第72話 彼がいなくとも1


 時は遡り、時雨が学園を去った次の日。

 あんな事件があったものの学園は特に変わった動きを見せず、いつも通りの日々を送ろうとしていた。


「学園長!どうしてあの事件を公にしてはいけないんですか!?どうして学園は何も動かないんですか!?どうして……時雨くんを取り戻そうとしないんですか!?」

「小野寺くん、ここは学園長室だ。もう少し静かにしたまえ」


 そんな日常に異義を唱える者が複数。今まさにBクラスのリーダーである亮太が学園長に直談判で抗議をしていた。握られた拳や表情からは彼の中で様々な感情が入り乱れているのが分かる。それが彼のクラスのリーダーとしての、時雨の友人としての正義感の現れだった。


「そうだぜ!友人を連れていかれて黙ってろなんてあんまりだぜ!」

「せめて事情ぐらいは聞かせてくれよ!」


 その後ろには元治や隼人、茜や楓といった時雨と仲の良かった面々も見える。

 皆、時雨が連れて行かれたことと学園長がいつまで経っても話を聞いてくれないことへの怒りが収まりきれないでいた。


「プロのソルジャーも教員として在籍している中、反撃も抵抗もしなかったのはなぜですか?」

「我々ではどうしようも出来ない相手だったのさ」

「し、時雨くんがどこに行ったか本当は知ってるんじゃないですか?」

「いいや、知らないよ」


 杏子や楓が質問をしても、このように学園長は軽く受け流して答えていた。


「その態度は気に入らないな学園長」

「一ノ瀬くんこそ、学園長にその口調はどうかと思うよ?」

「私たちは真剣に話をしに来たんだ」

「だからさっきから話しているじゃないか。それに、君がそんなに感情を露わにするのは珍しいね。時崎くんのためだからかな?」

「……っ」


 一ノ瀬の攻撃もからかうような簡単な反撃で流されてしまう。


「時雨くんを助けようとは思わないんですか?」

「思わないね」

「……何故ですか?」


 怒りを抑えながら言葉を選んで訊いているのは薫だ。


「この学園のポリシーさ。この学園は生徒の意志を一番に尊重しているからね。例えば、親が我が子の退学を強く望んでいたとしても、生徒本人が望んでいないのなら私はそれを受諾したりしない。それは一ノ瀬くんが一番分かっているはずさ」


 またもや視線が一ノ瀬に向く。

 確かにその通りだ。この学園は生徒を一番に考えられている。あの時の体育祭の時も増谷は同じ事を言っていた。

 だが、その理屈が通るのならば、


「もしかして……時雨くんは望んで行った、ということですか?」

「その通りさ」


 かなり遠回りになったが、学園長は結論を口にした。

 その言葉に皆が唖然としていた。実際は信じきっていないのだろうが、もしそうだとした場合俺たち私たちが今していることは余計なことの一言で収まってしまう。そう思ってしまった。

 それに、最後に時雨が口にしていたことを思い出していた。


『大丈夫だ。俺は必ず戻ってくる』


 この言葉の真意は分からない。

 一度離れるがその後帰ってくる、とも取れるし、自分でどうにか脱出して帰ってくる、とも取れる。

 前者の場合は時雨が進んで行ったことになる。しかし、後者の場合は前向きに行ってはいないことになる。

 つまり、あの言葉は二つの受け取り方があるということだ。

 だからこそ、皆さっきの学園長の発言で分からなくなっていた。このまま時雨を連れ戻そうと頑張るのか、時雨が帰ってくることを信じて待つのか。

 友人を想う気持ちが揺らいでいた。


「分かったかい?なら話は終わりだ。授業に戻りたまえ」

「……っ」

「小野寺くん。人には知られたくない秘密が一つや二つあるものだ。君だってそうだろ?」

「ですが……!」

「今回の件は時崎くんにとって皆に知られたくない内容なはずだ。私は学園長として彼をサポートしているにすぎないのだよ。だから君たちは信じて待つしかないのさ」

「……戻ってきますかね?時雨くんは」

「彼がそう言ったなら待つべきだね」

「……分かりました」


 数分の死闘の末、亮太たちは学園長室を後にしていった。

 去り際の表情からはまだ納得していない部分が垣間見えたが、今日のところは引くようだ。

 亮太たちが扉を閉め切ったところで増谷は椅子の背もたれに体をあずける。

 悪役を演じるのも辛いなと思うこの頃だ。


「まったく、良い友人を持ったものだ。世界一の暗殺者さん」


 去っていった嵐にほっと息をつきながら増谷そう呟いた。と同時に、時崎と初めて会った日のことを思い出していた。


「人はいつでも成長できる。そのことを改めて知らしめられた気がしたよ」


 ほんの半年間であっても彼は人として成長し続け、それが伝染してか周りの人間も変わり始めている。日々の出来事や学校行事、イレギュラーな事件と彼の影響力によって同じ年代の者たちが変わり始めている。

 彼をこの学園に入れて正解だったとつくづく思う。

 彼を無くしたあの子たちが今後どのように成長していくのか楽しみだ。

 増谷はすっかり緩くなってしまったネクタイを締め直し、自分の仕事に勤しみ始めた。






 時雨がいなくなって2週間が経った。

 皆それぞれ思い残すことはあるものの、それをいつまでも引きずってはいけないと割り切っていつも通りの日常を過ごそうとしていた。


「茜ちゃん、また時雨くんの部屋見に行ってたの?」


 けれども、その想いが未だに振り切りれておらず悩み続けている者がいた。


「……ごめんなさい」

「ここ2週間ずっとだよね?」

「……ええ」


 楓に指摘されて茜はここ毎日朝に時雨の部屋に訪れていることに気がついた。

 明日になればひょっとしたら彼が帰ってきてるかもしれない。そう思い毎日のように覗いていたのだ。それはもう日課のように。

 それでもそんな願いは叶わず、部屋を訪れても閑散とした空気に包まれるだけで彼の気配など一切感じない日々が続いていた。


「朝ごはん……作りましょうか」

「うん」


 当番の組が変わり、今度は茜と楓がペアとなった。

 時雨がいなくなった後は亮太が代わりに料理当番となり愛斗とペアになっていた。亮太は元々料理が得意だったようですぐに当番の仕事にも慣れていった。

 しかし、ここ2週間茜たちは本当に大変だった。

 時雨がいなくなったことは次の日には学園中に広まっており、その影響で他のクラスの者がBクラスにごった返しなったのだ。

 繁縷を始めとしたSクラスに、才上を始めとしたAクラス、そして柏木を始めとしたCクラスまで時雨について色々と質問責めにされたのだ。

 彼を想う人たちはBクラスだけではない、他のクラスの者たちも大勢いるのだと茜はその時に知った。たった半年間でこれだけの人を動かすことができる彼の存在、素質、才能にその日は劣等感を抱いてしまったことを今でも覚えている。


「茜ちゃん、あの日から元気ないね」

「……ごめんなさい。ちゃんと忘れるわ」


 時雨のことは一度置いておくべきだ。そんなことは本人が一番知っている。依存してはいけないことだって分かっている。

 それでも気になるものは気になるのだ。茜の時雨を想う気持ちは生半可なものではない。


「べ、別に忘れろなんて言ってないよ!?……私だってあの日からずっと時雨くんのことで頭がいっぱいだもん」


 あの日から訓練や勉強に手付かずなのは茜だけではない。

 楓も日々時雨のことを想っていたのだ。でも、それで楓の中で変わったものが確かにあった。


「それでも……あなたはいつもより熱心になった気がするわ」

「うん。だって時雨くんは必ず帰ってくるって言ってたし、私はそれを信じて待つだけだと思って。それに、いつか時雨くんが帰ってきた時は前よりもパワーアップした私で会ってやるんだって決めたから。それで、時雨くんを驚かせてやりたいと思ってさ。だから……私は前へ進むよ」

「楓……」


 楓のその真剣な眼差しに、前向きな思いに茜はすっかり充てられてしまった。彼女は彼なしでも前に進もうとしている。成長しようとしているのだ。

 そうだ。私たちは立ち止まってはいけない。彼は私たちが思っているよりも遥かに遠くに、そして上にいるのだ。落ち込んでばかりいないで私たちは今を進んでいかなければならない。でなければ、絶対に彼には追いつきやしないから。


「……そうね。私たちはただ信じて待つだけ。それまでに彼が度肝を抜く程強くなりましょう」

「うんっ。一緒に頑張ろう」


 臆病でネガティブだった頃の楓はもういない。

 変わろうとする楓の芯の強さが垣間見えた瞬間だった。



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