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ビルセゼルトの話に、ジョゼシラが面白くなさそうな顔をする。


「で、私にそんな話をするために、わざわざ、ここに来たと?」


テーブルに湯気を立てるティーカップを二客置き、自分のカップに砂糖を入れながら、ジョゼシラがため息を吐く。


「レーネの言う通り、ビリー、あなた、とんでもない鈍感男だ」


「・・・」


僅かな時間を見つけ、南の魔女の居城にジョゼシラを訪ねたビルセゼルトだった。


アウトレネルから言われたリリミゾハギの話をジョゼシラにしたところだ。


リリミゾハギがビルセゼルトに思いを寄せるなど、アウトレネルの思い過ごしだと、ジョゼシラに言って欲しかった。


けれどジョゼシラはアウトレネルの言葉を後押しし、ビルセゼルトをうんざりさせただけだった。


自分のカップを口元に運びながら、面白くない顔をするのはビルセゼルトの番だ。


「鈍感だ、間抜けだ、情けない、と言いたい放題だな ―― どうせギルドに強要されて一緒になった仲、外れクジで残念だったな」


「そんな事を言うから『情けない』と言われるんだ」


と、ジョゼシラのこの言葉には、ビルセゼルトも「それもそうだ」と笑い、さらにジョゼシラを呆れさせる。


「ビリー、あなたは相手に与えるだけで、相手から受け取ろうとしない」


「何も与えてはいないし、拒んでいるつもりもいないぞ?」


「ほら、判っていない・・・どうして見ただけでその者の才を見抜く目を持っているのに、心の機微が読み取れない? 不思議な男だ」


ジョゼシラがため息を吐く。


「ちょっとした気遣い、さり気ない労わり、無意識の尊敬――そうだね、そんな事が何の計算もなく、いわば身についてしまっていて、自分ではさっぱり判っていない。ビリー、あなたはそうされた相手が、どう思うか考えてみた事もないのだろう?」


「ジョゼ、おまえが今言った事、まるで悪いことのようだ」


「そうだね、他の人ならせいぜい『いい人』で終わる。だが、あなただと、それでは済まない。『偉大な魔導士』だの『孤高の魔導士』だの渾名されているのもあるけれど、そもそもあなたはギルド長なのだ。ギルド長に親しく話しかけられてみろ、相手は必要以上に畏まるか、喜ぶか、あるいは、自分の事を特別扱いしてくれたと勘違いする。―― おっと、そんなつもりはない、などと言うなよ」


言いたいことを先に言われた上、言うなと言われ、ますますビルセゼルトは顔をしかめる。


「だいたい、職務と関係ないところで、持ちだす気はないし・・・」


「あなたに持ち出す気はなくても、向こうは意識するという事だ。


多くの人にとってあなたは、間抜けで鈍感で情けないビルセゼルトではなく、

魔導士ギルドの長ビルセゼルトであり、王家の森魔導士学校の校長ビルセゼルトで、


学者で、偉大な魔導士で、そんなビルセゼルトなんだ。それをあなたが忘れてはいけない」


「ふぅん、なるほど・・・」

ビルセゼルトの瞳が暗く光る。


「つまり俺は常に気を張って休まる暇はない、という事だな」


「いや、そうではなく・・・」

ジョゼシラが僅かに狼狽うろたえる。


「相手を見て態度を変えるのも手だと言っているんだ」


「相手? 誰を言う? おまえか? レーネか? それは裏を返せば、自分を特別扱いしろと言っているのか? もう時間だ。俺は魔導士学校に帰る」


「ビリー、ちょっと待て、話しを聞け」


引き留めるジョゼシラに振り返りもしないでビルセゼルトが姿を消した。火のルート前に移動したのだろう。


「本当に、情けない男・・・他の女に思われているかもしれないなんて話を自分の妻にするから鈍感と言われるのだ」


ジョゼシラがぽつりとこぼす。そしてすぐに笑いだす。


「鈍感くらいでちょうどいいか」


心の機微まで読み取れてしまったら、それこそ休む暇もなくなる。あの男は、どうしたら相手の気持ちに添えるか、思い悩むに決まっている。


表に出すことはないが、ビルセゼルトはすぐ思い悩む。そして引きる。


情けない男だが、ジョゼシラには判っていた。だからこそ、愛しいのだと。そんなところも愛しいのだと。


ジョゼシラにとっては、間抜け、情けない、鈍感、は、愛している、とっても大事、そばにいて、と同義語だった。




―― グラリアンバゼルート南部センスアルティム郊外。


リリミゾハギは己が住処の裏手に続く『朝霧流れる麗しの森』を、いつものように散策していた。


トリカブトはとうに見つけ、自宅の温室で育てている。それでもつぼみを付けるまで二月ふたつきはかかるだろう。


黄色い可愛らしい花が良い香りを漂わせる木の下で、リリミゾハギは立ち止まった。


トリカブトが花をつけるまでの二か月の間、ビルセゼルトは何回、会いに来てくれる事か。


いや、その前に、誰かほかの研究者が特効薬を開発してしまうかもしれない。


そんな事になれば、ビルセゼルトがリリミゾハギを訪ねてくることなんか二度とない。


そんな思いがリリミゾハギを苦しめていた。


一人で来たアウトレネルに思わず怒りをぶつけてしまった。


ビルセゼルトでなければ話さない、なんて、なんと恥知らずなことを言ってしまったのだろう。でも、だけど・・・


そうでも言わなければ、もう会いに来てくれないのではないか? 用事があってもアウトレネルに頼めばいいのだ。わざわざ自分で足を運ぶことなんかない。


ビルセゼルトは『妻を愛している』と言った。心は妻への想いで満たされて、溢れてしまうと、ビルセゼルトは言った。


(私の入る隙間はないと、そう言ったのだ)


リリミゾハギは黄色い花を見上げた。


(諦めろと仰った。それがあのかたの優しさ。でも私はその優しさが憎い・・・)


ううん、憎いわけではない。憎いほど愛しい。


あなたの愛が、たとえあなたの妻の物でも、それでも私はあなたが欲しい。あなたが欲しくて仕方ない。


愛などいらない、ひと時でいい。ひと時、その笑顔を私に向けてくれさえすれば。


ひと時、ひと時 ―― 私を女にしてくれさえすれば。


その腕で、その胸で、私を抱いて欲しいだけ。思い切りあなたを愛したい。


力の強い魔女や魔導士が、配偶者以外を愛人にするなどよく有る話。私には、それすら望むなと、あなたは言うのですね。


ならば、私はあなたの弱みをつかむしかない。それほどあなたが欲しいのです。


リリミゾハギは咲き誇る黄色い花 ―― ゲルセミウムに腕を伸ばした。

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