第002話 決断
ジャックの丁寧なおもてなしを受け、いよいよ帰ろうとしたとき、彼は去り際の俺ににこやかに微笑みながら声をかけてきた。
「良いお返事をお待ちしております。」
「あ、ありがとうございました。」
ペコリと一礼したジャックにこちらも一礼を返すと、俺は帰路へとついた。
帰路へとついている最中、ジャックがアタッシュケースを盗られそうになった場所へと赴くと、そこには倒れた原付を囲うように規制線が張ってあり警察官が何人かで現場検証を行っている最中だった。
(あいつらは捕まったのかな?)
その現場を素通りして、家へと帰宅すると、玄関を通った瞬間どっと体に圧し掛かるように疲れが押し寄せてきた。肉体的な疲れじゃない。もっと精神的なやつだ。
ふらふらとベッドへと足を運んだ俺はごろんと大の字に横になる。そして今日出会ったジャックという老人の言っていたことを思い返していた。
「今のご時世に料理の仕事か……。しかも専属料理人。」
一料理人としては専属の料理人に指名されるのはこれ以上ない名誉だが……ジャックは彼の主人である人物について頑なに話そうとはしなかった。そして場所も……住み込みになるという話だけはされたが、それ以上は何も語られなかった。
それがまた俺の中で怪しさを引き立てていた。
結局その日のうちには決断することができず、もやもやした気持ちのまま俺は眠りについた。
次の日────
俺は再び職業安定所へと足を運んでいた。すると、昨日とは違いたくさんの人がぞろぞろと中から紙をもって出てきていた。
人ごみをかき分けて中に入ると、人々の集まっている場所には『本日の求人』と書かれたコーナーが設けられていた。
それを見た俺もなんとかそれを手に入れようとしたが、辿り着く手前で応募用紙は無くなってしまっていた。
人が少なくなった時に受付の人に話を聞いたところ、どうやら今日は医療補助の求人が来ていたらしい。しかも募集している枠はたったの二名のみだったとか。
生憎医療関係に関しては全くと言っていいほど知識がない。栄養学なら少し心得はあるんだが……ちゃんとした資格を持っているわけでもないし、たとえ応募用紙を手に入れられたとしても内定は無理だっただろう。
しかし俺は諦めず一縷の望みを懸けて受付の男性に問いかけた。
「飲食店の求人とかは……………。」
そんな俺の問いかけに返ってきたのは、予想はしていたが無慈悲な一言だった。
「あ~、多分しばらくは飲食の求人は入ってこないよ。少なくともこのウイルスが収まるまではね。どこも赤字続きで人を雇ってる余裕なんてないんだ。」
「そう……ですか。」
一縷の望みすら絶たれ、仕方なく俺は帰路についた。帰り道の途中、昨日の強盗の現場を通りかかったとき……ポロリと服のポケットからジャックの名刺が足元に落ちた。
「…………。」
足元にひらひらと落ちたそれをそっとそれを拾い上げると、彼の連絡先が目に留まった。
「これに懸けるしかないのか。」
職業安定所で求人を得るのは絶望的……。更には飲食関係の求人も入ってこない。
(俺に残されてるのはこの危険な可能性と……ここまで培ってきた料理の腕だけか。)
人間というのは余裕がなくなると、人生を左右するような重要な決断でもあっさりと決めてしまうことがある。
俺は誘われるかのように名刺に書いてあった連絡先に電話をかけたのだ。
プルル……と着信音が三度鳴るとジャックが電話に出た。
「ホッホッホ、そろそろかと思っておりましたよカオル様。」
「ははは……本当にお見通しなんですか?」
電話越しにこちらの心境をズバリと当ててくるジャックに思わず苦笑いを浮かべていると、後ろから肩をポンポンと叩かれた。
「え……?」
「カオル様、お早う御座います。」
恐る恐る後ろを振り返ると、きちっと整った皴一つない紳士服に身を包んだジャックが立っていた。
よもや電話をかけた相手が背後にいるとは思わず俺は驚いて飛びのいてしまう。
「なっ……なな、なんでここに……?」
「ホッホッホ♪執事というものは呼ばれればすぐに駆けつけるものなのですよ。」
(いやそれでもいきなり後ろに現れるか!?普通っ!!)
そんなツッコミが口から飛び出そうになるのをぐっとこらえていると、彼が話し始めた。
「さて、カオル様……私に連絡をくださったということは、仕事を受けてくださるということでよろしいですかな?」
その彼の問いかけに俺はこくりと頷いた。
一つ頷いたこちらの姿を見てジャックはニコリと笑う。
「では昨日もお話ししました通り、住み込みでのお仕事になりますので……一度カオル様の住居へ行きましょうか。家具なども運ばねばいけないでしょうから。」
「え、俺の家に……?」
確かに昨日住み込みで働くことになるとは聞いていたが、そういう家具の運搬などは普通業者か何かに頼むのではないのだろうか。
「もしかしてもう業者か何かを手配してたり……します?」
「ホッホッホ、そんなものは頼んではいませんよ。
「じゃあいったいどうやって……。」
「まぁまぁ、それは着いてからのお楽しみにしておきましょう。」
にこりと笑うと彼は俺の家がある方向へと歩き始めた。
まさか俺の住所まで把握してるのか!?
思わず背筋に悪寒が走る……。いったい彼はどこまで俺のことを調べているんだ。
何も言わずに彼の後ろに着いて行くと、ふと彼の後頭部に大きなたんこぶができているのに気が付いた。正面から見たときには見えなかったものだ。
それについて問いかけようとすると、こちらの視線に気が付いたのか、彼が気さくに話し始めた。
「ホッホッホ、このたんこぶが気になりますかな?」
「ま、まぁ……ずいぶん大きいなと思って。」
「実は昨日、あのケースの中には私のご主人様が大好きなケーキが入っていましてな。」
(あ、も、もしかして……。)
彼が話している最中、頭の中にアタッシュケースごと放り出された男たちの姿がフラッシュバックする。そして中身に柔らかいケーキが入っていたことを想像すると……どうなっているのかは容易に想像がつく。
「形が崩れてしまったケーキを見たご主人様からおしかりを受けた結果……この通りでございます。」
「な、なるほど。」
(予想以上に怖い主人なんだな。期待にそぐえない料理を作ったら俺もこんな風に怒られてしまうのだろうか?)
大の大人にこんな大きなたんこぶを作らせるほどの腕力……考えるだけで恐ろしくなってきた。だが今更後には引けないな。
と、そんなこんなで俺はジャックとともに自宅の目の前まで来てしまった。本当に彼は俺の住所まで突き止めていたらしい。
俺の家の前に着くと彼はこちらを向いてにこりと笑った。
「カオル様、今より見ることを……
「……??それはいったいどういう──。」
彼の言っていることを理解する前に、ジャックは鍵のかかっていたはずのドアを何事もなかったかのように開け放つと俺の部屋へと足を踏み入れた。
「失礼いたしますよ?おぉ、一人暮らしの割に部屋の中は綺麗にしてありますね。これならば手早く終わりそうですな。」
「えっ!?なんで、鍵はっ!?」
「ホッホッホ、これはまだまだ序の口ですぞ?本番は……ここからでございます。」
驚く俺を置いて、ジャックは笑いながら部屋の床に両手を付けた。すると彼を中心にして何かの紋様のようなものが浮かびあがる。
「
そしてジャックがそう口にした瞬間、部屋の中にあった家具や食器、家電、衣類までもすべてが一瞬にして消え去ってしまった。
現実的にあり得ないことを目の当たりにして目を見開き呆然としていると、ジャックはおもむろに俺の手を取った。
「さぁ、カオル様これからあなた様が暮らす世界へ参りましょうか。」
「なに……を?ーーーーっ!?眩し────。」
突然視界をまばゆい光が覆いつくし、目の前が真っ白になった。
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