第1話:罪状

「ここ数日、高坂家の邸宅の周りをウロウロしてる人が居たから気になって、観察してたんだ」

 彼女はスマートフォンを操作し、僕の後ろ姿を撮った写真を見せる。

 混乱していた。迂闊であったのは間違いないが、僕の思惑まで誰かに勘づかれるとは思っていなかった。

 僕は彼女の次の言葉が金銭の要求であるならば、彼女を獲物にしようとその場で決意した。

「もちろん、さっきのは冗談だけど。キミ、高坂家に何の用なの?」

 心の中で息を吐き出す。

「高坂家をちょっと調べています。確かに行動は怪しかったかもしれないけど、別に怪しいものではありません」

 我ながら苦しい言い訳に感じる。

「そうなんだ。あ、自己紹介がまだだったね。私の名前は藤堂千夏。私は高坂家を殺したいほど憎んでるよ」

 えっ、と思わず口にしてしまう。

「まずキミの名前を教えてよ、名前も知らない怪しいキミに身の上話はしたくないな」

「僕の名前は成瀬亮、一応大学生です」

「じゃあ、わたしの方が歳上だね」

 藤堂は僕の自己紹介を聞き、明らかに上機嫌になった。

「それより、どうして高坂家を殺したいほど憎んでいるんですか?」

「高坂家のことを知っているなら大体想像はつくでしょ」

 藤堂はそう言うとパーカーの袖をめくる。その腕にはおびただしいほどの発疹が出ており、静止に堪えるほどであった。

「肌がもう再生不能なまでに荒れてからアレルギーってことが分かった。今は寒くなくても長袖しか着られない。それに、もちろんアレルギー物質の入った食品なんかを食べたら大変なことになる」

 藤堂の表情はどこか諦めたかのように無表情だった。

 心のどこかではサプリメントでのアレルギーの発症自体は大した問題ではないのだと思っていた。

「それで藤堂さんも高坂家を調べていたのですか?」

「基金も廃止になっちゃったし、何か高坂家の弱みを握れればなって。でも、本格的に調べるうちにとんでもないことを知っちゃった」

 正直なところ、僕は藤堂の話にあまり興味がなかった。

 今のところ彼女は僕の敵という訳でもなく、彼女の存在は僕に雅也の殺害を後押しするものでしかなく、新しい情報が入ろうともターゲットを今更変える気はないと考えていたが、次の彼女の発言で僕の気持ちは大きく揺らいだ。

「三年前に自殺した高坂幸雄は、高坂家の誰かによって殺害されたんだ」

 

 *

 

 藤堂は僕の思っていた以上に行動的な人間であり、彼女は高坂家に忍び込んだうえで盗聴器を設置し、内部の情報を一定期間収集していた。

 使用人によってゴミと間違えられ盗聴器は撤去されてしまったようだが、それまでの間に盗聴器は興味深い会話を捉えていた。

 その内容は高坂美南が雅也と和毅に向かって「どっちがお父さんを殺したの!」とヒステリックに叫ぶ様子だった。

 週刊誌で語られていた徹底して邪魔者を消す人間性を持つ雅也が幸雄を殺害したと考えるのが妥当ではあったが、藤堂曰く雅也は次男である和毅に振り回され、彼の尻拭いのために暴力団とも関わってしまうことになっただけで、元は善良な人間であり、本来であれば救済基金に賛成の立場をとっているとのことだった。

 高坂幸雄の自殺に疑問を覚えた僕は基金の廃止に追い込んだ諜報人にターゲットを絞り込むため、藤堂と共に幸雄の事件を洗い直すことにした。

 事件当日、午前八時に使用人の清長聖子がいつもは起きているはずの時間に朝食に現れない幸雄に疑問を抱き、施錠された幸雄の部屋の扉をマスターキーで開け、自室内で首を吊っている彼の姿を発見した。部屋には内側から鍵がかけられていたことと、スキャンダルの発覚した直後ということが重なり、警察は深くは捜査せずに自殺と断定した。

「マスターキーがあると言うことは誰でも簡単に中に入れたわけですね」

「ところが、使用人の清長は一本しかないマスターキーを常に持ち歩いていて、当時は二十三時に一階の自室に戻ったあとは部屋の外には一歩も出ていないと証言していたみたい。相手が高坂家の人間であってもルールには厳しくマスターキーを自分以外が利用することは許可しない性格だとか」

 当時警察は幸雄の死を自殺と断定し捜査していたため、詳しいひとりひとりのアリバイまで精査しなかった。

なぜこの家とは直接関係のない藤堂が関係者のアリバイを知っているのだろうと考えようとしたが、盗聴器の件を思い出し合点がいった。

「そもそもですが、本当に幸雄さんの死は他殺なのでしょうか。美南さんの発言だけが根拠と言うのはいくらなんでも強引すぎる気がしますし、殺したと言う言葉の意味も、物理的にではなく精神的に追い詰めたと言う意味に捉えることもできますよね」

 藤堂はうんうんと首を縦に振る。

「確かに私も最初はそう考えたよ。でも、高坂製薬の動きを調べるにつれて自殺が怪しく思えるようになった」

 藤堂は高坂製薬の内部資料を投げて寄越す。そこにはある大企業の代表取締役との会談の記録が残されていた。大きく社外秘と書かれているが一体こんなものをどうやって手に入れたのだろう。

「幸雄は高坂製薬を売却しようと裏で動いていた。売却したお金を救済基金に充てるために」

 彼女の言いたいことは理解できた。高坂製薬が売却され、その金を基金に収められてしまえば三人の子供たちに残されるものは極僅かな資産のみとなる。それだけでも一般人からすれば多額に思えるが彼らにとっては致命的であろう。

 少なくとも売却の実現が成るまでは幸雄が自殺するとも考えにくく、その点からも遺産相続者による犯行は現実味を帯びてくる。

「こんな話を今日知り合ったばかりの怪しい僕にして何が目的ですか?」

 藤堂は僕をまっすぐ見て、ニヤリと笑う。

「実は忍び込んだ時に密室の謎は概ね解いているんだ」

「密室?」

 推理小説でしか聞かないような単語だ。

「鍵は特殊な構造をしていて複製が難しいし、唯一の鍵は部屋の中にあった。マスターキーを所持していた清長は厳しい性格で息子たちに協力した様子も見られなかったし、これって完全に密室と言えるでしょ」

「外観では二階のどの部屋にも窓があるように見えました。大して高い建物でもありませんし、どの部屋が幸雄さんの自室か分かりませんが、アクセスするのは容易ではありませんか?」

「窓には鍵がかけられていたし、何かしらのトリックで鍵をかけたとしても、住宅街のど真ん中に建っているあの家の二階の窓から出るのはさすがにリスキーじゃないかな」

 確かに。いくら犯行が深夜とは言え、帰宅が遅くなる人もいる住宅街で二階の窓にしがみつくのはいくらなんでも計画として杜撰すぎる。

「それで、藤堂さんの密室の謎に対する答えはどういうものですか?」

「忍び込んだ時にドア枠をよく観察したら、ドアの開閉部分ではない方、つまり蝶番のあたりにかなりの擦り傷がついていたんだ。それがヒントね。ここから先は」

 彼女は人差し指を僕に向ける。

「ここから先を知りたければ取引しない?」

「取引、ですか?」

「そう、密室の謎が解けても犯人が雅也か和毅かの特定には至らない。警察は個々人のアリバイ調査なんかやってないし。だから、事件当日のアリバイの調査をキミにやって欲しいだよね」

 三年も前の事件のアリバイ調査、警察でもきっと困難な作業だ。

「そんな難しい顔しなくても大丈夫。使用人の清長は今も働いていて、彼女は全員のスケジュールをびっしりとスケジュール帳に書き記しているし、スケジュール帳は捨てずに保管してる。どうやってかあの家に侵入してスケジュール帳の写真を撮ってくるか覚えてくるだけで良いの」

「それなら忍び込んだ前科のある藤堂さんがやった方が絶対成功率高いじゃないですか。スケジュール帳の在処もきっと知っているんでしょ」

 藤堂は人差し指を下唇にあて困った顔をする。

「そうしたいのは山々なんだけど、忍び込んだ時に顔を見られちゃってるから」

 それは忍び込んだとは言わないのでは。

「あ、そうだ。もう一つお願いしたいことがあって、次にここに来る時、パン買ってきて。できれば新作のやつがいいなあ」

 僕が訝しんだ目で藤堂を見つめると彼女は照れ臭そうに頭をかいた。

「実は仕事してなくてさ、まともにご飯、食べてないんだ」

 了承し、具体的な日程を話した後、その場を離れた。何だか不憫な気持ちになってどこに住んでいるのかさえ聞くことが出来なかった。

 そんなこんなで僕は高坂家に侵入しアリバイの調査を行うことになってしまったが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。藤堂には黙っていたが、もともと高坂には侵入するつもりだったのだ。目的がはっきりした分むしろ好都合と言えた。

 諸悪の根源が高坂幸雄を殺害した者にあるのであれば、僕がその人間を必ず殺してやる。

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