覆水が盆だけじゃなくて正月にも帰ってきた

かたなり

覆水が盆に帰らなかった

 覆水が盆だけじゃなくて正月にも帰ってきた。


いやいや、冬は寒いでしょう。あんまり冷えるとあんた凍っちゃうんだから、別にわざわざ来てくれなくてもよかったのに。え?今年はバイト入れてなかったからって?


覆水はけっこう親孝行で、まめにラインとかくれる。


私なんかが親代わりでいいのかとたまに思い悩むこともあるけど、覆水がもともと入っていたバケツは私の持ち物だったのだから、私が覆水のお母さんというわけだ。どういうわけ?


とにかく帰ってきちゃったんだからしょうがない。おせち食べる?ちょっと待ってて今お餅焼くから。あんた近づくと蒸発するからこっち来るの禁止ね!

なに?こっちは冬休み入ってから食っちゃ寝の生活なんだからそりゃちょっとくらい太るわよ。腹水?溜まってねえよ!


覆水はボンクラなのでデリカシーに欠ける。ちょっと人間のことがわかっていないので、意識改革が必要だとずっと思っている。覆水を盆に、いや正月に変える。変えて見せます。なにかに。


 そもそも覆水ってなんなんだろう?もとは水だったはずなのに名前を付けて可愛がっていたら、いつからか懐かれるようになった。

水に優しい言葉をかけ続けていたら毎年盆になると帰ってくるようになった。

新幹線でいいよと言っているのに、謎の在来線を乗り継いで帰ってくる。覆水くんってそういうとこあるよね。一生青春18切符を使っている。磁気って水にはあまり良くないんじゃないの?ああ、防水のスマホだから大丈夫って?ふうん、そういやあんた500円玉貯金してたけどお札は持てないってことね。なに?うるさくないわよ、あんた普段人と話したりしないんだから、こういう時くらい話さないと。


覆水は煩に耐える。


ほらお餅、焼けたけどどうする?磯部?きな粉もあるけど。


覆水、餅を食べる。いいわよね覆水は、食べても太らなくて。


餅を食べた覆水って触るとけっこうやわらかくて、ひっぱると伸びる。福耳ならぬ福水(みず)。もしかして食材としてうまいこと使えばかなりいいんじゃないのかしら。え?売ってるの?ほんと?……ほんとだ。


覆水は正月に買える。正月価格で売っている。数の子の横とかに売っている。

結構高くて舌打ちしたら、横の覆水に睨まれた。なによ。手持ちじゃ買えなかったので、電子マネーをチャージした。覆水は楽天Edyを使っていた。覆水は覆水を買った。買うなよ。


と、パシャっ、と音がして、覆水は落ちた。覆水が落ちた、どこに?とにかく先に買った覆水を返さなきゃ──


 しゃがんだ途端に、激しい頭痛に襲われた。覆水はいつから水じゃなくなったの?それはおまえ、──が、──を倒したから、水がひっくり返って…、どういうこと?ていうか覆水が覆水を買うのって倫理的にどうなんですか?知らないわよ、覆水がほかの覆水に出会ったらこうなるってわかっていたでしょう?だれ?いい加減にしてよ、とにかくもう覆水はいないんだよ。待って、私、覆水くんのこと、まだぜんぜん知らない。私なんにも知らないよ。水蒸気を凝結させて水に戻すことを復水って言うことくらいしか知らないんだよ!


 覆水は帰らないんだよ、誰かの声が聞こえた。


唐突に、思い出した。

私だ。

バケツを庭にひっくり返したのは私だった。


気づいた時には覆水は傍にいなくて、私はひっくり返ったバケツを眺めていた。

ぼんやりと、覆水が食べたものはどこに消えていったのだろう、なんてことを考えていた。


……つまり許容量というものがあるんだ。再び、どこからか声が聞こえた。覆水が帰らないのを認めたくないがために、君が世界をひっくり返したときには驚いたが。


というと、覆水以外全部が還ったと?


卓にもどった覆水は、突然のロンにひっくり返った。あ、いや、そういう世界もあった。


月島の覆水はもんじゃを返すのが上手いそうです。すごいですね。ふざけるなよ。殴りかかる覆水を別の覆水が止めた。羽交い絞めになった覆水はふくらんで破裂する。匂いは無かった。


覆水は水ではなく、とにかく、帰ることができるものとしてすべての世界に遍在した。


私は全ての覆水を見て、彼らが帰ることができることを知った。よかった、覆水には帰るところがあるんだ。


覆水は梵(ぼん)に代える。今や覆水はブラフマン、あるいはバラモンの地位にあった。彼は私に、バケツの中にあったのは空(くう)であって、水ではないのだと滔々と語り、私はよくわからなかったので途中から寝ていた。


私の世界だけが、覆水が帰ることのできない世界だった。そして、私が帰ることのできる唯一の世界だった。

覆水、覆水はもう自由にしていいんだよ。

後悔はなかった。最初から、あるはずもなかった。


……そりゃないだろう。


うるさいわね!


 とにかく覆水はもう、二度と盆に帰ることは無かった。

庭には水たまりがあって、それはやがて消えてしまうってことが、もう私にはわかっていた。

だけど同時に私はもう知っているのだ。

そう、私が帰れない世界に、いつだって覆水はいて、あらゆるところに帰りまくっているんだって!

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覆水が盆だけじゃなくて正月にも帰ってきた かたなり @katanaru

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