熱く染まる

 ──!!


 なに? この音。

 縁側のほうだろうか、ガタガタと物音がする。固い物が落ちるような音、人がもみ合うような音と男性の声が入り交じっている。


 目の前の男性は、床の間に置かれた刀をとり、さやから抜き放つ。 

 私はただ事ではない気がして、タロットを置いた風呂敷をさっと包み、中腰になって様子をうかがう。


 障子がスパッと勢いよく開けられる。

 男性は私の前に立ち塞がると、刀を前方に突き立てたようだ。そして一瞬の間に人影を蹴り飛ばし、それは庭先に転がっていった。

 一瞬、真っ赤な血が見えた気がして、私は心臓が冷たくなった。


 また縁側から人影が見えたと思うと、刀を一度激しく打合せ、彼は後ろに一歩下がる。でも、かがんだところからそのまま前に突き上げた。

 金属がガリガリと削られはじかれる音がして、人影は廊下に飛びのいた。でも、そこで不自然に突然倒れる。

 次の人影は、部屋の敷居をまたぐ前に、真横に倒れ込んだ。

 気が付くと、いつもトイレにつきそう女性が縁側のはしにいた。足を開き、中腰で前かがみに。


 急に、犬の吠える声が聞こえた気がする。

 庭先に、また新たな人影が土煙をあげて転がった。


「これで終いじゃ」


 え……

 

「そこか? 四郎しろう


 私が待ち望んでいた声に、男性が応えている。刀を鞘におさめた。

 足音が近づき、縁側から姿を現したのは、やっぱり──


 いつも高い位置に束ねていた髪を肩に下ろしている。わずかに襟元がゆるみ、呼吸が浅い。

 背中に夕陽を隠しているから逆光で見えづらいけど、彼だ。


「くいち……」声を詰まらせながら呼びかけたとき。

 

 九一郎さんは突然、男性の襟元に片手でつかみかかる。そしてぐるっと私に背を向け、男性の身体を壁に叩き付けた。

 男性……四郎さんは無抵抗だ。


 これは、たぶん私とのことを誤解してる。


「九一郎さん待って! 私なら、その……無傷です」


「三日もしとねを共にしてか」


 九一郎さんの声が、低くて少し震えてる。こんな声、聞いたことが無い。

 しとねって、寝室って意味?


「この方は、私に一切触れてません。護ってくれていました」


 九一郎さんは、押し黙っている。動かない。空気は張りつめたまま──。

 私からは表情も見えない。


「巫女を信じることにする。だが、謝らぬ。話に乗ったのは確かじゃろ」


 話に乗った? 何のことだろう。

 九一郎さんは、襟元を掴んでいた手を放したようだ。


「────────────」


 四郎さんも何かを話している。穏やかで、悪意とか後ろ暗い感じもないみたいだけど。


「ああ、巫女は諦めろ」

 

 冷たく言い放った後、九一郎さんは私に向き直り、右手を伸ばした。

 さっき命のやり取りを目の当たりにして、私はいつの間にかへたりこんでいたみたいだ。


 そして目の前に立たれて気が付いた。彼の着物のゆるんだ胸元から、包帯が見える。

 彼は疲れを覗かせつつ、わずかに口の端を持ち上げている。


 不安で委縮する気持ちと共に右手をそっと掴み、私は自力で立ち上がった。

 九一郎さんの右手が、しっとりしていて熱かった。熱がある……。


 縁側には、暮馬さんとさくさんが立っていた。どこか心配そうな顔だ。


「九一郎さん……怪我を」


「それで遅くなった。毎度遅くて済まぬ。そなたには待たせてばかりじゃな」


 微笑んでいるけれど、どこか力がない。

 私の手を引きそのまま部屋を出ようとするので、私は四郎さんに向かって軽く頭を下げた。何か事情があるにしろ、私を守ってくれたんだ。


 屋敷を出て馬に乗った。

 周囲には兵がたくさんいて、倒れている人もいる。戦いのあとを感じた。

 

 道中、簡単にことのあらましを聞いた。


 九一郎さんは国主様に報告後、私のもとに戻る途中で何者かの兵に襲われた。

 九一郎さんが行方不明との報告を受け、国主様は四郎さんに私の警護を命令。

 国主様の家臣の手違いだと言われたらしいけど、部屋数の足りない所に四郎さんと私を押し込めた。

 そこに、九一郎さんを襲った残党が、私を狙って襲撃してきたらしい。


「先ほどの襲撃はそなたの誘拐目的だろうな。夜中だと人の判別が難しい。夕刻に襲い、さらって、夜陰やいんに乗じて逃げる算段か」


 そして、ここからは九一郎さんの推測。

 国主様は、もともと九一郎さんに何かあれば、四郎さんと私を婚姻させようと考えていたのではないか、と。今回の山追い夫選びも形式だけ。

 ただ今回、四郎さんと私を同室で過ごすようにさせたのは、本当に家臣が先走ったのかもしれないって。


 国主様、強引……。本当に家臣のせい? 曖昧にするところも、ずるい気がする。

 

「まさか、九一郎さんを襲ったのは、こく──」


「いや、それは違う。首謀者が誰かは見当がついておる。伯父上たちがもう捕らえておるじゃろ」


 私の居場所はごく僅かな人しか知らなかったとか。それで襲ってくるようなら首謀者が絞れる。

 その首謀者とは、山追当日の朝に評定で、九一郎さんに掴みかかろうとしていた内の一人だった。


 なお、羽佐さんは重傷を負っていた……。九一郎さんを庇ってくれたらしい。


「この先の屋敷で休んでおる」

 

 その屋敷に着いたら、あるじに驚いた。

 向山さきやまさんだった。


 重症の羽佐さんを背負って隠れながら逃げ、自身も怪我で動けなくなったところを、向山さんの部下が見つけた。聞きつけた向山さんが直接助けてくれたそうだ。

 九一郎さんは数日怪我で動けず、今日、さくさんと暮馬さんが聞きつけ合流したらしい。


 向山さきやまさんのご厚意で、私たち一行はお屋敷や離れも使わせてもらい、療養させてもらうことになる。九一郎さんも怪我を負い、羽佐さんもまだ動かせないからだ。


 素朴な家だけど梅の小枝を飾っていたり、色とりどりの和紙を使った飾りを置いていたり。武骨な男性らしさとは違う──お屋敷全体が、さりげない柔らかさに包まれている。本当に奥さんがいないのか、不思議なくらい。

 庭は梅や桃、松などが。部屋には、向山さんが描いた花や風景画が貼られている。水墨画もあった。

 九一郎さんは布団で横になりながら、それらを見ていると何故か落ちつくと呟く。


「そなたは絵が好きだったな」


 国主様から、夫選びの返答を求める書状が届いた。九一郎さん自身が返書を書くと言う。

 そう言ったあと様子がどこか変。さっきから私と視線を合わせてくれないような。


「そなたは向山殿となら、心穏やかに暮らせるやもしれぬ」


 小声でポツリ「年上だしな」と呟くのも聞こえてしまった。

 向山さんは確かに私よりもいくつか年上。

 でも、そんなの気にするようなことじゃないのに。


「何でそんなこと……」


 珍しく弱気なのは、熱のせいなのかな。さっきとりかえたばかりの濡れ布巾が、額に乗っている。たぶん、怪我のせいで熱が出てるんだ。


「私にはいつも食い下がるのに、自分は理由を言わないんですか」


「う……」


 でもこんな九一郎さんも何だかかわいい……なんて言ったら怒っちゃうかな。

 私が何かやらかしたのかもしれない。

 向山さんかぁ。


 向山さんとは言葉をかわせないけど、たまたま一緒に庭を眺めて過ごすこともあった。

 占術のあと、タロットカードを興味深く見つめるので、私もいくつか説明した。

 何となく、何を言っているのかわかる時もある。一緒に微笑むこともあった。


 そりゃあ、これだけ大人数でお世話になってて、愛想悪くなんてできないよ。それだけなんだけどな。


 九一郎さんは今回かなりこたえたみたい。向山さんには、部下と自分の命を助けられた。それできっと、余計に自信を失ってるのかも。


「心穏やかに暮らすなら、できるかもしれませんね」


 彼の耳がピクリと動いた気がした。私の言葉に耳を澄ませてるみたいだ。


「以前、初めて会ったときのことを話してくれましたね。私が、九一郎さんのことだけ見ていたという」


「あ、ああ……」


「あれは、九一郎さんの目に惹かれてたんですよ」


「目……?」

 

「年齢も言葉も、何が出来るのかも関係なく、初めて見た時から私はあなたの目に惹かれてました。何でか分からなかったけど。でも一緒に過ごしてるうちに、たぶん──情熱そのものなのかなって」


 九一郎さんが布団の中から私に顔を傾けた。その瞳は熱を失っていなかった。


 開けられた障子のあいだから、黄金色の太陽の光が射し込んでくる。世界が燃えるように染まっていく。

 一日が終わる輝きなのに、何でこんなに、胸が熱くなるんだろう。

 理屈とか理由とかわからない。


「情熱のある人は、きっと何だって出来ます。それにやっぱり、一緒にいて胸が熱くなるのはあなただけなんです。私は、九一郎さんと一緒に生きていきたい」


 九一郎さんも私も夕陽に染まる。初めて会った時のように瞳を交わしあう。


「……誤解するな。そなたを手放す気はない」


 そして、彼はむくりと上半身を起こそうとする。額を冷やしていた濡れ布巾が落ちる。

 まだ怪我をしている左半身が置いてけぼりになるので、私は彼の背に腕を回し支えた。

 何をする気?


「国主様への返事を書く」


「今ですか? もう少し身体が良くなってからで──」


 唐突に、私の口は塞がれた。彼の唇によって。

 唇も、熱い──。


「ここがどこでも遠慮はせぬ。受けた恩は……別で返す」


 彼は熱のせいか、濡れたように光る眼差しで私を見据え、微笑んだ。

 そして布団の脇に置かれた国主様からの書状に視線を向ける。


「此度は俺の見通しが甘かった。皆に助けられた……俺も俺のやるべきことをやる」




 その翌日、熱が下がり体調が戻ってきた九一郎さんは、ふとんから起き上がる。

 身体が鈍ると言って庭で片手で木刀を振りだした。そして「供回りを増やす」と言う。


 さらに数日後、まだうまく歩けない羽佐さんのために輿を追加し、船を経由して奥高山城に戻った。

 国主様が警護の兵もつけてくれていたけど、それには新たな仲間も加わっていた。


 助介じょすけさん。

 向山さんの伝令だった人だ。本人の一存で九一郎さんに仕官を希望している。向山さんも承知の上だ。


 こめさん。

 武部様伯父様が育成している山伏一族の女性。四郎さんと屋敷にいた時、トイレに付き添ってくれた腕の立つ侍女。彼女から伯父様に状況が伝えられ、九一郎さんも私の居場所を知ることができたみたいだ。


 助介さんは、最後の伝令役だと言って向山さんから私に手紙を預かっていた。

 文字は一行だけ。そして、添えられた花押サインが変わっていた。梅の花をもじった形に。これが何を意味するのか、この時はわからなかった。

 



 


 奥高山城に戻り、紫微様にも報告し、私と九一郎さんは正式に──婚約を果たしたのだった。






 その後──。


 私が馬に乗りたがっていることを知った国主様、そして武部伯父様は、馬を送ってくれた。おとなしい牝馬だ。私とさくさんも馬の乗り方を習うので、二頭。

 馬は高価らしく、貯めておいた褒賞金でも足りなかったから、ありがたい……けど、何でだろう。

 九一郎さんいわく、四郎さんの件に関するお詫びだろうとのこと。

 ふ、複雑……。


 そしてこの時はまだ知る由もないけど、何か月も後には、四郎さんと琴姫様も婚約することになる。これで結婚すると、四郎さんは斉野平家の次期当主となるんだ。


 少しずつ、変わっていく。私も、この世界に少しずつ染まっていく。


 馬に乗れるようになったら、九一郎さん達と一緒に、馬で遠乗りにもついて行く。

 領内を周ってみたい。物の怪が増えるなら、私も退治に協力したい。


 今回の騒動のあと、占術できる日数などが大幅に増えていた。

 まずは、隣接する武部伯父様の領地も併せて視ることになっている。


 一つ目の解呪を、きっと間もなく終わらせられるはず。


 九一郎さんとの婚姻も。私達が結ばれる日が来るのも、きっともうすぐ……。

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