名前のない処刑人

いと

第0話:衝動

 人を殺したい。

 別に猟奇的な趣味があるわけではない。映画は結構好きだけど、グロテスクなスプラッター映画はむしろ嫌いだ。

 そもそも、人を殺したいと言う衝動は異常なものなのだろうか。

 僕にも友人はいる。もちろん、僕の内なる衝動は全く知らない善良な友人たちだが、その友人たちは「真面目な話をしている時、相手をいきなり殴ったらどうなるかを考える時ある」だとか「駅のホームで通過する電車に手を出したらどうなるかを想像する時がある」などと笑いながら話したことがある。

 きっと、それが本能と言うものなのだろう。心の奥底から突然湧き出る衝動は自分自身が根幹のレベルで欲しているもので、その衝動を後から刷り込まれた倫理と理性で封じ込めているだけにすぎない。

 法律は偉大だ。一時の衝動に身を委ねたら、後幾十年もの自由が封じられると言う犠牲が人の中の理性を最大限に引き出している。平等などでは決してない法律も、人の生死にはそれなりに平等だ。

 しかし、僕の理性と言うタガはそろそろ限界に達していた。


 *


 まずは殺す人間を考える必要があった。

 人を殺したいと言う衝動を抑えきれない、常人から見れば狂った人間であることは自覚しているが、見知った相手を殺すのは流石に気が引けた。何を考え、何を愛し、何を嫌がるのか、どんな人生を歩んで今までを生きてきたのかの一端を知る相手を殺すことは漠然と恐ろしかったのだ。

 当然ながら見知らぬ相手であってもその人の人生があり、その人生が理不尽に終わらされることは想像するだけで胸が痛い。

 殺人衝動は強まりながらも、捨てることのできない倫理観に苦しめられ悶々とする日々の中で僕は運命的な出会いをした。

 僕が寝食を忘れて食い入るようにのめり込んだのはとある海外ドラマだった。そのドラマでは強い殺人衝動を抱えた主人公が悪人だけを殺害しており、僕はこのドラマに自身の抱えるものの解法を見たような気がした。

 

 *

 

 気温が下がり、徐々に寒さが本格的になり始めた冬の初め。

 夏には緑の葉をつけていた木々も、今ではすっかりとその葉を落とし、冬の寂しさを感じさせる枝だけが針のように空に向かっていた。

 僕は自身の殺人衝動を満たす相手に、社会に背を向ける悪人を選ぶことにしていた。

 別に賞賛が欲しかった訳ではない。悪の基準は僕が決めると言う曖昧なものであるし、仮に悪人を選ぼうが僕のすることは殺人なのだ。世間から見れば僕も同じく悪人であろう。

 それでも、自分の欲求を満たすために寝覚めの悪いことだけはしたくなかったのだ。

 春や夏は賑やかだっただろう並木道の先にある高級住宅地に足を踏み入れる。

 僕の狙いは業界トップクラスの知名度とシェアを誇っていた上場企業、高坂製薬の創業一族だ。

 高坂製薬は処方箋を必要としない家庭用の医薬品を開発販売しており、先代の高坂幸雄が確かな効果の医薬品と独自の戦略を用い一代で上場を成し遂げた。

 しかし、今から三年前、高坂製薬が発売したサプリメントを飲み続けることで蕎麦粉アレルギーを発症することが発覚。今に至るまで因果関係が証明されていないものの、責任を感じた高坂幸雄は救済基金を設立した。

 だが、基金の設立から数日後、高坂幸雄は自宅の自室で首を吊り、死体となって発見された。

 跡を継いだ長男の高坂雅也はサプリメントとアレルギーの発症に因果関係が証明されていないことを理由に基金を廃止。およそ数億もの金が雅也と流れ込んだ。

 高坂一家の住む邸宅の周りを一周する。週刊誌によれば、この二階建ての洋風建築には、雅也の妻と子供、高坂幸雄の次男和毅、そして長女となる美南が住んでいるはずだった。

 雅也は暴力団関係者への金銭の授受を始め、自身に敵対する人間の失踪など、疑惑の絶えない人物であり、噂には父である幸雄をその手で葬ったと言うものさえあった。

 さまざまな疑惑が本当であるのならば、高坂雅也は僕の獲物にふさわしい悪人と言える。

 高坂家の邸宅の周りを一周し、並木道の途中にあった公園のベンチに腰を下ろす。ここ数日で高坂家の概ねの人流を把握した僕は、次に工事の業者を装い邸宅へと侵入する計画を立てていた。

 しばらく頭の中で情報を整理していると、僕の座るベンチに黒いフードがついたパーカーを着た女性が腰を下ろした。

「キミ、高坂家の人を殺そうとしてるでしょ」

 耳に十数個ものピアスをつけた彼女はそう言うと僕を見て微笑んだ。

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