第21話 ドッペルゲンガー相模 (下)
事務所は種々様々なオジサンたちでごった返していた。
痩せたおじさん、太ったおじさん、町でみかけるありとあらゆるおじさんの博覧会である。
壁面に貼り出された地図には
「警察から最新の目撃情報が上がってきました、
「さっきまでここにあった油性ペンが消えた……」
「誰か近隣の保育園や学校に連絡入れたー?」
「捜索範囲の割り当てを
「なんで俺が」
「なんか支部長が経験積んでもらいたいんだってさ」
「えっ、宿毛さん指揮ですか、やですよ俺と組んでほしいです。そして未来の支部長となるであろう俺に経験を積ませてほしいです」
「
「誰か、油性ペン……」
「隣の支部から応援に五人来られるらしいでーす」
「弁当とお茶追加発注しとくね~」
「焼肉弁当がいい! 焼肉弁当! なんで毎回幕の内なの?」
「弁当代は支部長の好意による持ち出しなんだよ」
「ウソっ……! もしかして毎回……?」
「うわっ、霊薬の在庫が怪しいです。手弁当で持って来れないか聞いてみて!」
「黒の油性ペンほんとにどこ? 赤いやつで書いてもいい?」
「すみません、俺の尻ポケットに刺さってました」
「的矢くん!」
応援の狩人も駆けつけ、新入りの相模くんにとっては知っているオジサンと知らないオジサンたちが入り乱れて何が何やらわからない。
さらには何か手伝おうとする度に「相模くんはいいから」とお客様扱いで、本来なら自分がやらなければならない仕事まで狩人たちが代行している始末で、とても見ていられない。
大騒ぎをしているオジサンたちをハラハラしながら見守りながら、午後三時までにやつか支部の狩人全員と近隣区域からの応援を合わせた総勢三十数名の狩人が集まった。
支部長は町役場に出かけており、代理として
小学校教師との兼任である久美浜さんは、少しふっくらとした、優しそうなおじさんだ。
「えーと、では。本日は皆様、忙しい中お集り頂きどうもありがとうございます。えー、今回の標的はご存知の通りドッペルゲンガー、やつか支部担当区域内ではおよそ十年ぶりの出現ということで退治経験の無い方も多いと思います。
「無線確認よし!」
「霊薬確認!」
「霊薬確認、よし!」
「バディ確認!」
「バディ確認、よし!」
「今日も一日ご安全に!」
「ご安全に!」
駐車場にずらり並んだ総勢三十数名のおじさんたちが、普段は面倒くさがってやらない安全確認までしているのを見て、相模くんにもジワジワと何か大変なことが起きているのでは、という実感が湧いてきた。
徒歩や車で割り当てられた捜索地域に向かう狩人たちの合間を所在無げにウロウロしている相模くんの肩を誰かが叩く。
「相模くんは、あたしが送っていくから自宅に戻っててね。退治が終わるまで絶対に家から出ちゃダメだよ」
優しく声をかけてくれたのは狩人の
年も比較的近く、ポニーテールが若々しい。
守江さんは相模くんと入れ違いに育児休暇を取得したのだが、ドッペルゲンガーが出たと聞いてわざわざ駆けつけてくれたのだった。
「守江さん、すみません。僕のためにこんなことになっちゃって」
「相模君のせいじゃないよ。珍しい怪異だけど、出るときは出るし誰が被害に
手渡されたのは不気味なお札だった。
墨で書かれた文字がなんだか
「もしかして……ドッペルゲンガーって危険な怪異なんですか」
相模くんが不安げに顔を上げると、守江さんのにこにこ笑顔がやや引きつったように見えた。
「やだぁ、そんなに深刻になることないわよ!」
「な、なんで隠すんですか、本当のことを言ってください……!」
「隠してなんかないよぉ~大丈夫大丈夫~」
絶対大丈夫ではない気がした。
本当に大丈夫なときに「大丈夫だ」と言う人はいないからだ。
*
相模くんは数日分のレトルト食品を渡されて自宅アパートの中にこもることになった。
退治が終わるまでお仕事も休みだ。
だけど、とても喜ぶ気にはなれない。
テレビやゲームをしていても落ち着かない気分で、仕方がないので狩人全員が参加する通話アプリと睨めっこしていた。
シブチョウ『みんな~朗報だゾ。上のほうと話ついたゾ~。鍵開けていいってよ』
ピヨン、という間抜けな音が響いて、通話アプリのグループに七尾支部長からのメッセージが表示された。
それをきっかけに次々にほかの狩人たちもメッセージを送ってくる。
オガっち『さすが支部長!』
ティーチャーK『サスマタだけだとちょっと心もとないですもんね』
まとやん『わーい。ちな、どのへんまで話通ってるんですか?』
スクモン『足は』
シブチョウ『三日』
ニックネームだらけでわかりにくいが、オガっちは雄勝さんのことだろう。
ティーチャーKは久美浜さん、まとやんが的矢さんで、スクモンが宿毛さん……モリモリはたぶん守江さんのことだろう。
「鍵? ……鍵ってもしかして、事務所の奥にあるガンロッカーの鍵? 足……足って?」
狩人たちの会話には隠語が多く、相模くんにはまだ理解できないことも多い。
そしてわからないとなるとますます不安になるのが人間の性だ。
カーテンを閉め切ったまま頭から布団をかぶり、相模くんはスマホに集中する。
オガっち『三日か~キツいな~』
まとやん『あっという間ですよね。一週間くらいほしいです』
オガっち『一週間!?』
ティーチャーK『オガっちのキツいは意味が違うと思うよ。僕らオジサンだから……(しょんぼりした顔の絵文字)』
スクモン『学校関係は期間中休校になるのに、そんなに時間が取れるわけないだろ』
ティーチャーK『僕はそのほうがうれしい(舌をペロリと出した顔の絵文字) これオフレコで』
モリモリ『スクモンはどうして直接言わないの?』
スクモン『こいつ口頭で注意しても忘れる』
まとやん『サーセン』
シブチョウ『皆わかってるでしょうけど、それ過ぎたら機動隊が出るからネ。最悪自衛隊呼ぶかもね』
「じ……自衛隊……!?」
まとやん『じゃあ知事まで話あがってるんですね。了解でーす』
「ち……知事……!?」
話が雪だるま式にどこまでも大きく
守江さんは気にするなと
捜索は夜を
狩人たちは可能な限り交代しているが、大半は短時間の仮眠を取っただけだろう。
相模くんも眠れぬ夜を過ごした。
布団にもぐっていても細かい物音が気になってちっとも眠れない。
カーテンも閉め切ったままだ。
その隙間からもしも自分そっくりな怪異が覗き見していたらと思うと、考えるだけで息が止まりそうだ。
ピンク色のワンピースを着た小さなおじさんだけが、そんな相模くんに寄り添ってくれていたが、あまり心がなぐさめられなかった。
特に両親の耳には入れたくない話だ。もしも自分のせいで自衛隊なんかが派遣されることになったら、この狭い町内でどんな噂が立てられることになるかわかったものではない。
オガっち『も~駄目だ。見つからねえ! 景気づけに肉食おう、肉!』
モリモリ『お肉いいな~~~~!』
ティーチャーK『それお肉食べたいだけですよね』
オガっち『飲食代、経費で落ちるでしょ? 前は落ちたもんね!』
ティーチャーK『どうだろう、落ちるかなあ(考える人の絵文字)』
相模くんが自衛隊まで動かしたはた迷惑な男になる瀬戸際だというのに、捜索にあたる狩人たちは
オガっちから立派な肉の皿の写真が送られてきた、そのときだった。
スクモン『倒しました』
絵文字もスタンプもない素っ気ない希望のメッセージが、ぴょこんと現れた。
モリモリ『!?』
ティーチャーK『えっ』
オガっち『うそっ!!』
まとやん『駅前のチケット売り場で待ち伏せ成功です。やつかのエースこと愛すべき僕のパートナー、スクモン先輩が倒してくれました! 皆さんお疲れさまでした!』
スクモン『相模さんを回収して事務所に戻ります』
オガっち『ウソでしょ、この肉経費で落ちないんじゃない?』
サガミン『皆さんありがとうございました!』
オガっち『俺の肉は……?』
退治のほうがはやかったんで落ちないです。ごめんなさい。
サガミンは心の中で謝った。
しばらくするとアパートのチャイムが鳴った。
これで、わけのわからない異常事態は終わったのだ。この狭い町に自衛隊を呼ばれて、ご近所さんに白い目で見られてしまうこともない。
まさに、英雄の登場である。相模くんは玄関に走った。
「宿毛さん! 大丈夫でした……か……」
玄関先に立った
彼は全身に赤い血しぶきを浴びた姿だったのだ。
「…………問題ない。俺の血じゃない」
強ばった相模くんの表情をみて、狩人は言った。
「あの……宿毛さんがドッペルゲンガーを退治してくれたんですよね」
「ああ。高跳び寸前で危なかった」
「退治って……どうやって退治したのか聞いてもいいですか…………」
「本人は知らないほうがいい」
そう言って狩人は暗い表情で目を
こうしてドッペルゲンガーは退治された。
だが、インターネット上に出現した偽相模くんの痕跡を消すのには、その後、弁護士を挟んで約三か月を要したのだった。
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