故国の仇が可哀想すぎて殺せない~愛は世界を救う。たぶん、~

戌島 百花

第1話 殺さなければ

 私は一人、辺境のスラム街を歩いていた。

 赤い長髪を後ろで一つに括り、質素ながらも腕輪をつけ、女性である事は明白である。

 けれどこの治安の悪い場所で絡んでくる者がいないのは、使い古された長剣を腰から下げた戦う者の恰好をしているからだろう。

 堂々と胸を張って歩く姿に敢えて手を出そうとする輩はいなかった。

 饐えた臭いに顔を顰めつつ、荒廃した街並みに金の目を走らせる。

 酷い所だ。

 薄汚れた襤褸切れを纏った人々が、ただ気候が温暖であるという理由だけでこの町に集っていた。冬に凍死する危険性が低いからだ。

 すれ違う子供の顔をさり気なく覗きながら歩く。

 子供達は目が合うと金を欲して手を伸ばすか、あるいは怯えて逃げ出すかのどちらかだ。

 私はある子供を探していた。

 その子供はとある身体的な特徴を持ち一目見て直ぐに分かる筈なのだが、見慣れない土地での人探しの為か簡単には見つからない。

 違う。……違う。この子でもない。

 自力で探すのは難しそうだ。誰かに聞いてみるかと思った頃合いで、丁度私に声をかけて来る者がいた。

「そこの泣き黒子のねえちゃん、誰か探してるのかい?」

 私の左の目じりには涙のような黒子が一つある。声の方向に顔を向けると、地べたにだらしなく横に寝転がる老人がいた。

 私が道を行き来する様子を見て、小銭稼ぎが出来るかもしれないと考えたらしい。

 彼は私が目を引かれたのに気がつくと指を一本出して金を乞う。

「これでどうだ」

 もう随分と探し回っていて、歩きなれている私でも足が棒の様だった。彼の提案に乗らない手はない。

 置かれた帽子の中に小銭を入れ、屈んで視線を合わせ老人に尋ねる。

「カシュパルという子供を知らないか」

 老人は直ぐに片眉を上げ、思い当たったような顔をした。

 小銭を素早く大事そうに懐に納めつつ、路地裏を指さす。

「あっちだな。突き当りを右に行って、赤い屋根の家の前で左に行け。その路地にある一番壊れそうな小屋がソイツの家だ」

「感謝する」

 礼を言って彼の指さした方角へと進む。

 路地裏は掘っ立て小屋が迷路のように入り組んで建築されており、到底自力では見つけられなかっただろう。

 どうやら目的地に辿り着けそうで、ほっとするのと同時に気が重くなる。

 ……あの老人は私がこれからする事を知ったら気に病むだろうか?

 胸の問いに答える声は当然なく、暫く歩いていると子供達の愉快そうな笑い声が聞こえて来た。

しかしそれは純粋な微笑ましいものではなく、悪意の滲んだ嘲笑のような声だった。

 笑い声に混じるのは誰かを蹴る音だろうか。

角を曲がって目に入った光景は、一目見て分かる暴力の現場だった。

「化け物!」

 三人の子供達が一人を囲んで罵っている。中心にいる一際みすぼらしい子供が、頭を守るように腕で庇っていた。

 体格の良い子供がその小さな体を全力で蹴り飛ばし、重い音が響く。

 喧嘩の範疇は明らかに超えていて、囲む子供達は薄笑いを浮かべて楽しんでいた。

 ……腹が立つな。

 それは過去の自分が嘲笑を受ける側の人間だったからだ。

 孤児院で育った自分は外に出る時、人目を気にしながら歩いていた。迷惑そうな大人の視線に怯え、同年代の子供からは馬鹿にされた。石を投げられた事さえあった。

 勝手な共感で怒りを覚えた所で、自分がこれからしようとしている任務だって人に言えるようなものではない事に気がつく。

 自分だって邪悪さで言えば大して変わらないのかもしれない。

 けれど繊細で重大な任務前だからこそ、心が騒めいて彼等に黙っている事が出来なくなった。

 これから行う自分の行為が少しでも許されるように。そんな贖罪に似た気持ちで彼等に関わる事にした。

「お前達」

 三人の背後に立ち、剣の柄を触れながら威圧的に立ち振る舞う。

「邪魔だ。怪我をしたくなかったら、どけ」

 気の強そうなその少年は険しい目つきをして反抗的に顔を向けたが、私が剣を携えている事を知ると直ぐに顔色を変えた。

「……行くぞ」

 彼らは誰にも助けてもらえない孤児だ。相手を選ばずに喧嘩を売れば、直ぐに街から消されてしまうのを良く知っている。

 三人が立ち去った後には私と蹲る子供だけが残された。

 十歳程だろうか。頭を庇っている腕は痩せこけて木のように細く、目深に襤褸のローブを羽織ったその姿はまるでゴミと変わらない。

「生きているか?」

 動かないその姿に不安になり声をかける。気絶しているだけなら良いが、この弱った姿であれだけ蹴られれば死んでいる可能性があった。

 反応が無いので、仕方なく腕を掴んで顔が見えるように仰向けにさせた。ローブが重力によって落ちる。

 露わになったのは、二本の小さな角だった。

 獣人を排斥するこの国では極めて珍しい容姿。獣人の中で最も頑強と言われる、竜人の血を引く者の証である。

 は、と息を詰めた。

「お前が……カシュパル」

 間違えようがない。この子供こそ、私が探していた竜人と人間の血を引く混血児。

 彼の顔は元の顔が分からない程に青く腫れあがっていた。

 顔だけではない。体中に傷があり、日常的に彼が受ける暴力の数を私に知らしめる。

 目の前にいる、この上なく無力な少年。

 意識すらなく自分が何をされるかも分かっていないだろう。放っておけば死にそうにも見える貧弱さだ。

 情報として知るよりも何倍も悲惨に思える状態で、カシュパルは私の前に現れた。

 奥歯を強く噛み締める。

 そんな子供を、私は……殺さなくてはならない。

 剣を抜き放ちカシュパルの首に突き付けた。喉に切っ先を当てて、そのまま少し力を入れれば命を絶てるように。

 けれど、最後の一押しがどうしても出来ない。少年の哀れさが私の手を押しとどめようとする。

 盗賊や敵兵など幾人も切り捨てて来た筈の手が、虐待と無関心の限りを尽くされた彼をどうしても殺したくないと叫んでいる。

「なあ、カシュパル。お前が……」

 唾を飲み込み、手の震えを押さえようと柄を強く握った。

「本当に、この国を滅ぼすのか?」

 返事が無いのを知りながら、聞かずにはいられなかった。

 神殿に駆け込み助けを求める貧しき人々よりも更に惨い有様だった。

 どれ程の悪意に曝されれば、こんな状況になるのか私には分からない。

 この上なく哀れで同情されるべき存在に見える。

 ただ一点、獣人の血を引くというだけでカシュパルはこの国で誰からも忌み嫌われるのだ。

 けれど、殺さなければ。


 何故ならお前は未来で、獣人達を率いてこのアリストラ国を滅ぼしに来るのだから。

 

 

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