罪科

「ちょっと待ってください、それ……まさか」


 かさねが、耐えきれずに割って入った。

 理事長が今語った、詩織の父親の死の話。

 それはまるで――


「ネットに、オカルト掲示板に書いてあった事件の、こと?」


「そうよ」


 かさねの問いに答えたのは、詩織だった。


「その掲示板に、意味深な発言してたユーザーがいたでしょ。死んだのは、男って」

「……! いた。詩織、知ってるの?」

「それ、私のお母さんが書き込んだの」

「は?」

「我慢できなかったんだって。

 お父さんが死んじゃってすぐの時は、お父さんなんかいなかったみたいに、ただの見間違いって形で片付けられて、数年たったら、インターネットでみんな勝手に適当なこと書き込んでて。すごく腹が立って、書き込んじゃったんだって」

 かさねは、返す言葉がなくて絶句した。そして、詩織が「お父さんのお墓はどこですか?」と聞いていたのを思い出して、理事長の顔を見た。


「詩織のお父さんのご遺体を……隠したんですか?」


 気付いた時には、声に出してしまっていた。


「……はい」


 理事長は、かさねからも詩織からも目をそらして、薄暗い暖炉の中を見つめながら、力なく答えた。

「……犯罪じゃん」

 かさねの言葉に、軽蔑の色が見えた。

「ここを守りたかったんでしょ」

 理事長がかさねの言葉に反応するより早く、詩織が答えた。

「ここにいる子供たちが、ここが世の中に知られたら、この場所が奪われたら生きていけない子たちだから、ここの存在を隠すためには、警察にお父さんの遺体を渡すわけにいかなかった。例え、殺人ではなく自殺だったとしてもね。

 使ってるお香の成分、ここにしか生息してない植物の成分なんでしょ。

 その植物の成分が遺体に残ってたら、それが違法性のあるものだったら、ここは間違いなく、存続できなくなる。

 だから、隠すしかなかったんでしょ」

「そんな……」

 詩織の淡々とした口調に、かさねはショックを受けた。

「おかげで私もお母さんも、お母さんの地元とか、親族からはひどい扱い受けたけどね。幽霊の子供とか言われたりさ。

 けど、お母さんはその仕打ちで精神的に病んでまでも、ここがお父さんみたいな人たちには大切な場所だから、手を出しちゃいけないってずっと言ってた」

 かさねには、詩織や詩織の母親が今までどんな想いで生きてきたのか、想像することしかできなかった。

 想像してみても、自分が詩織の母親のように達観できるとは思えなかった。

「それに私とお母さんが今まで生きてこれたのは、そこの、理事長先生からもらってる養育費のおかげだもの。文句なんて、言えるわけない」

「詩織……」

「でも、お父さんの遺体を隠した理由、解ってよかった。そのお香が危険なものだから、調べられたくなかったってことでしょう」


「そうですね……それもあります。

 けれど、私が、自分可愛さに取った行動でもあります。どのように謝罪しても、許されることではありません」


 理事長は、項垂れて、暗い瞳を詩織に向けた。


「私は、姉に、許されたかった。兄に、生きていていいんだと、言われたかった。

 それが叶わないうちに、ここを警察や、外の人間に踏み荒らされるのが嫌だったのです。

 私は、本当に歳ばかりとって、何一つ成長していない。ずっとずっと愚かなままだ」


 理事長は、両手で顔を覆った。


「私が、伊織のときにすべてをあきらめていれば、きっと、蘭寿は死ななかったんです」


「らんじゅ?」

 かさねが首を傾げる。

 詩織の表情は、やはり変わらない。ずっと冷たい目で、理事長を見ている。


「それが、昨日、鉄塔から落ちた人の名前ですか?」


「え……」


「はい。彼の名前は蘭寿。次の代の、巫になるはずだった少年です」


 昨日、鉄塔から落ちた人。

 葉月や繭が目撃した、飛び降りた人影。

 幻でも幽霊でもなく、ちゃんと存在した人間。


「蘭寿は、伊織と同じく施設の前に置き去りにされた子供です。

 見た目が日本人離れしていて、とても美しい少年でした」


「あっ。あの子……?」

 かさねは、自分が出会った、幽霊かもしれない少女を想いだした。

 うつろな青い瞳で、女神さまと繰り返していたあの子。

「お会いになったのですか?」

 理事長が驚いた様子で、かさねを見た。

「幽霊かと、思ってたけど。何だかふわふわしていて、女神さまとか、ゆるしてくれないのとか言ってました。あの子が、あの日、飛び降りた人影の正体だって言うんですか?」


「ああ。あなたが出会ったとき、すでに蘭寿は香に中てられて夢遊病のような状態にあったのでしょう」

 理事長はそう言うと、暖炉から動いて、窓辺にあった綺麗な装飾の引き出しを開けた。

「これは、伊織が遺した日記です」

 理事長はそう言って、詩織に一冊の本のようなものを手渡した。

 手帳や日記帳というより辞書に近いような厚さの、ハードカバーの立派なものだった。

 詩織は目を見開いて、それを受け取った。

「蘭寿は、これを持っていました。おそらくこの部屋で見つけて、持って行ってしまっていたのでしょう。何度も何度も読んだのだと思います。

 その日記の、最後に書かれたページは、伊織の遺書と言っていいでしょう。

 神さまに会いに行く――と書いてあるのです。

 蘭寿はきっと、香に中てられて夢遊病のようになり、伊織と同じようにあの鉄塔から飛んで、神さまに会いに行こうとしたのです」

 理事長の声がひび割れた。

「私が、私が愚かなばかりに。大切な若い命をふたつも失いました……」


「泣くほど後悔しているなら、どうしてその、蘭寿という人の遺体を、また隠したのですか?」


 詩織の声も、震えていた。


「また、幽霊を増やすんですか?」


 詩織は、ゾっとするほど神秘的できれいな顔で、窓から傾き始めた、西の陽光を背負って、理事長の罪を咎めた。

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