記憶をなくしても、君を見つけたい⑧




しばらくすると希実は泣き疲れて眠ってしまった。 車内がシンと静まり返ると、それを見計らったかのように里志が戻ってくる。 里志は眠っている希実を一度見て運転席に乗り込んだ。

助手席と隣り合っている関係上距離は近いが、何となく気まずい空気が流れている。


「寝てしまったんですね」

「ついさっきな。 母親の方はどうだった?」

「突然我に返ったように泣き始めましたよ」

「泣いた・・・?」


まさかあの後にそのようなことになっているとは思わなかった。


「罪悪感は感じていたようです。 こういう子だからこそ大切にしないといけないのに、希実を見ると当時のことを思い出して感情が高ぶってしまう。 それでも生むと決めたのは自分なのに、って」

「そうか・・・」

「落ち着いた後、警察へ行こうと思っているみたいですよ」

「・・・まぁ、本人が納得しているならそれでいいだろうな」

「はい。 とはいえ重い罪になることはないでしょうから、懺悔のようなものになるのでしょうね」


希実は成人しているし既に独り立ちしている。 希実に痣があったことから母親と会っていたのは間違いないが、おそらくは自分から会いにいっていたのだろう。


「・・・母親と話して分かったことがあるよな」

「・・・DVの話ですか?」

「あぁ。 俺はお前からDVを受けていると希実から聞いていた。 でもお前は俺からDVを受けていると希実から聞いていたんだろ?」


尋ねると気まずそうに里志は視線をそらした。


「その通りです。 だから貴方と希実を二人にするのは怖かった」

「でも実際俺たちはDVなんかしていない。 ・・・していたのは希実の母親だ」

「はい。 希実は何が現実なのか分からなくなって、仕舞いには自分の心を守るために脳が記憶を消してしまった」

「おそらくはそういうことだろうな」

「あと一つ分かったことがありましたね」

「・・・何だ?」


これ以上の収穫はないと思っていた。 利基は里志の言葉に耳を傾ける。


「DVをしていてもしていなくても、希実は貴方を選んでいたということです」


そう言って里志は切なそうに笑った。 だがその言葉は予想していなかったもので、利基は自分が選ばれた自覚は全くなかった。


「実際は互いにDVをしていなかったということになるから、希実は二股をかけていたんじゃないのか?」


脳と記憶についてはあまりよく分からない。 ただ里志がDV彼氏でないということは、何となく予想していたことだ。


「違いますよ。 元々僕たちは別れる寸前だったんです」

「そうなのか?」

「好きな人ができたから別れてほしい。 そう言われました」

「あぁ。 それは事実だったんだな」

「その好きな人はどういう人かと聞いたら、暴力を振るうような人だって言われて。 そんなの僕が許すわけがないじゃないですか」

「・・・そりゃあ、そうだよな」

「その人と付き合うくらいならまだ僕と付き合っていてほしい。 そう言って希実を引き止めていたわけです」

「・・・そんなに希実のことを愛していたんだな。 じゃあ、あの時言った言葉は嘘か?」

「嘘って?」

「希実の記憶が今後も戻らないなら自分は無理かもしれないという話だ。 いくら長年積み重ねてきた思い出が消えようと、そこまで希実を愛していたなら簡単に想いは変わらないだろ」

「・・・」

「どうして俺に譲るようなことを言ったんだ? 希実は結局俺を選んだからか?」


問うと里志は静かに涙を流した。 男が泣いたことに少々驚いたが、次の言葉を聞きその気持ちが痛い程分かった。


「・・・そうですよ。 好きな人の幸せを願わない男がどこにいるんですか。 好きな人が貴方と結ばれたいと願うのなら、それで彼女が幸せになるのなら僕は潔く諦めます」

「・・・」


選ばれた側になるのか分からないが、里志にかける言葉は利基にはなかった。 希実のよさは利基はよく分かっている。 そんな彼女を諦めるとなれば、自分ならこんなに静かでいられる自信がない。

里志は落ち着くと一度深呼吸をした。 気持ちを切り替えたのか今後のことを尋ねてくる。


「それでこの後はどうするんですか? また希実の記憶を取り戻すために色々と暗中模索するんですか?」

「暗中模索、か。 確かに記憶が真っ白な希実をこの先導くのにピッタリの言葉かもしれないな」


そこまで言うと希実へと視線を移した。


「ただ記憶を取り戻すことは俺にとって利になるが、希実からしてみれば辛い記憶を忘れて新しい未来を創っていけるから悪くないのかもしれない」


それを聞いて里志は決心したように言った。


「・・・もう貴方たち二人の未来です。 後悔しない未来を選択してください」

「・・・あぁ」


里志は涙を流したまま笑った。


「結婚式は絶対に呼んでくださいね」



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