短編:盗聴

遠藤渓太

第1話

短編:盗聴


男は今日も盗聴器に手を伸ばした。男は、たった二畳の埃まみれの畳に、埃一つ付いていないピカピカのその盗聴器は、男の唯一の宝だった。ボロアパートの滞納をかれこれ一年以上続けている男にとって、これを高く売り付ければ、大きな財産となるのだが、普段の自分の悪趣味がばれ、最悪捕まる可能性も考えられた。男は家にある全てのものを売り果たすほど、この機械を手放さなかった。

売っても売っても滞納が溜まるだけの毎日と、一応やっているバイトの店長へのストレスが日に日に増していき、男の唯一となる趣味となってしまったのである。

こうして、男は友達も金も物も全てを手放して、今日も他人の会話に耳を傾ける。

今回はもう日が暮れた寒い夜で、男はボロボロの毛布にくるまって、ヘッドホンを耳に取り付けた。

まず耳に入ってきたのは若い女の声だった。

「ねえ、今どこにおんの?」

場所を聞いてくる女のパターンはだいたい予想がついた。殆どの場合カップルで、童貞の男にとって、嫌味でしか無かったが、このカップルの日常をこのクソみたいな生活をしている男に知らず知らずのうちに聞かれているという背徳感に駆られた。

「え、そっちは今どこにいるん?」

男の方は割と高めの声で、低身長カップルをイメージさせた。

「私はねぇ、今家にいるよ〜」

「ちょっと話したくて〜」

「そうなんか、俺とか」

「そうだよ〜すぐ電話かけてごめんね〜」

忙しいだろうに、と女は何故か声が低くなった。男の方も、

「うん、、忙しいからね、、」

食い気味に返答していた。

「ねえねえ、昨日行った新大久保でさぁ…」

女がたわいもない話を始めたとき、男ははぁっと息を吐いた。カップルの楽しそうな話は吐き気がする。女の嬉しそうな声を聴いていると、次第にイライラしてきてしまい、もう次に行くか、と思い盗聴器に手を伸ばそうとしたところ、女の方が言った。

「ねえ、そういえばあんた何処にいるの?」

「家に居そうにないし、外にいる訳でもなさそうだし、近くに人がいる感じでもない。第一あんた友達いないかぁ笑笑」

結構酷いこと言うものだな、女というものは、と男は軽く引いた。そんな簡単に嫌味を言える様な人とは同じになりたくない。こんな貧乏人に寄ってくる女などいないのだが。

「あのさ、今ちょっと追われててさ」

「ちょっと隠れてるんだ」

低い声で何か思い詰めた様子の男に、他人の不幸は蜜の味の蜜が好みの男は大きく惹き付けられた。また、男の声が何か裏がありそうな高い声の中の深みが見られた。

「え?誰に?あんたそんな追われるようなことしたの?」

追われる男に対して相変わらずの厳しい女の声。

「いやぁ、そんな追われるようなことした覚えはないんだけどなぁ」

男はポツリと呟いた。

「だからって、追う側が思ったら、追われるようなことになるんだよ」

気をつけなよ、とあくまでも心配の声。

男は久しぶりに興奮してきた。何故そこまで男が追われているのか分からないし、何より、平和そうな毎日のカップルにそんな過激な日常があるとは男には思ってもみなかった。


バン、バンバン。ドンドン、ドドドドドドドーーーン。

爆音が鳴り響き、不安になった男はヘッドホンを少し外し、周りを見渡したが、寂しい殺風景な見るからに酷い部屋だった。

すぐさまヘッドホンを付け直した男は、男の方の声が全く聞こえなくなっているのが分かった。逆に、怖いくらいに女の方の騒音が止まない。家具が次々と倒され、男が勿体ないと思うほどの皿が割れており、まるで探しているようだった。

男が過呼吸になっているのが聞こえ、それを必死に抑えようと口をバッと押さえた。

男は、さらにヘッドホンを強く耳に押し当てた。

すると、女の声が少し聞こえた。

何やら低い声で、悪態をついているようだった。

「何処にいるのよ、一体」

「もう見つかってもいいはずでしょ」

「ここに、いるのは、分かってるのよ、」

バーーン、何かが大きく吹き飛ぶ音がした。

「うわぁーーーーーーー」

大音量で男の声が鳴り響く。男は我慢できずに音量を下げた。

低く小さくなった女の声が、少しずつ男の携帯へと近づくのが分かった。

「ようやく、ようやく見つけたわよ…」

「お前、何してんだよ、おまえ」

どんどん大きくなる女の声は、狂気に満ちており、その場にいない男でさえも恐怖を感じた。

「なんで、なんで私を捨てた?あんなクソに何故カネを与えた?」

「いや、違う、違うんだ、」

必死に抵抗する男の声に、異物の音が混ざった気がした。

「いいから、とりあえずその包丁をしまって…」

包丁?男は一瞬疑問が浮かんだ。なぜ包丁?その疑問は恐怖へと移り変えられた。

男は恐怖の顔を浮かべるしか無かった。音の先の男もまた、同じ表情だっただろう。

「ねえ、ねえ、お願い、お願い。俺が悪かった。だから、どうか、どうかその


ブサッ、、、、、、ドサッ、、、


聞いたことも無い鈍い音がした。特になんの刺激もない男には尚更だ。ただ、盗聴器を通してでもはっきりと聴こえる擬音だった。そして、こんな音を出せるような物は、男には一つしか考えられなかった。

ただ、その可能性を考えれば考えるほど当初の背徳感がゼロになるほどの罪悪感が溢れだしてきた。見ず知らずの人でも死ぬことはこんなに辛く虚しいことなのだと大人になった今男は知った。男は警察に突き出せば自分の盗聴も言わなければいけないことは分かっていた。ただ、もうそんなことは気にしていられない。殺人など、絶対に許されないことをスルーすれば正しくそれこそ神の怒りが目を覚ます。男は自分の危険を感じ、飛ぶように近くの交番へ急いだ。


「えー、ニュースです。先程、東京都内の交番で、盗聴をしていて殺人の音がしたなどとして交番へ出頭してきた二十代の男が盗聴で逮捕されました。」

「男は、人が殺されているんだ、急いでここ周辺を探してくれ、殺人事件だ、などと供述しているそうです。」



「えー、そんな馬鹿な人いるんやなぁ」

「殺人なんて滅多に起こるものでもないのにー」

「まぁほんとに起こっていたとしたら怖いけんどなぁ」

「ほんと気持ち悪いわぁ」


そのニュースを観た女は、寝袋にやけに大きい荷物を詰め込み、部屋の奥へ奥へと押し込んだ。そして部屋を飛び出していった。


男が住んでいたボロアパートから、一人の女性が逃げるように去っていったとさ。

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短編:盗聴 遠藤渓太 @niseZidan

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