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  • はじめまして。すごい作品を見てしまいました。自己の存在を自分の外に置いて確かめたいという思いはあります。でも、それをした瞬間に、自己は、自分からも、外の自分からも消えてしまう。自分はここにいるぞ、と叫ぶことが出来るのは、自己を放棄し、確かな存在となった死体だけ。わたしは生きている限り、物質としてのわたしと一つにはなれない。わたしたちはこの事実に気づくことなく、漫然と「われ思う、ゆえに我あり」などとつぶやいて生きているつもりでいるのです。愚かなことですが、それを自覚することも、また、到達点のない問いの中に落ち込んでゆくだけなのでしょうね。

    作者からの返信

    熱いコメントありがとうございます!

    「自己を問う」といった行為を通して、人間は精神的自立・安心を得ていると思うのです。
    ただ、@aono-haijiさんの仰る通り、可塑的な存在の人間に「絶対」なんてことはありえない、自分は自分自身をそれほど解明できず、「死」だけが問いに対する確証を持った答えとなる、ということを思ってました。
    それでも問いをやめられないのは、生まれ、生きてるからに他ならない。だから、人間にとって問う行為自体が、自分を自分たらしめる条件、、、なんてことを当時考えてました。

    拙作への感想本当にありがとうございます。@aono-haijiさんの読みの深さに、自分も精進せねばと思った次第です(汗)
    末筆になりますが、この度は読んでいただきありがとうございました。