第2話 決勝戦 明治大学対関西大学 V1.01

「盛徳大業至れるかな」

 日一日ごとにわが学術を新たに進歩せしめることを盛徳といい、大事業を豊富に成し遂げることを大業という。


 ① 「練習不足」なし

 関大のほうが若干練習不足かな、という感じでした。何が不足かと言うと、スタミナという点で。

 関大の先鋒は、あれだけスリムでありながら、中盤、ものすごい筋力で明治の組み打ちを跳ね返します。しかし、その後はスタミナ切れで前へ出れませんでした。一方の明治は、動きのよさとスタミナという点で、(5人は)間違いなく関大を凌駕していました。

 明治は「伝染病予防のための練習不足」には、うまく対処されてきたのでしょう。ブログによると、通常通り週6日間・同じ場所・同じ時間で練習ができていたようですが、これは強力なOB会の働きかけと学校側の理解によるものなのでしょうか。


 英雄ナポレオンの強さとは、彼の統率力や用兵能力ばかりでなく、常時、数十万の兵隊を確保することができた、その経済力と国民の洗脳(教育)にあったといわれます。どの国も兵士の確保に苦労していた時代、フランスだけが(ユダヤ人の金貸しからの金と、民主主義による自由の国を作るためには、国民は全員戦わねばならないというユダヤ・プロパガンダによって)大量の兵器と若者の安定確保(国民皆兵制)ができた。


 大学日本拳法の場合、毎日、決まった時刻に決まった場所で練習という安定性は、学業やアルバイトもある現役学生のみならず、OB諸氏にとっても、仕事の合間を縫って練習に駆けつけることを容易にしてくれる。


 例えば立教や青学などは、ブログで「○月○日の練習は、急遽、時間と場所が変更になりました。」とか、「何日の稽古は○○○の蔓延防止のため、中止になりました。」といった掲示がよく出されていましたが、これでは学生もOBも、練習計画が立て辛いでしょう。


 ② 勝敗を分けたもの

 自分から攻めて一本を取ったのはどちらだったか

 先鋒 明治(明治の勝ち)

 次鋒 明治(明治の勝ち)

 三鋒 関大(引き分け)

 中堅 明治 一本取っても攻撃の手を緩めず、すぐに二本目を取る(明治の勝ち)

 三将 関大(関大の勝ち) 

 副将 明治 一本取っても攻撃の手を緩めず、すぐに二本目を取る(明治の勝ち)

 大将 明治 一本取っても攻撃の手を緩めず、すぐに二本目を取る(明治の勝ち)


 ○ 自分から前へ出て、相手よりも手数が多い方が勝つ

 今年の明治は、大会前日のブログでキャプテンが自信を持って宣言していたように、5人の選手(上級生)が「がんがん攻める」「パワー拳法」でした。肉体的なパワーという以上に、精神的に前にでる強さがあった。特に中堅の「ずんずん前へ出て、ガンガン先に攻める」というスタイルは、今年の明治の精神的パワー(の強さ)を象徴しているかのようでした。





 ③ 錦を衣(き)て絅(けい)を尚(くわ)う

(きらびやかな錦を着たら、その上に薄絹(ヴェール)を羽織ることで、そのけばけばしさを緩和させる。)

 あるいは、「光ありて耀(かがや)かさず」(ガラスのようなピカピカしたところがない)。


 副将戦、関大は当て馬で対抗してきましたが、この人は当(まさ)に「当たって砕けろ」精神で勇猛果敢にぶつかっていきました。試合開始早々、突進する関大を明治が躰々の先(面突き)で一本取ったのですが、関大の勢いあまった突進はとまらず、やむなく明治は胴投げ(プロレスのバックブリーカーのよう)で投げ飛ばします。

 まさにこの人の理性拳法。頭で考える拳法では、こんなシチュエーションでとっさにこんな技で対応できません。武蔵のいう「臨機制変」力。機に臨んでそれに応ずるのではなく、その変化を制圧して勝機に変えてしまう力を、またしても見せてくれました。蹲踞のときの背筋の伸び具合、礼の仕方も日本一ですね。


 見逃してはいけないのは、この投げ飛ばした直後、明治の関大選手に対する対応です。

「ごめん、勢いがついていたので思わず投げ飛ばしちゃったよ。」なんて、労(いた)わりの言葉を投げかけているように見えます。

 その態度たるや、まさに悠揚迫るところなし。「温として其れ玉の如き」風格であり、ここまでくると、拳法が強い云々ではなく、有徳者とか君子・聖人のレベル。

 さしもの(凄まじい)関西の道場主たちの声援もありません。みなさん、「先に打て」とか「下がるな」なんて叫ぶより(立派に死んでくれよと)心中で念仏を唱えていたのではないでしょうか。

 しかし、この関大の選手は、去年の明治対大商大戦で、やはり木村氏と壮絶な打ち合いを演じた末に撃沈された大商大の友滝大雅氏と同じく、その拳法人生で最も思い出深い一瞬を味わえたという意味で、最高の果報者といえるのではないでしょうか。たとえ負けるのがわかっていても、自分からガンガン前へ出て攻撃する姿勢があったればこそ得られた貴重な体験です。


 昔、東洋大学の柔道場(100畳敷)で、立教・日大・法政と合同練習がありました。

 あのキックボクシング世界チャンピオンであった日大OB猪狩元秀氏がお見えになり、しばらくすると防具をつけ始めました。

 私は隣にいた当時4年生・二段であった小松幸弘(昭和54年度卒)に、「田舎で自慢できるぜ」と声をかけると、「そうやな」と言ってノコノコと進み出ました。開始早々、小松は中途半端な面突き(相手が相手だけに腰が引けていた)で接近し、そのまま組みついた(彼は176センチ85キロで、組みには自信があった)のですが、組んだ瞬間(まさに間髪をおかず)、バキッという、胴が割れる音とともに小松は海老のように「くの字」に折り曲がり気絶してしまいました。猪狩氏はすぐに防具を外し、苦笑いをして、後は皆の練習を見ているだけでした。小松というのは高知の漁師の息子で「打たれ強さで全日本に出場した」と言われるほど、頑丈な身体をしていたのですが、私たちは「プロの凄み」というものを、目の前で見たのです。


 しばらくして、今度は法政大学OBの守屋氏が防具をつけて立ちました。この方は身長175cmくらいなのですが、恐ろしいのは両腕が丸太ん棒のように太いことでした。氏が道場の隅で胴着に着替える時、チラッと目に入ったのですが、私の太ももくらいに見えました。

 私は、隣にいた原(昭和54年度卒 二段)に、「前拳さえ気をつければどうってことないぜ」と耳打ちしました。「そうだな」と、彼も又のこのこと出て行きました。審判をやられていた立教OB○○氏の「勝負はじめ !」の声が道場に響き渡り、原が半歩前へ進んだ刹那、守屋氏の前拳が(低い位置から)まるで剣道の突きのようにきれいに決まり、哀れ、ペーターも気を失ってしまいました。


 こういう「思い出」はあまり思い出したくない「苦い記憶」になるのかもしれませんが、私にはもっと悲惨な経験があります。

 しかし、その恥ずかしくも無念の体験は、人生における「負けることの意味(価値)」を教えてくれました。「悲劇を通り越して喜劇」とさえいえる、あの短くも強烈な体験がなかったなら、その後の私の人生は、勝つ・栄光・金儲けだけを追い続ける(陰陽・裏表を見ることのない)つまらない人生になっていたでしょう。


 昭和54年(1979年)春のリーグ戦。そのファイナル・ステージにおける対戦相手は立教大学。この華々しい一大決戦に、先鋒の私は、なんと前代未聞の圧倒負け(一方的に7本先取された場合、その時点で試合終了となる)を食らったのです。


 国家間の戦争での鉄則は「緒戦で勝つ」。

 日露戦争で、奥・黒木の両大将率いる日本陸軍最強師団は朝鮮半島の西と南に上陸し、朝鮮半島を制圧するロシア軍を一気に半島から追い払い、奉天まで押し返しました。

 日本拳法(団体戦)の場合も「緒戦勝利」は常道であり、勝たないまでも「そのチームの意気込み・闘争精神を見せるような、元気のある戦い方をする」のが先鋒の役割だったのですが、私の場合、ただの負けではない、戦争でいえば全滅したのです。


 次鋒からは一進一退の展開となりましたが、最終的に私たちは破れました。そして1979年、立教は春の大会のみならず、秋の東日本大会でも優勝したのです(立教の第二次? 全盛時代)。


 大会翌日、練習が終わった後の部室。着替えが終わり、皆が一服している(昔は8割の部員が喫煙者)と、キャプテンの桜井が(批判というのではなく、世間話風に)「昨日の先鋒戦はなぁー」と言います。すると、幹部たちどころか3年生までもが「あれは・・・。」なんて口々に意見を述べ始めます。皆、わたしが前代未聞の「決勝戦で圧倒負け」という惨敗によって打ちひしがれているだろうと気を使い、慰めようとしてくれているわけです。


 さらに、一週間後の昇段級審査の翌日にも、やはり同じ話題です。

 私の同期たちはすでに全員二段を所持しており、やることがないので、昇段級のときはいつも他校の幹部連中と世間話をしていたのですが、今回は私の惨敗が話題になっていたらしく「○大の奴はこう言っていた。」「×大はこう言っていた。」と、私に言うというよりも、皆でああだこうだと話し合っている。俎上に上った私は、タバコをふかしながらただ黙って聞き流しているだけでした。


  確かに、一方的に7本も取られて「恥ずかしい」という気持ちはありました。また、選手として選ばれた以上、面で取れなければ蹴りや組み打ちで流れを変え、何とか勝とう工夫するのが本来の義務であるのに、その意味で私は失格でした。アホみたいに同じ攻撃を繰り返すなんて1・2年生ならまだしも、4年でしかも1年のときから公式戦に出ている者としては「能無し」といわれても仕方がないくらいの愚行と言えるでしょう。しかし、私はそんなことすら考えず、窓の外に流れていくタバコの煙を見つめていました。


 そして、40年後の今にして思うと、あのときの私には何かしら「満足感」のようなものがあったのではないか、という気がするのです。

 ① それは私が「攻めて負けた」ということです。相手の拳を避けるもかわすもせず、真正面から前へ出て、相打ち覚悟で渾身の面突きを打ち込んだということに、自己満足していたのかもしれません。恥ずかしかったが卑屈な気分にならず、むしろ爽快とでもいう気分でいれたのは、そういう気持ちがあったからだと思います。


 ② また、私の対戦相手は4年生でしたが、とっくの昔に二段になっており、20数名もいた立教でナンバー2の実力があり、その年の全日本にも出場したほどの男です。私のような「面突きバカ」とは違い、もっといろいろな技を持っていたはずでした。彼が3本くらい先取した時点で、遊ぶ(他の技で攻撃してみる)ことはできたはずです。しかし、彼は最後の7本まで、面突き一本やりで私に付き合ってくれた。

 わが校の同級生でさえ、練習であそこまで正面から打ち合いをしてくれる者はいなかった。一本か二本先取したら、あとは適当に流しているだけです(逆の立場になれば、私も同じでしたが)。

 「Be Bap ハイスクール」という昔の漫画で、主人公の二人は親友なんですが、意見が合わないと血まみれになるまで、とことん殴りあう。それと同じで、私の大学時代、たった一試合とはいえ、ボコボコになるまで殴りあった私たちは、四年間いちども話をすることはなかったけれども、そして、あの3(2)分間だけとはいえ「無二の親友」であったといえるかもしれません。

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