2023年3月20日 11:14
黒玻璃の夜、地下鉄道を往く。への応援コメント
はじめまして。すごい作品を見てしまいました。自己の存在を自分の外に置いて確かめたいという思いはあります。でも、それをした瞬間に、自己は、自分からも、外の自分からも消えてしまう。自分はここにいるぞ、と叫ぶことが出来るのは、自己を放棄し、確かな存在となった死体だけ。わたしは生きている限り、物質としてのわたしと一つにはなれない。わたしたちはこの事実に気づくことなく、漫然と「われ思う、ゆえに我あり」などとつぶやいて生きているつもりでいるのです。愚かなことですが、それを自覚することも、また、到達点のない問いの中に落ち込んでゆくだけなのでしょうね。
作者からの返信
熱いコメントありがとうございます!「自己を問う」といった行為を通して、人間は精神的自立・安心を得ていると思うのです。ただ、@aono-haijiさんの仰る通り、可塑的な存在の人間に「絶対」なんてことはありえない、自分は自分自身をそれほど解明できず、「死」だけが問いに対する確証を持った答えとなる、ということを思ってました。それでも問いをやめられないのは、生まれ、生きてるからに他ならない。だから、人間にとって問う行為自体が、自分を自分たらしめる条件、、、なんてことを当時考えてました。拙作への感想本当にありがとうございます。@aono-haijiさんの読みの深さに、自分も精進せねばと思った次第です(汗)末筆になりますが、この度は読んでいただきありがとうございました。
黒玻璃の夜、地下鉄道を往く。への応援コメント
はじめまして。すごい作品を見てしまいました。自己の存在を自分の外に置いて確かめたいという思いはあります。でも、それをした瞬間に、自己は、自分からも、外の自分からも消えてしまう。自分はここにいるぞ、と叫ぶことが出来るのは、自己を放棄し、確かな存在となった死体だけ。わたしは生きている限り、物質としてのわたしと一つにはなれない。わたしたちはこの事実に気づくことなく、漫然と「われ思う、ゆえに我あり」などとつぶやいて生きているつもりでいるのです。愚かなことですが、それを自覚することも、また、到達点のない問いの中に落ち込んでゆくだけなのでしょうね。
作者からの返信
熱いコメントありがとうございます!
「自己を問う」といった行為を通して、人間は精神的自立・安心を得ていると思うのです。
ただ、@aono-haijiさんの仰る通り、可塑的な存在の人間に「絶対」なんてことはありえない、自分は自分自身をそれほど解明できず、「死」だけが問いに対する確証を持った答えとなる、ということを思ってました。
それでも問いをやめられないのは、生まれ、生きてるからに他ならない。だから、人間にとって問う行為自体が、自分を自分たらしめる条件、、、なんてことを当時考えてました。
拙作への感想本当にありがとうございます。@aono-haijiさんの読みの深さに、自分も精進せねばと思った次第です(汗)
末筆になりますが、この度は読んでいただきありがとうございました。