第85話 家族愛


 ──────これは、世界最高峰の暗殺組織『紅』が発足されてまもない頃の話だ。




 いつも通りの日常を送っていた紅に、ある日突然転機が訪れる。


「ボス、大変です!!」


 地下にあるボスの部屋を勢いよく飛び出しながら入ってきたのは、そのボスの側近であるグラスであった。


「無礼な奴だな。私の部屋に入る時はノックというものを……」

「これを見て下さい!!」


 まるで子供のように入ってきたグラスを叱ろうとするも、グラスの勢いが止まることはなく、ボスの目の前に持っていた一切れの紙を差し出す。

 そんなグラスの行動に溜息をつきながらも、後で懲罰を与えようとボスは決め、今は仕方なくその紙に書き出されていた内容を見る。


「……っ!」


 途端、ボスの冷静な表情がガラリと変わった。


「……どこにいる?」

「東京のとある孤児院です」

「……これは本当なんだな?」

「私の『把握』に例外はありません」


 グラスの異能『把握』は、文字通り相手の異能を把握することができる能力だ。具体的に言うと相手の能力を完全に把握することはできないのだが、それに近い内容を白紙に書き出すことができる。

 紅はこの異能を使って日々組織の戦力となる人物を探していた。それは孤児院にいる子供たちを対象にしたもので、今回は不意にも大物が当たったようだ。


「こいつは野放しにしてはいけない存在だな……」


 書き出されていたその孤児の異能を見て思わず顔をしかめるボス。

 この人材探しは、紅としての戦力を確保するという目的の他にも、強力過ぎる異能の持ち主をボスの管轄下に置くという目的もあった。強力過ぎるが故に、反社組織などに加わってしまえば厄介となるような人物を矯正し、我々の敵とはならないよう裏から日本の平和を守る。それが紅のあるべき姿であり、ボスの使命のようなものだった。


「見たことないですね。こんな無茶苦茶な異能」

「おそらく覚醒を済ませた者だ」

「こんな幼い子がですか!?一体何があったらこんな……」

「確かに異能もとんでもないが、これは……」


 ボスは異能の他にもう一つ注視していた要素があった。


「なんという事だ……」

「ボス?」

「今すぐにこの孤児を連れてこい。こいつを……私の後継者とする」

「後継者……ですか?」


 突然の決断にグラスは戸惑いを隠せない。


「どうやら、こいつの異能は血筋も関係しているようだ。これは紅で引き取らなければ手遅れになる」

「血筋?……この子の名前は時崎……、まさか……ボスの?」


 グラスは内容を再確認して一つの仮説を導き出せたようだ。ボスはそれに答えるようにゆっくりと頷いた。

 グラスはボスの本名を知っていた。偶然一致したという可能性も捨てきれないが、異能の強力さ故にそう確信してしまうのも無理はない。


「……分かりました。直ちに隊を編成します」


 性格はアレだが命令には忠実なグラス。ボスへの忠誠心を示すようにすぐさま部屋を後にしていった。

 ボスの部屋は、一瞬の騒動から束の間の静寂へと変わる。


「……一度諦めたはずの家族にまた再会する羽目になるとは……皮肉な運命だな」


 ボスは過去の事を思い出すように天井を見上げながらそう呟いた。自虐とまでは言わないが、自身の運命には嫌気が差しているようだ。

 数時間後、グラスに連れられボスの目の前にはまだ赤ん坊同然の時崎時雨が姿を見せた。

 ここに突然連れ出されたにも関わらず、大声を上げることもなく、泣き喚くこともなく、ただ静かにボスの目を見つめていた。

 ボスはその目からどことなく両親の面影を感じながらも、可愛がるわけもなくただ低い声音で、


「私の全てを叩き込む」


 と、豪語した。



 それから数十年、時雨は過酷な毎日を強いられることとなった。

 ボスは心を鬼にして時雨を育て続けた。強くするために、その異能を制御できるようにするために、自身の後継者とするために。

 そして、たった一人の血の繋がった家族のために。

 時雨はそんな過酷な訓練の日々も着実にこなしていった。恐るべき成長スピードと吸収力の高さにボスが度肝を抜かれたのはもう数え切れない。


「お前のコードネームはレインだ。いいな?」

「はい」


 時雨が10歳になる頃には、自身の後継者として立派なほど実力と風格を兼ね備えた無敵の暗殺者となっていた。

 ボスはそれが誇らしくもあり、寂しくも感じてしまった。唯一の孫が何処か遠くに行ってしまうような、そんな気がしてならなかった。

 それでも、今更そんな家族面を彼にできるわけもなく、その真実はずっと時雨には秘密にしていた。それが時雨にとってどんな影響を及ぼしているのかは分からないが、ただ一つの罪の償いとして最後まで面倒を見るつもりだった。


「レインが消えただと!?」


 けれど、時雨は突然いなくなった。

 その日は流石のボスも動揺を隠せなかった。

 自身の持つ全ての情報網を駆使し、時雨の居場所を突き止めようとした。

 だが、幸いなことに時雨の居場所はすぐに分かった。


「国立ソルジャー育成高等学校……か」


 そこに彼は入学していたのだ。

 そこでボスは気づいた。

 彼は、ずっと籠の中の鳥だったのだ。

 籠の中でしか生き方を知らず、感情も知らず、ただひたすらにボスの命令を忠実に守る日々。

 生きている実感も湧かない彼は自由を求めていたのだ。友情を求めていたのだ。愛情を求めていたのだ。

 だから、ボスは少し時雨を自由にすることにしたのだ。それが本当の罪の償い方なのかもしれないと、そう思った。

 今まで縛りつけてしまった分まで彼を自由にしようと、そう決めたはずなのに。


「レインを連れ戻すぞ」


『孫の顔をもう一度見たい』


 ただそれだけの想いで、彼をまた籠の中に入れてしまった。

 それがなんと言うのか、ボスは知っている。


 それが、『家族愛』なのだ。




 ※



「それで、どうするつもりですか?無理やり連れ戻した手前、レインに何て言い訳します?」

「……っ」


 任務のためと連れ戻したというのは嘘で、本当は顔が見たかったからと、そんな理由を今更ボスが言えるわけもない。だからこそ、その言い訳をグラスは一緒に考えようとしてくれているようだ。


「それにしても、レインは前より表情豊かになったように思えません?」


 やはり、グラスはそんな言い訳よりレインに興味があるようだ。


「……そうかもな」


 学園に通ったことでレインは様々な感情を知れたことだろうと、ボスも理解していた。本当は学園にいるべきだったのだろうということも。


「私は……私はどうしたらいいと思う?」


 情けなくも部活に助言を求めるボス。だがそんな頼みごとができる人間はグラス以外にいない。


「私としては、紅に居てほしいと思います。その方がボスにとっても、みんなにとっても幸せなことです。でも……もしそれがレインのことを縛りつけていたのであれば、止めるべきなのかもしれません。彼を自由にさせること、それが一番にレインを想うということに繋がる気がしてならないです」

「……そうか」


 人間はいつしか重要な選択を迫られる。

 右か左か、上か下か、生きるか死ぬか。それによって人生は大きく変わる。

 ボスは今、そんな選択の最中にいる。

 だがグラスの言う通り、彼を本当に大事に想っているのであれば、彼の思うがままに生きてもらうことが一番の幸福だろう。それも家族愛なのだと、ボスは割り切り始めた。


「グラス、レインに通達しろ」

「はい」

「お前の好きに生きろ。以上だ」

「……はい」


 そのボスの選択に、グラスは涙を抑えながら応えた。

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