第23話 運命が変わった日 裏①
カシュパルは全ての準備を細部に亘り執拗なまでに拘った。花も料理も空間演出も贈る剣も、自分自身も。
決して野花と勘違いさせない華やかで、芳香の強い花を選んだ。捧げる花は育てる手間がかかればかかる程良い。
料理は日常的な食事とは明らかに違う物を作らなければならない。紅盾の仲間に料理人の親を持つ者がいたので、無理を言ってレシピの一部を教わった。
幾度か事前に練習して味の調整もしたので、彼女の味覚に合わない事はないだろう。
部屋に入った瞬間に明るい気持ちになれる様に、蝋燭は多めに用意した。
そして卓上の物だけを太く長い蝋燭にしておけば、時間経過と共に灯りが消えて食後に落ち着いた雰囲気になる筈だ。
テーブルクロスとカーテンは花に合わせた色味の物へ変えなければ。
自分の恰好も整えるべく、新しい服を仕立てた。子供と思われたくなくて、少し大人びた格好の物を。
そんな風に、病む程に自分を追い詰めて準備した。彼女に拒絶される可能性に怯える毎日はカシュパルにとって耐え難かった。
こんな事は何度も繰り返せる類の物ではなく、一回で確実に彼女に成功しなければならない。
そして迎えたこの日、セレナはやはり今日が何の意味を持つかすっかり忘れてしまっていた。
「今日は俺とセレナが会った日だ」
「今まで祝ってなかった気がするが……?」
彼女がばつの悪い顔をする必要はなかった。貧しい生活の中で、負担にならないようにこの日も普通に振舞っていたのはカシュパルなのだから。
けれどカシュパルにとっては忘れる事のない、セレナに救われ人生が変わった日。
「ああ。でも俺は忘れた事はない。……今日は俺がそうしたかったから」
心を尽くして用意した物を、セレナは気に入ってくれるだろうか。
また前のような温かな眼差しを向けて欲しかった。これでも駄目ならば、これ以上何をすれば良いのか分からない。
敢えて考えないようにしてきた可能性は、少しでも脳裏に過った途端にカシュパルの心臓を締め上げた。
セレナはカシュパルが用意した席に座り、促されて料理に手を伸ばした。口にした表情が分かりやすく解けていって、苦労が報われた事を知る。
そして罪悪感に満ちた表情で今までのカシュパルに対する行動を謝罪した。
「カシュパル、すまない。……ずっと酷い事をした」
カシュパルの真心はセレナに届いた。自分がどれだけセレナを大事に思っているか、確かに伝わったのだ。安堵で体から力が抜けていく。
これ以上セレナはカシュパルを試さないだろう。
「……構わない」
本心だった。セレナにはカシュパルを弄ぶ権利がある。既にそれだけの苦労をカシュパルの為にしてきたのだから。
人間の女性でありながら、カシュパルをヨナーシュ国に連れて来てくれた。
そこで目の当たりにした身を削るようなセレナの日常は、カシュパルが自分の苦痛から逃れる為だけにこの国に来る事を了承したのを後悔する程だった。
貧弱だったカシュパルを見捨てずに、そこまでしてくれた人はセレナだけだった。
「でも、そうした理由を教えてくれ。気に入らない事があるなら直す」
そして恩人で養育者である以上に、カシュパルにとって愛した女性だった。
自分に不足があるならば直したいと思った。そしてもし彼女の行動が自分の想いを悟っての事だったなら、隠し通さなくては。
「カシュパルが悪いんじゃない。ただ、そう。少し……戸惑ったんだ。知らないお前を見たような気がして」
セレナの言葉に剣を突き付けられたような気がした。けれどカシュパルに言ったという事は、もうその疑いは晴れたのだろう。
「そう……。なら、もういいさ。食べて。折角作ったんだから」
感情を押し殺してそう言った。和やかな家族の関係に戻る為に、もう今日までの過去に拘る必要はなかった。
それこそがカシュパルの幸せだった。心は少し、切なく血を流すけれど。
時間が経つにつれてぎこちなさが消え、以前に戻ったような温かさがセレナの目に宿る。
他愛もない会話を彼女とする幸福を噛み締め、機嫌よく何杯も酒を煽って酔いだしたセレナを目で愛おしんだ。
「ああ……こんなに飲んだのは久しぶりだ」
セレナは女性である自分の身を守る為に、決して深酒などしなかった。それが今、カシュパルの前で安心するかのように存分に酔っている。
それが自分に許された彼女の特別であるように思え、カシュパルは久しぶりに心から笑って言った。
「顔も赤くなってる」
「そうか?」
指摘すれば自覚がないのかセレナは首を傾げた。そして悪戯に笑いながらカシュパルに手を伸ばして来た。
子供の時と同じように彼女の固く細い指が頭に触れる。すっかり自分を手懐けたその手が嫌な筈がなかった。カシュパルが猫だったなら喉を鳴らしていただろう。
けれどもその手が好奇心旺盛に頭から生えた角に移動する。そしてまるで恋人の様に耳を弄り頬に触れ、カシュパルの劣情を刺激した。彼女に他意などないと分かっているのに。
もしもその艶めく唇に口づけを許されたならと、邪な思いが頭から離れない。
心臓は勝手に早鐘の様な鼓動を鳴らす。セレナの動作一つに操作されるこの心臓は最早カシュパルの物ではなかった。
「あは。顔が赤い。……お前も飲んだのか?」
セレナは子供をからかうような顔をする。
頼むから、そうやって笑って、俺の心を揺らさないでくれ。貴女が可愛らしく魅力的なのを苦しい程に自覚してしまうから。
「どうかな」
突き放す様に言ってみたが、かえってセレナに笑われてしまった。未熟な自分を自覚させられ、この人に敵うはずがないと降参の笑みを返す。
雰囲気は和やかで、用意した贈り物を渡すのに丁度いい頃合いである。立ち上がってセレナに言った。
「少し待ってて。渡したいものがある」
部屋に戻りベッドの下に隠した布の塊を取り出す。布を解けば真新しい鞘が現れた。美的装飾が殆どないのは、セレナが欲深な他人に目をつけられない為だった。
けれどその剣を一度でも手に取れば、どれ程の物であるのか理解してくれるだろう。
本当は剣など握って欲しくないのだが、セレナは決して手放そうとしない。
そして自分自身も彼女の剣によって育てられた身の上である。強く主張する事は出来なかった。
だから代わりに剣に守護の祈りを込める。どんな危険も遠ざけて、必ず彼女が自分の元に帰って来るようにと。
カシュパルは椅子に座るセレナの横に跪き、恭しく両手で自分の真心の籠った剣を差し出した。
「使って」
セレナはカシュパルから剣を受け取ると、鞘を抜いてその実用的な美しさに魅了されたようだった。
刀身に目を惹きつけられたまま立ち上がり、構えてみる。セレナの腕の長さや身長に合わせて作られたそれは、凹凸が嵌るようにぴたりと彼女と合っていた。
「……本当に、良いのか?」
普段はこのようなカシュパルの贈り物をしなくていいと断るのに。その一言で完璧以上に満足させられたのだと理解する。
カシュパルは初めてセレナに、本当の意味で受け取って貰える贈り物を渡す事が出来た。
「勿論」
「ありがとう!」
セレナは子供の様に剣を抱きしめて笑った。心が疼く。今の一瞬を絵に描いて永遠にしたかった。
貴女を俺だけのものにしてしまいたい。誰にも譲りたくない。隠してしまいたい。
カシュパルは唐突に、これ以上自分の感情を隠す事は不可能だと悟った。
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