僕らはいつか花火になる。
美治夫みちお
第1話 瑞稀と僕と真夏日と。
弾けた火花の光のせいで、こんな自分までもが煌めいていたのかも知れない。
まばゆい幻影は、あの夏へと導いてゆく。
今もまた夜空に消える花火を見る。
そのたび、過ぎ去った熱源の中に僕はいるのだ。
初めて来た場所、初めて向き合った人の面影を、あの優しい光と影が僕の脳裏に映し出す。
空っぽな僕に。
瑞稀は大学の先輩だった。
スラリとした長い手足、筋の通った鼻、二重のハッキリとした大きな目、小さな唇。白い肌と艶やかな黒のロングヘアー。極めて整った容貌を彼女は持っていた。
だが、何よりもその性格が強烈だった。
去年の夏だ。
街の花火大会での出会いが、僕らの始まりだった。
縁日から離れた所にある駐車場の角で座りながら、ドロドロに溶けたかき氷を僕はスプーンでちまちま啜っていた。
もはやシロップの味がするだけの水だ。口内に貼りつく甘さが気持ち悪かった。
低い位置から、往来が見える。様々な人間がそれぞれ思い思いの会話をしている。
その人混みの中、派手な恰好の女の子がいた。黄色いTシャツにデニムのホットパンツ、ビーチサンダル。
彼女、つまり瑞稀は、縁日に沿って進む人の流れの中で立っていた。
りんご飴を舐めている舌はピンク色。
頭を左右に揺らしながら、周りを眺めているようだった。
そのとき、一瞬だった、僕と彼女の目が合った。すると突然、瑞稀は笑って僕に近づいて来ると、まるで旧い友人に再会したかのように隣に腰を下ろした。
端正な顔をこちらに寄せて、話し始める。
私、瑞稀って言うんだ、K大学の二回生。
「ねえ君、名前教えてよ」
「僕の?」
「君以外に誰がいるのさ。さあ、教えてよ」
「透だ」
緊張して、声がかすれた。
「透! ねえ透、考えたことあるかい? 人間が、どうやって死ぬべきか」
初めて出会った彼女からの唐突な問いに、僕は少しのあいだ考えて、首を横に振った。
「考えたことはないけど。それは、満足して死ぬってことじゃないのか? 人生に悔いを残さず、精一杯生き抜いてから、みたいな。そんな感じの」
「意識の話じゃないの、もっと肉体的な死に方についてだよ」
「自殺や他殺、老衰や病死とか言った、あれのことか?」
「そうそう! でも、飛び降りとかガスとか刺殺みたいな、さらに具体的なものだね!」
嬉々として会話を続ける瑞稀に、僕は適当な相槌を打った。
一体何について議論を交わしているのか、自分でもよく分からなかった。
瑞稀への第一印象は、残念な美人。その一言に尽きた。
りんご飴に飽きたらしい瑞稀は、僕に残りを突き出した。
あげるよ。
そう言って、僕の手から溶け切ったかき氷をもぎ取り、一息に飲み干す。
「吐きそうなぐらい、あっまいなぁ」
「イチゴ練乳だからね」
空になった紙カップを、彼女はクシャクシャにして道端に放り投げた。
「じゃあ、またね」
「またって、どこで?」
そう聞くと、瑞稀は笑って、K大に決まってるじゃん、と言った。
そのまま人混みに消えていった。
僕は一度も、彼女に自分がK大生とは伝えていなかった。
でも、瑞稀は知っているようだった。
キャンパスのどこかで会ったのだろうか。
思い出せない。
僕は貰ったりんご飴をしばらく眺めた。
甘い匂いがした。表面が光っている。
囓られた痕を見て、鼻で笑った。
どうしろって言うんだ、こんなもの。
僕は投げ捨てた。
さっき瑞稀が捨てた紙カップの側で、ベチャッとりんごは潰れる。瞬間、胸のあたりに濃い靄のような苛立ちが溜まった気がした。
だが、その感情も次々と打ち上がった花火にかき消えた。
辺りから歓声が上がった。
花火は鮮やかに極彩色の火炎を散らす。
つぶては夜空に吸いこまれていく。
生活排水で汚れる市街の川面に反射して、真上から僕らを照らしてゆく。
駐車場で一人、最後までその景色を眺めた。
翌日、寝不足のまま頭痛を気にしながらも、どうにか朝の講義に僕は出席した。
これ以上休むのは気が引けた。
単位を落としかねない。
朦朧とした意識の中、ゆっくり席につく。
「まさか隣に座るとはね。透、君は案外、積極的な人なんだ」
すぐ真横に瑞稀がいた。
彼女は笑っていた。
昨日見せた、屈託の無い笑みで。
再会は思いのほか早かった。
瑞稀は人指し指で肩をツンツンと突いてくる。
「ねえ透、君は今日、どんな風に死にたい?」
「……轢死がいいな」
「なんで?」
そう尋ねる彼女に、花火みたいだろと答えた。
「うん、いいね」
僕の答えに、瑞稀は嬉しそうな声を出す。
本当に意味不明だ。
「なんだかなぁ」
投げやりに答えた僕は、講義が始まってから三分で額を机に押しつけた。
それから夏休みまで、彼女とはこの講義で必ず会い続けることになった。
明日に迫る夏休みの予定を大学で瑞稀に聞かれたとき、バイトとだけ伝えた。
最終講義、成績を決める確認テストの惨憺たる結果に、僕は気が沈んでいた。
その隣で、
「完璧よ!」
と、これ見よがしに満点の自己採点結果を見せつけるこの美人な変人に苛ついていた。
瀕死の人間の前で、躊躇いなく追い打ちをかけてくる。
やはり彼女は感覚が一般の人とは根本的にずれているに違いない。
そう思いながら、僕は瑞稀を教室に放置して家に帰った。
下宿のポストにA4サイズの封筒が入っていた。母さんからだった。
父さんとの離婚協議がまとまりそうだと書いてある。迷惑かけるわねと、文末に小さく添えられた母の字。
いくつかの公的書類が同封してある。
返事を書く気にもならなかった。
あまりにも疲れていた。
僕はベッドに潜りこんだ。
かつて何度も聞いた母の悲鳴と父の罵声が、耳もとでこだました。
下宿で一眠りしたら、もう太陽が見えていた。窓から差し込む陽光は真昼並みに熱い。空腹だった。
もう十一時過ぎか。
冷蔵庫にしまっていた炭酸の抜けたサイダーの残りを飲んだ。
それからダラダラと支度し、アルバイト先の喫茶店に行った。
「……なんで、いるんだよ」
「やっほー」
喫茶店のホールに立ったとき、カウンターに瑞稀が座っていた。
クリームソーダをストローで吸っている。
炭酸が効くのか、それともアイスが冷たいのか、しきりに目をつむって、こめかみを指で揉んでいた。
「帰ってくれ」
「透と話したかったのさ」
「スマホで連絡すればいいだろ」
「わたし、持ってない」
驚愕した。
僕は大きな溜め息を吐き出した。
今時スマホを持ってない人間がいるとは、紛れもなく希少種だ。
だからといって、普通バイト先まで直接会いに来るのか?
笑顔を向ける彼女から目をそらし、接客を始めた。簡単な業務、作業の繰り返しを続ける。
意識の外に彼女を押し出す。それなのに瑞稀はしきりに僕に対し、名指しで注文してくる。
もう四杯目だった。
「飲み過ぎでしょ、お腹壊すよ」
「大丈夫さ。それより早く、クリームソーダ」
僕は厨房にオーダーを通した。
少ししてグラスに入って出てきたクリームソーダを瑞稀の座る席へ乱暴に持って行った。
周りの他の客もひそひそと話している。
どうやら、彼女の噂話をしているようだ。
僕には関係ない。
通常の労働に戻ろう。そう思った。
僕の気も知らず、瑞稀は緑色の炭酸水とアイスクリームを堪能していた。
七杯目を飲み干して、ようやく瑞稀は帰った。
席を片付けていると、グラスの底に紙ナプキンが挟まれていた。
取り出してみると、遊ぼうよ、と丸っこい字で書いてあった。
それを読むと、彼女がこれを伝えるために、せっせとクリームソーダをおかわりして飲んでいる様子が頭に浮かんだ。
遊ぼうよの、たった四文字のために。
呆れながら、紙ナプキンを折りたたんでポケットにしまった。
僕はアルバイトを続けた。
その間、三日続けて瑞稀は店に来た。
三度目にして、すでに常連の風格を漂わせている。
クリームソーダをしこたま飲む。
帰るときにいつも決まって、あのメモを残していくのだ。
遊ぼうよ、と。
七回目の彼女の来店で遂に僕は根負けし、瑞稀の要求をのんだ。
それから、夏休みのバイトを除く時間のほとんどを、僕は瑞稀と過ごすようになった。
この街の中で僕らにできることは案外少ない。映画館も、プールも、ゲームセンターやカラオケにショッピングセンターも。
すべての遊興施設を初めの一週間で僕らは行き尽くした。
その後、ほぼ毎回を僕の下宿で過ごした。
テレビゲームもじきに飽きた。
やることがないと、瑞稀はいま僕のベッドを占領して部屋にあった漫画を読んでいる。
これも、その内飽きるのだろう。
瑞稀はまるで子供だった。
次々に興味の対象を移し、遊び、すぐに飽きては途中で止めた。
それに振り回される自分が情けなくなる。
彼女自身、私はすぐに何でも飽きちゃうと言っていた。
「どうしても執着できないんだよ」
だが、死に方の話についてだけは、飽きもせず続けていた。
流血沙汰の話や、惨殺、自殺の種類をヒナ鳥のように口を開いては喋り続ける。
瑞稀は成長のどこかでスプラッタームービーを見過ぎた時期があるんじゃないか。
一度だけ、そう聞いてみたことがある。
彼女はお腹を抱えて笑い転げた。
嬉しそうに、じゃあ今度はスプラッタームービーの鑑賞会をしよう! と僕の肩を叩いた。
そのいじわるな笑顔を睨みつける。
「そんなに拗ねることじゃないだろ、透」
「知らないよ。何があっても、もう瑞稀の心配はしないぞ」
「透は怖いのダメなんだ」
僕の反抗に、ますます彼女は笑った。
「そんなことない」
僕は必死に弁解する。
だが、瑞稀はまったく話を聞いていない。
この人は、僕には到底理解できない。
変人を知ろうとしても無駄な事じゃないか。常人の僕には疲れるだけだ。
そう思って、以来彼女の提案には黙って従うことにした。
それが最善だろうと。
「透、いいこと考えたよ!」
苦い出来事を思い返していたら、ふいに大声が室内に響いた。
黙っていると後ろから、嬉々とした様子で瑞稀が騒ぐ。
ベッドから身を乗り出し、僕の顔に鼻先を近づける。
彼女の爛々とした瞳に僕の呆れ顔が映っている。
間違いなく、いいことじゃないだろうな、次は夜のトンネルで肝試しでもしようというのかな、とぼんやり考えた。
「……何だい、いいことって」
「一緒に旅に出よう!」
瑞稀の発言は、僕の想像を軽々と飛び越えていった。
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