フラッシュバック

 集会が終わって、担任から軽く注意事項や今後の予定を説明された。

 明日は臨時休校。

 明後日から通常授業の予定だが、寮から帰宅したくなったものは寮監に連絡し、家族に送迎を頼んで必ず、家族と一緒に帰宅すること。精神的に辛い場合は、すぐに寮監か教師、もしくは自身の家族に連絡をすること……など、葉月の予想どおりの注意事項の羅列が終わり、解散となった。

 生徒たちは帰宅を希望する子が多いのか、皆すぐに寮に帰って親に電話すると話していた。

 あんなことがあったのだ。地元で、普通に家から通うことが可能な子ならば、当然家の方がいいのだろう。


 他の生徒が帰宅するなか、念のため校内に詩織がいないか探していた葉月とかさねは、どうやら最後に学校を出る生徒となってしまったようだ。

 人数が少ないとはいえ、部活動も委員会もなく一斉に生徒が帰宅するとなると、それなりに混雑していた玄関も、今は二人っきりだ。いやに物音が響く気がする。

「詩織、寮に帰っちゃったのかな」

「保健室も誰もいなかったもんね」

 靴を履いて校庭へ出る。いつもならあちらこちらで黄色い声がするのに、今日は人の気配すらしない。

 秀花学園の敷地は広い。なんせ、高校の校舎の他に寮が三学年分、三棟と、校庭とグラウンド、その他武道場や弓道場があるのだ。

 花壇や庭木のある校庭の奥に校門が見えているが、今は立派なフェンスが閉まっている。その太い柵からわずかに見える隙間に、学校が臨時で増員したのであろう警備員の制服が見え隠れしていた。

 ふと、すっかりいつもの景色のひとつとなっていた、神社の鳥居に目がいった。

 葉月の視界の右側。寮へと向かう帰り道の途中にある、赤い、小さな鳥居。


 ――祀られている神様は不明。


 ネットで見た一文を思い出す。確かに、葉月たち生徒も、あの神社について説明されたことすらない。時々、生徒たちがきまぐれにお参りするくらいだ。

 ふと隣を見ると、かさねも小さな鳥居を見つめていた。

「ちょっとお参りしてみよっか」

 葉月の心を読んだかのように、かさねが呟いた。

 きっと、かさねも同じことを考えていたのだろう。

 二人が駆け寄ると、お社の前には先客がいた。


「!」


 二人は思わず息を呑んだ。

 大きな、テラコッタ色のスーツを着た背中。


 理事長だ。


「姉さま。兄さま――おまもりください」


 ぼそぼそと声が聞こえてきた。

 盗み見してしまっているような罪悪感が、葉月とかさねの心にじわりと滲む。

 二人はそっと顔を見合わせた。

 

 ――どうする?


 二人同時に、目がそう語って、同時に困り果てた顔になった。


「おや。貴方たちは」


「はっはいっ」

 もたもたしているうちに、理事長がこちらを振り向いていた。

 葉月とかさねは裏返った声で同時に返事をした。

「まだ残っていたのですか。何か、困ったことでもありましたか?」

「い、いいえ、友達を探していて……でも、もう先に寮に帰ってしまっていたので」

 かさねがにっこりと、一瞬にして見事な作り笑顔になって答えた。

 何一つ嘘をついていないし、答えたのはかさねなのに、葉月の中の不安感がさらに膨らんだ。

「そうでしたか。寮まで、二人で帰れますか?」

 かさねが微笑んで「はい」と答える横で、葉月は震える手を握りしめた。

「あ、あの。朝、私を見て、名前を聞いて驚いていたのは、どうしてですか?」

 葉月は、震える声を絞り出して問いかけた。

 本当は怖い。質問をするのも、答えを聞くのも。

 だけど、知らないままこの学校に通うのは、もっと怖かったのだ。

 理事長は、一度目を見開いてから困ったように笑った。

「申し訳ありません。私は、何という失礼を。葉月さん。あなたを、不安にさせてしまいましたね」

 やんわりと微笑む笑顔。優しい笑顔。

 どこかで見た笑顔。


 ――私から、大切なものを奪った――


 頭の中にもう一人の自分が目覚めたかのように、無自覚な言葉が浮かんだ。


 ――この笑顔が、私から、大切なひとを――


 同時に、今朝の夢の景色が、唐突にフラッシュバックした。

 いや、今朝だけじゃない。前にも見た。幼い頃には、何度も何度も見た夢だ。


 不気味な歌声。

 メリーゴーランド。

 自分の手を引く、優しい小さな手。

 何度も繰り返される「もう大丈夫」の言葉。

 

 ――そうだ、このひとが、あの子を奪った人。


「大丈夫です。私は理事長ですから、生徒みなさんの事情を、ある程度理解しています。葉月さん、あなたを怖がらせる大人はこの学園にはいません。これまでも、これからも。わたしが全力であなたを、あなたたちを守ります。今度こそ」


「今度、こそ?」

 かさねが上目遣いで理事長を見つめ返した。

 理事長は、やんわりと微笑むばかりだ。

「では私はもう行かなくては。二人だけで、寮に帰れますか?」

「は、はい」


 葉月が突然フラッシュバックした記憶の情報量に混乱して、何の言葉も紡げないでいるうちに、理事長の背中は校舎の中へと消えて行ってしまった。


「葉月、大丈夫?」

 かさねの声に、葉月はハッと我に返った。

「か、かさね、私……」

 混乱が消えない。勝手に涙があふれてきた。

「葉月、泣いてる!」

 かさねが驚いて、ハンカチを取り出して涙をふいてくれた。

「どうしたの? 聞いてもいい?」

「うまく、説明できないかもしれないけど……聞いてほしい」

「うん、聞くよ」

 かさねは、神社の脇の、寮へと続く道にあるベンチまで、葉月の手を引いていき、並んで座った。

 葉月は、かさねに背中をさすってもらって、涙が落ち着いてきたところで、ようやく話し始めた。


「私、思い出した。あの、遊園地、私、多分行ったこと、ある」

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