第064話 不穏な影
逃げたノーザンバッファローの群れの前に一人の人影が舞い降りた。そしてそれと同時に辺りに吹雪が吹き始める。
「ブルルルル……。」
一番体の大きなオスの個体が前に出てそれを威嚇する。しかし、吹雪の中に立つその人影は微動だにしない。さらに一層吹雪が強さを増すと、その人影は吹雪に紛れるようにしてバッファローたちの前から姿を消した。
危険が去ったとバッファローたちが感じた次の瞬間。
「ブモォォォォォ……。」
群れの後方で悲鳴のような叫びが上がる。
そしてそれは立て続けに起こり、気がつけば最初に威嚇をしていた一頭以外のバッファローは全て地に倒れ伏し、真っ白な雪を鮮血で真っ赤に染め上げていた。
どこから襲われるのかわからない恐怖……そして自分よりも強い存在と対面していることを悟ると即座に彼の中にある本能が逃げろと体に促し、逃走を開始した。
しかし、足を踏み出したはずの体はぐらりと揺れて、顔面から地面へとめり込んだ。なにが起こったのかわからずに困惑していると、自分の足が動かないことに気が付く。目を向けてみれば先ほどまで自分の体についていたはずの足は自分の体のはるか後ろにあった。
そう、彼が逃げ出した瞬間に前足と後ろ脚の両方が切断されていたのだ。
彼がやっとのことでそれに気が付くと、再び目の前に人影が現れ、その次の瞬間に彼に意識は消えてなくなった。
やがて辺りには空中に飛び散った鮮血が風で舞い上がり、吹雪に混じり赤い血吹雪が巻き起こっていた。
その真っ赤な血吹雪の中でバッファローたちを襲った人影は、ある方向をじっ……と見つめた後また姿を消した。
そして血吹雪の中でグチャグチャ……という咀嚼音が響き始めた。
標高約2000m地点……突然天候が変わり、打ち付けるような吹雪に見舞われた。
「山は天気が変わりやすいって言うが……こんなに急に変わるものか。」
さっきまで陽も見えていたほど快晴だったのに……。
進む方角を間違わないように方位磁石で常に方位を気にしながら進んでいると、ふと後ろを歩くラピスが歩みを止め、クンクンと鼻を鳴らし始めた。
「む?この匂いは……。」
「どうしたラピス。」
「カオル、血の匂いだ。それもかなり濃いぞ。」
「何だって?」
「この吹雪の流れてきている方向から獣臭と血の匂いが漂ってきておる。」
「俺はちっとも匂わないけどな……。」
俺も歩みを一度止めて辺りの空気の匂いを嗅いでみるが、そんな匂いはしない。
「人間の五感では感じるのは少し無理がある。我はドラゴン故、五感が優れているのだ。」
「なるほどな。それで、どうする?」
「この血の濃さは異常だ。恐らく何匹もの魔物が一ヶ所で殺されている。山を登るのを急ぐのであれば、確認しに行くのはやめた方が良いだろうな。」
「そうか。」
その魔物を大量に殺した犯人が、ノーザンイーグルや氷魔人の可能性は捨てきれないが……。この悪天候の中、わざわざ回り道をして確認しに行くのはリスクが高い。
ここはラピスの言うとおり先を急いだ方が良さそうだ。
「じゃあ先を急ごう。少し駆け足で行くぞ。」
「別に全力疾走しても良いのだぞ?我は着いていけるからな。」
「無理言うな。俺はラピスみたいにスタミナが無限にある訳じゃないんだよ。」
そして俺とラピスは、更にハイペースでノーザンマウントの頂上へと向けて駆け出したのだった。
標高が3000、4000とどんどん上がっていくにつれて、空気中の酸素が薄くなってきているのを感じる。それと同時に、寒さも一段と増してきた。
正直息が苦しくて仕方がない。
そんな息が上がっている俺の横で平然とペーストを保って着いてくるラピス。彼女は此方を見ると心配そうに声をかけてきた。
「カオル、大丈夫か?」
「はぁ、はぁ……問題――――ない。」
「我には辛そうに走っておるように見えるが?少し休んだ方が良いのではないか?」
「山頂はもう……目の前だ。ここで休むなら、山頂で休んでやるよ!!」
途中で休めば休むだけ、ノーザンイーグルに出会うチャンスを失う。山頂までは距離にして後600m程……。
ここで一気にスパートをかけるっ!!
そう決意した俺は、肺にめいいっぱい空気を吸い込むと、大きく一歩を踏み出した。
「おぉ!!まだペースを上げるか。」
前に大きく歩みだした俺に、楽々とラピスは追い付いてくる。しかも楽しそうにスキップでだ。こっちは全力で体を動かしてるっつうのに、どんだけ余裕があるんだよ。
正直ドラゴンの体力が恐ろしくなってくる。
会話を挟む余裕も無いまま、ひたすらに足を動かして進んでいると、ようやく…………。
「っはぁ~……着いたぞ。」
「うむ、よく頑張ったなカオルよ。」
ノーザンマウントの頂きにたどり着いた俺はその場に座り込んで、必死に酸素を取り込むべく深呼吸を繰り返す。
「ふぅ……ふぅ……ここが、頂上……だよな?」
「恐らくな。」
息ひとつ切らしていないラピスは再び辺りの匂いを探り始めた。
「……長きにわたりここに居座っておるヤツがいるな。この匂いのもとは、あそこか。」
ラピスが視線を向けた先には、巨大な鳥の巣のようなものがあった。
「あれは……巣?なのか?」
「うむ。恐らくはな。」
やっとのことで呼吸を整えた俺は、ラピスとともにその巣らしきものに歩み寄った。
遠くからでは分かりにくかったが、近付くとその全貌が明らかになる。
「これは……骨か?」
「骨で作った巣とは、ずいぶん悪趣味な輩がいるようだの。」
間近で巣を観察していた俺達のもとに突然影が降りた。
「カオル!!」
「うぉっ!?」
咄嗟にそこから飛び退くと、頭上から降ってきたのは、ここに来る途中で出会ったノーザンバッファローだった。
そして、その上に巨大な何かがまた降ってきた。
風圧で巻き上がる雪の中、姿を現したのは巨大な鳥。
「キョェェェェェェッ!!!!」
「っ!!」
その巨大な鳥は、人間よりも遥かに大きな七色の翼を広げると、此方を威嚇してきた。
「こいつが獄鳥……ノーザンイーグルかっ!!」
勝手に巣の近くまで近寄られたことで相当お冠のようだ。そっちがやる気なのは好都合……。逃げられる心配がないからな。
「カオル、手を貸すか?」
「いや、こいつは俺にやらせてくれ。ラピスはもし……氷魔人がきたらそっちの相手を頼む。」
「わかった、だが無理はするでないぞ?」
「あぁ。」
俺は既に臨戦態勢に入っている獄鳥の前に立つと収納袋からアーティファクトを取り出した。
「行くぞっ!!」
そして先手必勝とばかりに、それを横に薙いだ。
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