくわくしながら料理が出来上がるのを待った。

 足元でウロウロするのが危ないと言われて居間に追いやられてからは、テレビを見ていた。

 有名な動画配信者が逮捕されたというニュースをやっており、コメンテーターが「ちょっと面白くないですか?」とコメントし、ひんしゅくを買っていた。


「ほら、できたぞ」


 三十分くらいして、宿毛さんが皿を二つ、こたつの上に置いた。


「わあ! これぜんぶマメタのですか?」

「ああ、全部食っていいぞ」


 何をつくってくれたのだろう。

 マメタは皿をのぞき込んだ。

 そして固まった。


 二つの皿の上には『なにか』が乗っていた。


 なにかが乗っているのだが、それがなんなのかはわからなかった。

 もちろん、宿毛さんが料理してくれたものだということは、台所をせわしなく行き来して、食材を切ったりいため合わせたりしていた様子を観察していたので知っている。

 だが、その皿の上にあるものが何なのかはわからない。

 左のサラダボウルには、ほんのりパステルグリーンをしていて時折オレンジ色と紫の発光がみられるモヤモヤしたものが盛り付けられている。

 右側のどんぶりには、あわいベージュ色の、丸いような、それでいて鋭角なような形状をしていて、なおかつフローラルな香りをただよわせていた。

 どちらも皿の上にあるのはわかるのだが、言葉にはしようととたんに逃げていく蜃気楼しんきろうのような、曖昧模糊あいまいもことしたヴェールをかぶっていた。


「……すくもさん、これなんですか?」

「ん? こっちが『簡単』で、そっちが『ちゃちゃっと』だ」


 宿毛湊すくもみなとはまじめな顔で言った。

 マメタに秘められた妖怪としての本能が『すくもさんが何だかトンチキな目に遭っているぞ』ということを告げている。

 マメタは毛を逆立て、二倍くらいに体をふくらませて『簡単』と『ちゃちゃっと』を威嚇いかくした。


「……なんだ、食わず嫌いか? 食わないならもう作らないからな」


 どうやらスクモさんには自分がおかしな目に遭っているという自覚がないようだ。

 風呂に行ってくる、と告げて居間を去っていく。

 なんということだろう。

 怪異を退治する狩人のくせに目の前で起きてるおかしなことに気がつかないなんて。

 マメタは宿毛さんちの飼い豆だぬきとしてスクモさんの目を覚まさせなければならない。

 マメタはかたい決意でもって、二つの皿に対峙たいじした。

 そして雄々おおしいうなり声をあげ、まずは『簡単』にかぶりついてやった。


 こいつめこいつめ、よくもスクモさんを!


 白いどうもうな牙で何度も何度もこらしめてやる。

 マメタは猛然と未知なるものに挑みかかり、よくんで、飲み干した。



 おいしい!



 『簡単』がなくなると今度は『ちゃちゃっと』の番である。

 マメタはすばやく身をひるがえし、どんぶり茶碗に頭を突っ込んで噛みついてやった。



 とーってもおいしい!



 こうして、あっという間に『簡単』と『ちゃちゃっと』は正体をなくし、すっかりマメタの腹の中におさまってしまったのである。


 じきに、マメタはさっきまで自分が何に腹を立てているのかも忘れてしまった。


 シャワーを済ませて居間に戻ってきた宿毛湊は空になった二つの皿と、座布団の上でふくれたお腹をほうりだして眠っているマメタを発見した。


 マメタにタオルケットをかけてやり、空いた皿を流しに下げる。

 そのときにふと、さっき自分は何を作って出してやったんだろうか、と考えた。

 記憶を手繰たぐるが、仕事終わりの疲労感と相まって思い出せない。

 少し不思議に思いながら洗い物を済ませ、その日ははやめに就寝することにした。

 

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