空翔る竜の正義のカタチ
山桐未乃梨
第1話
普段から乗っていた馬とはまるで違う。馬車を引いていた馬なのだから、軍馬とは違って当然だ。
ククールは必死で馬を駆らせるも、追いかけてくる黒いドラゴンとそれに跨がる男は敢えて一定の距離を保っていた。
「ひゃははは!逃げろ逃げろ!追いつかれちまうぞ!食われるぞ!」
鎧を着込み、面付き兜を被った男の下卑た声。
嬲られている。
分かっていても、姉を乗せた状態で戦闘はできない。そもそも、武器がない。
ククール・レンカン、十八歳。故郷では騎馬兵として剣を振るい、年齢の割に剣術と馬術に長けているとの評価に奢ることなく日々鍛錬を重ねてきた。剣術だけに止まらず、東から伝わったという武芸八般を修めたククールは、ドラゴン相手にも戦える技量は持っている。が、武器がないのであればさすがに無力。
姉のインティアナの結婚が決まり、はるばる海を越えドラゴニア王国にやってきたはいいが、港に着けば緑がかったような色合いの黒いドラゴンに、黒い鎧の乗り手。
海の近くにドラゴンはいない。そう聞いていたのに。
黒いドラゴンは禍々しい毒霧を吐き散らしながら港を襲撃したのだ。ドラゴニアにはドラゴンナイトという、ドラゴンに乗る騎士がいることは知っている。しかし奴らの禍々しさは明らかにそれではない。
ではなんだ。
それも分からず、姉の嫁入り道具もククールの武器も置いて、手近にいた馬に跨りともかく港町を逃げ出すのが精一杯。
だが不運にも黒いドラゴンと兵士のような男に目を付けられ、追い回される羽目に。
それからどのくらい経っただろう。
手綱も鞍もない馬に乗って、よく駆けたと思う。馬も頑張ってくれた。しかし、限界はやってくる。
「ククール!もう掴まってられないよ!」
「姉さん!頑張って!」
涙目になって、懸命に掴まっていたインティアナだが、ククールの腰に回した腕が弱々しい。
頑張ってと言ってみたところで、ククールももう疲弊しきっている。
いつ終わるとも知れない恐怖の鬼ごっこ。
手を離してしまえば恐怖も終わる。そんなネガティブな思考に陥っては頭を振り、気を持ち直すのだ。
そして限界はククールとインティアナだけではない。
馬の速度がもう上がらなくなった。
みるみるうちに失速していく馬に、男は不快な笑い声を上げる。
「おぉ?もう限界かあ?!ひゃははは!丁度俺様も飽きてきたところよ!」
男が言うが速いか、ドラゴンが黒い霧を吐いた。
「…っ!!」
咄嗟に、それを避けようとしたせいで馬が横転。ククールもインティアナも地面に叩きつけられてしまう。
「…っ姉さん!」
「ククール…っ」
痛む体を起こし、すぐさま姉の元へ。
「そらよ。もういっちょ!」
ドラゴンは再び霧を吐く。
姉を庇うように覆いかぶさったが、当然霧は防げない。
喉の焼けるような、鼻が突き破れるような、目が溶けるような苦しさに、涙が滲んだ。
もはやこれまで。
ククールは観念した。
「おうおう、やっと終いかぁ?ムカつく顔しやがって。最後は呆気なかったな」
眼を開けられないでいるが、奴らが近づいてくるのが気配で分かる。
シューシューと、荒い息遣いはドラゴンのものだろう。
ぎゅっと姉と抱き合い、何も考えぬように努める。しかし、インティアナのすすり泣く声に、守り切れなかった後悔の念が拭えない。
「ほらよ、ゆっくり喰いな」
男の、そんなセリフの後。
「やめろ!下衆野郎!!」
猛スピードで近づいてくる何か。
考える間もなく、今度は周囲の空気が冷え込んできたと同時に、大きな衝撃音。そして、身の毛がよだつドラゴンの悲鳴。
恐る恐る目を開くククール。
激痛が走ったが、それでも何が起きたか見なくては。
視界は真っ赤に染まっていて色彩の感覚は失われている。
それでも確認できるのは、目映いであろう鱗と表皮を持つドラゴンだった。
その上に立っているのは小柄な体。鎧を纏い、頭部は兜と面で覆われている。
彼らがククール達を守るように黒いドラゴンの前に立ちはだかっていた。
黒いドラゴンとは一回りほど体が小さなドラゴン。呼気を輝かせて怯むことなく睨む眼は、凛として気高い。
ドラゴニアのドラゴンナイトだ。
ククールはそう確信した。
そして騎士は剣を敵に向けて声を発する。
「覚悟しろ、下衆め。氷竜と毒竜なら氷竜が有利」
「ハッ!うちのドラゴンはそこらのアイスドレイクにゃ負けはしねえ。が、手負いとなっちゃあ終わりだな。」
「!…待て!!」
「ほらほら、そいつら手当しねえと死ぬぜ?!」
翼を大きく羽ばたかせ、黒い脅威は去って行った。
「……チッ!」
逃げられた悔しさか、騎士は大きく舌打ちする。
しかし、ククール達は助かった。
礼を言いたくても、喉が痛くて声が出せない。
わずかに見える目を凝らすと、ドラゴンが騎士の手に息を吹き掛けている。
その手には一口大の何かが形成されていた。
それを持って近づいて来る。
体を強張らせるも、彼の発した声は若く優しかった。
「これを口に含んで。なるべくゆっくり溶かすように。応急処置だけど、少し楽になるはず」
手渡されたのは氷。
インティアナの分と二つ。
言われた通り口に含めばほんのり甘く、冷たさで確かに喉と鼻の痛みが和らいだ。
「オーロラ、ちょっと重くなるけど、頑張って」
彼がそう声を掛けてドラゴンを撫でる。ドラゴンは高い声で返事のような声を上げると、彼は再びククール達に声を掛けた。
「これからドラゴニア城下の病院に運びます。もう少しの辛抱ですから。歩けますか?」
言われて、体に痺れがあることに気付く。歩けないほどではないのでククールは頷いたが、伝えなければならないこともある。
「み、なと…」
あの黒いドラゴンに襲われた。
毒霧を吐き散らし、尾で建物を破壊、逃げ惑う人々をあざ笑っては時に喰ってさえいた、地獄のような惨状。
ククールは喉の痛みを堪えなんとかそれを伝えようとする。
「港?カンセルギ?」
「襲、われて……ひどか、…った」
「カンセルギ港が襲われたのか?そこから逃げてきた?」
ククールは頷く。
「……わかった。しかし貴方達の治療も急がないと」
尚も赤い視界で、ククールとインティアナは彼の手を借りながらドラゴンの背に乗せられる。
「オーロラ、低空で。急ぐぞ」
若者の声を合図に、ドラゴンが浮いた。
そのまま風を切って進む。
行先はドラゴニア城下。ククール達の目的地でもあり、インティアナの婚約者が住む街。
「……バーロン…」
姉が婚約者の名を呼ぶ。
その小さな呟きにククールは漸く安堵した。
しばらくして、遠くに城壁に囲まれた町が見えたかと思うと、前方から二頭のドラゴン。それぞれに乗り手がいるのが見える。
「フィン!無事だったか!」
その内の一騎が声を掛けてくる。
そこで初めて、ククールはこのドラゴンに乗せてくれた騎士の名を知った。
三騎は一度空中で止まり、声を張って話す会話をククールはぼんやりと聞く。
「ライ、負傷者が二人いる。ドラケイオスらしき毒竜にやられた。それから、カンセルギ港も襲われたらしい」
「港が?!」
フィンの状況報告に、ライと呼ばれた男が驚きの声を上げた。
「なんでカンセルギが?!あの付近にドラゴンは近づかない」
信じられぬといわんばかりのライだが、もう一人の男は冷静だ。
「いや、最近の連中の出没地は今までと変わってきている。また何か新種を育ててるのかも」
ライと似た声、緊張感のある会話は続く。
「ともかく、俺は負傷者を運ばなきゃならない。港を見て来てくれないか」
「わかった。港はレイと俺で見てくる。フィン、緊急事態なんだ!重いだろうが、急いで戻れ!」
ただならぬ気配にククールの心拍数が上がった。顔を彼らに向けると、ライとレイはすぐにでも去っていきそうな素振りを見せている。
「何かあったのか?」
フィンの問いに、
「バーロンがやられた!ラッドさんも重傷で、意識がない!」
どちらの声かは分からないが、信じられない言葉。それはフィンにも同様だったようで、
「はぁ?!バカな!」
と焦りの混じった驚きの声。
「詳しいことは戻って聞いてくれ。いいか、くれぐれも気を付けろよ!」
彼らの会話に不穏なものを感じる。
バーロンがやられた?
バーロンとは姉の婚約者の名前。
インティアナも聞こえていたようで、二人顔を見合わせる。
二騎は猛スピードで去って行ったかと思うと、ククール達のドラゴンもさきほどよりもスピードを上げて進みだす。
嫌な予感を抱きながら、ほどなく城壁にたどり着いた一行。しかし、初めて訪れたククールにもわかるほど、雰囲気が異様だった。
武装したドラゴンと兵士の一団が城門の前に整列していたのだ。
まるで戦にでも行くように。
その先頭に立つ大きな体の男がフィンたちのもとへやって来る。
「フィン、無事だったか!」
城門に立っていたのは体の大きな男性。
「ダグダーラム団長。フィン・ジューロイ、負傷者二名を連れ、只今帰還しました」
フィンはドラゴンから降りると、団長に向かって敬礼する。
ククール達はほかの男達に手を借りてドラゴンを降りた。
慌ただしく、担架を用意してくれている。
「保護したのはどこだ」
「はい。リュートベルグ西付近でドラケイオスの毒竜に襲われておりました。カンセルギ港が襲われたそうで、ライとレイがそちらに向かっております」
淡々とするフィンにダグダーラムは大きく頷く。そして溜息交じりに呟いた。
「そうか、西の方でも、か…」
「?西の方でもというのは?」
「竜医班のバーロン・オーガン、死亡。ラッド・ジューロイ、意識不明の重体だ」
「……っ!」
ダグダーラムの声に絶句するフィン。
ククールとインティアナも聞き逃せない。
担架に乗せられたところであったが、インティアナはそこから降りてしまう。
「…バーロン?死亡……?」
ダグダーラムがインティアナに気づき、肩を貸しながら隊列の脇に誘導した。そこには踞って慟哭している年配の女性と、その女性の膝元には人の頭部大の包み。
まさか。
インティアナがフラフラとその女性の元へと歩く。
ククールも後に続くが心臓が嫌な音を立て、背筋には冷たい汗が伝った。
インティアナがその包みを解こうとするが、ダグダーラムがそれを止める。
「見ない方がいい。」
「バーロンは…私の、夫です」
それを聞くと周囲はざわつき、年配女性は一層声を上げて泣いた。
包みを解くインティアナの指は震えていたが、なんとか結びをほどく。
ゆっくり布をめくれば、遠く離れても変わらぬ愛を誓っていたバーロンの顔。
インティアナの目から流れる涙。
気丈にも口を真一文字に結び、涙は流れるに任せている。
「…姉さん…」
ククールは耐えきれず、包みを元に戻し、姉の肩を抱く。
泣きたい気持ちをグッと堪え、掛ける言葉は見つからない。
「…病院へ行きましょう」
そう言ってくれたのはフィンだったか。
それ以降の記憶は朧気で、気付いたのは翌朝だった。
扉の開く音で目を覚ましたククール。
むくりとベッドで体を起こすと、前日の痺れと視界の赤みがすっかり癒えていることに気付いた。
喉と鼻には違和感が残るが、苦しいというほどでもなくなっている。
ふと隣を見れば横たわる姉の姿。いつから起きていたのだろう、目は天井を見つめている。
何の感情も読み取れないその視線に、昨日のことを思い出したククールは胸が痛んだ。
扉に入ってきた人を見れば若い女性。ククールとそう年が変わらなそうだ。
彼女はククールの視線に気付くと笑顔を向けてくれた。
「おはようございます。ごめんなさい、起こしちゃいました?」
「いえ…」
窓を見ればもう日が昇っている。
ここまで寝過ごすことも珍しく、ククールはこっそり溜め息を吐いた。
「私はここの病院の看護士で、アンミール・ジューロイといいます。お名前と年齢伺ってもよろしいですか?それとご出身」
アンミールと名乗った女性の髪はオレンジがかった金髪。前髪は丁寧に編み込まれている。目はピンクにも紫にも見える不思議な色合い。
ククールの故郷では滅多に見ない色彩の美しさに、一瞬見惚れてしまう。
ハッとして、すぐに質問に答えた。
「ククール・レンカン、十八歳。出身はバクペイド。昨日来たばかりです」
「お姉さんはどうですか?声は出せますか?」
「インティアナ・レンカンです。年は二十三です」
思いの外しっかりとした口調ではあるものの、体を起こそうとしないインティアナがククールは心配になる。
アンミールも初対面のはずだが、そんな姉の様子を心配そうに眺めた。
カルテと思われる紙にさらさらとペンを走らせると、今度は小さな器具を取り出す。
「…では、血中の竜毒濃度を測りますね。少しチクッとしますよ」
そう言ってその器具で指先を挟まれる。
言われた通り、チクリと痛みが走った。
「…うん。二人とも大分下がってますね。これなら点滴の量は減らせるかな。夕方には外せるといいんだけど」
アンミールが点滴の操作をする。
インティアナはその間も、視線は天井のまま。
アンミールはそれでも、インティアナに笑い掛けてくれる。
「竜毒っていうのは血中からちゃんとゼロになるまで治療が必要なんですよ点滴がいらなくなっても、服薬と毎日の血中濃度の確認はしなきゃいけないんです。それでも一週間もすればちゃんと治りますからね。食事は摂れそうですか?」
「……なにも治療しなければ、死ねますか?」
小さな声で呟くインティアナの言葉にはククールだけでなく、アンミールも凍りついた。
「姉さん!」
思わず叱咤する声が漏れでるククールだが、婚約者の死を目の当たりにしたばかりの姉。
そんな思考に陥っても無理はないのかもしれない。
そう思うと続ける言葉も見つからず、ククールも顔を伏せてしまう。
そんな時だった。
「ダメだよ!そんなこと言っちゃあ!」
けたたましく扉が開くと、入ってきたのは白髪の女性。水色の花をたくさん抱えている。昨日、バーロンの首の前で号泣していたのは彼女だ。
昨晩も泣き続けたのか、目が真っ赤であった。
彼女は枯れた声でなおも続ける。
「バーロンはね、そりゃぁ優しい子だったよ!だからさ!恋人に後追ってほしいなんて、思うわけないだろ?!」
言いながら再び泣き出す女性。彼女の肩をそっと抱き締めるのはアンミール。
「シェイラおばさん……」
二人は知り合いなのか、女性の名をシェイラだと知るククール。
「これ、このお花…。バーロンが取りに行ったものなんだよ」
バーロンの名前が出たことで、インティアナも漸く体を起こした。
シェイラは、水色の花弁が美しい花束をインティアナに手渡す。
「遠く海を越えて呼び寄せてさ、生活に慣れるまで寂しいだろうから。少しでも気持ちが明るくなるようにって…」
水色はインティアナの最も好きな色。
花束を受け取ったインティアナは遂に声を上げて泣き出す。
ククールは拳を強く握り締め、涙を堪えた。
アンミールも、シェイラの肩を抱きながら口元を震わせている。
「インティアナ、辛いだろうけど、死ぬことを考えちゃいけないよ。バーロンに怒られるよ!」
シェイラはインティアナの声が落ち着くまで手を握ってくれていた。
しばらくしてシェイラが手を離すと、今度はアンミールに声をかける。
「アンちゃん、この子達の食事は?」
「これからです」
「じゃあ、スープを作って来たから出してやって頂戴。アンちゃんもどうぞ」
そう言ってバスケットをアンミールに渡す。
「じゃあ、アタシは帰るけど。いいかい?ちゃんと食べて、ちゃんと休むんだよ。アンちゃんもね」
シェイラは一礼すると、そう言い残して目を拭いながら去っていった。
その後ろ姿を見送ると、アンミールがゆっくりと話し出す。
「…シェイラおばさんはね、バーロンさんの住んでいる長屋の大家さんなんですよ」
話をしながらシェイラのバスケットを開け、鍋をベッド脇の小机に出すアンミール。
中には鍋とお玉、木製の椀とスプーンが三つずつ。
鍋の蓋をアンミールが開ければ、フワリと漂う良い香りに空腹を覚えた。
「ちなみに、私達兄弟もなんですけどね。だから……実はお二人のこと知っていました」
アンミールが椀にスープを流して、スプーンと一緒にククールとインティアナに渡す。
スープとは言いながら、野菜もたくさん、ソーセージも入っていてシェイラの愛情深さが窺えた。
ククールは目の前のスープに気を取られていたが、インティアナの方は聞き逃さなかった様子。
「知っていた…?私たちを?」
インティアナの反応に、少し悲し気な瞳でアンミールは教えてくれた。
「兄がですね、バーロンさんと仲良しで。たった数年の付き合いなんですけど、小さい頃からの親友みたいに」
ここまで話して、先ほどから涙を堪えていたらしいアンミールの目から涙が溢れ出した。
「だから、バーロンさんの結婚の話聞いて私達も嬉しくて、みんなでお祝いして。インティアナさんと、ククールさんのこと、話してもらって。会えるのをすごく、楽しみにしていました!」
けれどこんな形ではなかっただろう。涙も拭かないその顔には悔しさが垣間見える。
一気に話すと、アンミールは医療器具やシェイラのバスケットを抱えた。
「病院の食事も持ってきますね。スープどうぞ、召し上がっていてください」
アンミールも二人に一礼すると、小走りに去って行く。
アンミールやシェイラの言葉や涙が、ククールの心にじわりと沁みた。
ククールはシェイラのスープを一口啜る。優しい味わいと温かさに涙が滲んだ。
インティアナの方を見れば、小さな口に野菜を運びゆっくりと食む。
一口目を飲み込んだところで、インティアナが話し出した。
「私ね、なんでバーロンがこっちで結婚したいって言いだしたか、よく分かってなかったの。なんで生まれ育った故郷を捨てなきゃいけないの?って」
「…そうなんだ?」
故郷を離れる。両親を早くに亡くしたククール達にとってそれは高いハードルではなかったが、なにせドラゴンと共生しているドラゴニア王国は世界的に見れば異端なのだ。そこにわざわざ移住するのは、姉も随分友人たちから反対にあっていたのをククールは知っている。
それでも一生をともに生きたいといえる相手がバーロンだったのであり、すべて納得した上で結婚を決めたのだと思っていた。
「でも、今ならわかるな」
バーロンの為にあんなにも泣いてくれる人がいる。そこに温かさを感じた。
ククール達の故郷は厳しい軍事国家。老若男女問わず、人を殺す術を一度は叩き込まれる。近隣国との侵略、防衛戦争は何十年にも及んでいて人の心は荒み、付き合いの浅い人間にはどこか冷たいのを思い出した。
「私、おかしいかな。少し…ほんの少しだけ。うれしくなっちゃった」
ぽろぽろと再びあふれる涙は、悲しみだけではなく、人のぬくもりに触れたから。
ドラゴンという種に魅せられ、ドラゴニアに移り住んだというバーロン。けれど彼がこの地を選んだのはドラゴンだけが理由ではなかったようだ。そう姉は理解したのだろう。
「おかしくないよ、姉さん」
ククールは空腹に負け、スープをあっという間に平らげたのだった。
翌朝、無事点滴が外れ、入院の必要はないといわれたもののククールとインティアナはある問題に直面した。
家である。
もともとバーロンの家にまずは住もう、引っ越しするかどうかはおいおい、という算段であったわけだが、そのバーロン亡き今は行く当てもなく、重い足取りで病院を出ようとしていた。
では宿でも、と思っていても荷物はすべて港の惨劇のどさくさでなくしてしまったし、現金は持ってきているが、そう何日も泊まれるほどの財力ではない。
では故郷に帰るしかないのか。にしても金はいる。
それも重要な問題であるが、その前にバーロンの遺体はどうなったのか。葬儀はどうするのか、など心の平穏は訪れない。
二人して盛大な溜息をついて病院の外に出ると、シェイラとアンミールの姿があった。
「インティアナさん、ククールさん!」
ククール達を待っていたらしく、アンミールの明るい声に呼び止められる。そして小走りに近づいてきた。
「ねえ、二人ともバーロンさんの家に行く予定だったんですよね?」
「ええ。」
バーロンと仲が良かったというアンミール。その話まで聞いていたらしく親し気に微笑む。
「だったらしばらくシェイラおばさんの家に泊まったらどうかって」
「でも…」
言い淀むインティアナに、シェイラも誘いの言葉を口にする。
「行く当てはないんだろ?宿はあまりないし、少し値が張るからねえ。今後のことが決まるまでいていいよ」
そうまで言われては断るわけにもいかず、ククール達は付いて行くことにした。
シェイラの家は病院から徒歩で十五分ほど。
「隣がバーロンの住んでいた長屋だよ。中、見ていくかい?」
白い柵で囲まれた長屋は白い外壁で二階建て、屋根は深い藍色。八世帯の棟が二つ南北に並んでいた。二つの棟の間は美しい緑地になっていてきれいな花がいくつも咲いている。
まだバーロンの死を受け入れるのは辛いかもしれない。姉の顔を窺うと、
「…はい、見せてください」
意外にもインティアナはそう答えた。
門を通るとアンミールは一度帰宅すると言って、南側の棟へと帰って行った。
シェイラは北側の棟に進み、二階の角部屋に案内する。
「どうぞ。バーロンの部屋だよ」
シェイラが鍵を開けると、部屋は十畳ほどの広さ。上を見ればロフト。右側にはキッチン、おそらく左側にバス・トイレといった間取り。
乱雑に本が散らかっており、それらはすべてドラゴン関連の書籍。本棚の上には、まだきれいに咲いている花。
そして部屋の中にはククール達の見覚えのある物が。
「……あれ、私達が贈ったものだ」
それは丁寧にハンガーに掛けられたダークブラウンの外套。ドラゴニアに着くまでの旅路は長いからと、インティアナとククールでお金を出し合って上等の物を贈ったのだ。
その隣には、紋章のようなシルバーのバッジが二つ飾られてある。
何だろうか、という疑問はすぐにシェイラが解消してくれた。
「これはね、騎士団の紋章だよ。竜の絵だからドラゴンナイトだね。騎士たちがマントの留め具に使っているものさ。ドラゴンの方は首に同じのを着けるんだよ」
「騎士団…ドラゴンナイト…」
「正式にはドラゴニア騎士団騎竜隊。バーロンは騎士じゃないからもらったんだろうね。裏を見れば誰のものかわかるはずだよ」
シェイラが紋章の裏を見る。刻まれている名は。
「やっぱりね。ラッド・ジューロイ。バーロンの親友で、アンちゃんのお兄さんさ。それにもう一つはラッドの相棒のドラゴンのシーク」
一度聞いたかもしれない名前。どこで聞いたのだったか、ククールは記憶を辿る。
バーロンからの手紙で書かれていたような気がするが、もっと最近聞いた気もする。しかしすぐには思い出せなかった。
シェイラは続けてドラゴンナイトについて教えてくれる。
「ドラゴンナイトには階級があってね。一番下のブロンズクラスから始まって、シルバー、ゴールド、プラチナって続くんだ。ラッドは史上最速、最年少のプラチナクラスになった名騎士なんだよ。ゴールドクラスを飛び級したのもあの子が初めてさ。それはプラチナに昇級したときのシルバーバッジだね」
だったら大事なものなんじゃないか。それを譲ってもらえたということから、バーロンとラッドの親しさが伺える。
ではラッドは今どこに?
ククールが尋ねる前に、シェイラの言葉で衝撃を受ける。
「今はさ、バーロンを助けに行って負ったケガが酷くてね、入院しているよ。一命はとりとめたけれど、まだ意識が戻らないってさ」
そうだ、ラッド・ジューロイとはククール達が毒竜に襲われた時に意識不明と聞いた名だ。
あの時は毒に苦しんでいたとはいえ、気付かなかったのが情けない。
そんなククールには気付かず、シェイラはアンミールの部屋の方へ視線を向ける。
「アンちゃんも、お兄さんが心配だろうさ。バーロンもいなくなっちゃって、明るく振る舞ってるのが健気だよ、ほんとに」
シェイラはまた、目元を拭った。
インティアナの鼻を啜る音が聞こえる。
ククールも泣きそうになって、気を紛らわそうとシルバーの紋章に触れてみた。ドラゴンと人が向き合っているデザイン。この国におけるドラゴンに対する想いが見てとれる。
実際のドラゴンナイトはドラゴンの背に立って乗っていたななどとぼんやり思い返すと、唐突に思い出したことがあった。
そしてシェイラに尋ねる。
「あの、シェイラさん。フィンという名前のドラゴンナイトを知ってますか?」
「ああ、二人を運んでくれた子だろ?アンちゃんの弟だよ」
「じゃあ、会えますか?!」
助けてもらったのに、ただの一言の礼も言っていなかったのだ。
アンミールの弟とはまた奇妙な偶然ではあるが、それよりも奇妙な言葉をシェイラは口にする。
「今は地上にいるはずだよ。仕事が終われば、アンちゃんの隣の部屋に帰ってくるさ」
「……地上?」
聞き間違いだと思った。
ちらりと窓を見れば本日晴天なり。
インティアナを見てもやはり同じように首を傾げていた。
「ドラゴンナイトを始めとしてね、ドラゴン関係の仕事してる人は地上に出てるよ」
シェイラが窓際に移動し、上を指差す。その先には広がる大空。明るい太陽光。
「憶えてないかい?大きなスロープを下ってきただろ?ここはね、地下街なんだよ」
そんなばかな。窓から身を乗り出すようにして外を見ても、紛れもない地上。
「太陽みたいな照明はね、氷竜のブレスの成分を抽出してライトにしたとか。太陽と同じ軌道で動くし、夜にはちゃんと暗くなる。あたしみたいな年寄りには仕組みはよくわからないけどね。空みたいに青いのは天井に青いドラゴンの鱗を貼っているからだってさ。ドラゴンの首には硬い鱗が付いてるからね」
ククールは目を凝らして空を見る。
ドラゴンの鱗だとは到底信じられない。
シェイラはクスリと笑った。
「っていってもね、あんな空みたいな天井はここニ、三年の内のもんだよ。昔は普通の石造りの天井だったさ。国外からバーロンみたいなドラゴンの研究者が増えてきたからね。外国の技術との融合の賜物なんだと」
呆気にとられてその町並みを眺めるククールに対して、インティアナはシェイラに尋ねる。
「バーロンはこの国でどんな仕事をしていたんですか?」
インティアナは古い本に手を伸ばした。その本は、彼がドラゴニアに行きたいとククールとインティアナに相談した時のもの。付箋をたくさんつけたその本を広げて、ドラゴンと人との共生の話やドラゴンの魅力を熱く語った時が昨日のことのように思い出される。
インティアナも、バーロンとの日々を思い出すのは辛いだろう。
けれどここでのバーロンを知らないまま。それも姉にとっては辛いことなのかもしれなかった。
シェイラは優しく、感心したような眼差しでインティアナの持つ本を見つめながら話す。
「騎士団の竜医班っていってね、ドラゴンの体調管理係だよ。ドラゴンの健康を見ながら、生態についてよく勉強していたね」
シェイラはバーロンに思いを馳せるようにゆっくりと本を集め、本棚に並べる。
その時、玄関をノックする音が聞こえた。
シェイラがドアを開けると、来訪者はアンミールだった。海のような群青の瞳の少年を連れている。二人揃って神妙な面持ちだ。
初めにアンミールが口を開く。
「あの…バーロンさんの葬儀、明日の夜に決まったそうです」
「……そうかい」
シェイラは顔を伏せる。今度は少年が口を開いた。
「取り仕切るのはシェイラさんが相応しいんじゃないかって、竜医班長から言伝なんですけど」
「いいや、班長さんやっておくれ。仕事ぶりをよく知っていたのは班長さんだろ?」
「そうお返事してよろしいですか?」
「ああ。そうしておくれ」
笑顔を作るシェイラだが、その瞳は痛々しい。葬儀は故人との別れの儀式。
バーロンがもういないのだ、という事実を突きつけられたような気持ちなのかもしれない。
それでもシェイラはインティアナに優しく声をかける。
「インティアナ、参列できるかい?」
インティアナの目が潤んでいた。ツラい。けれど、けじめとして、きちんとこなさねばという強い決意も感じ取れる。
「はい。ちゃんと…お別れします」
シェイラと同じように、インティアナは痛々しく笑顔を作った。
それをちゃんと見届けると、シェイラは今度はククールに向かって少年を紹介する。
「ああ、そうそう。二人とも、こっちの子がフィンだよ。騎士団の騎竜隊さ」
丁度良いところに来てくれた、と言わんばかりにシェイラはフィンの背中を押した。
目の前に立つと思いのほか小柄で、身長はアンミールよりも小さい様子。騎士団の制服らしい白い軍服に、青いマントと軍帽に身を包み、髪色は金だがよくみると緑にも輝いている。なにより目を引くのは顔立ちの秀麗さ。アンミールのような人懐こい印象とは違い、近寄りがたい美しさが際立っている。
まさか騎士だとは思わぬ風貌、といっては失礼にあたるだろうか、などと考えていると、インティアナがフィンに頭を下げていた。
「あの、助けていただき、ありがとうございました」
そうだ、それを言おうと思っていたのだ。
姉に先を越されてしまったが、ククールも頭を下げる。
「体調はどうですか?」
じっと顔色を伺ってくるフィンには
「もうすっかり、元気です」
あの時助けてくれたドラゴンナイトの素顔が、まさかこんな美形だとは思いもせずどこか気も漫ろに答えるククール。
フィンはそんなククールには構わず、
「けど、外国の方の竜毒は長引きます。たとえ元気であっても、医師の指示通りきちんと通院して治してください」
と丁寧に頭を下げる。
「……はい」
インティアナとともに、神妙に返事をすると、アンミールが会話に入って来た。
「オーロラちゃんが氷くれたんでしょ?点滴外れるの早かったよ」
オーロラとはフィンが乗っていたドラゴンだったか。ククールは必死に記憶を辿る。
わけの分からぬといった顔のククールにアンミールが説明してくれた。
「氷のブレスを吐く氷竜はね、毒竜の毒を中和してくれるんですよ。だから、竜毒に充てられたらまず氷竜の氷を摂取するのは応急処置の基本。でもって、その中和の能力は氷竜個体によってばらつきはあるんだけど、フィンの相棒のオーロラちゃんは特に、中和作用が高いんです」
姉としても誇らしいのだろう、アンミールは胸を張る。
オーロラの名前が出たことで思い出したのか、
「オーロラもお二人を心配していました。一度顔を見せてあげて下さい」
そう言って微笑むフィンに、
「あ、今から行っちゃう?あたし、非番」
名案と言わんばかりのアンミール。しかしすぐさまフィンに却下される。
「俺が非番じゃない。この後も普通に公務」
「えー、残念」
アンミールは口を尖らせ、シェイラは眉にしわを寄せた。
「なんだい、まだ仕事あんのかい?もうすぐ夕方だよ」
ククールが外をちらりと見ると、太陽のような光源が確かに傾いている。どういった仕組みなのかはわからないが、部屋の中の時計は四時半。見るほどに不思議な地下街だとククールはこっそりと感心した。
フィンは少し笑顔を見せながらも、表情にはわずかな陰り。
「ええ。オーロラと一緒に訓練です。ちょっと、最近のドラケイオスの状況がよくないし」
「まあ、そうだね…」
シェイラも顔を伏せる。
そんな二人のやり取りでククールは思い出したことがあり、フィンに向かって叫んだ。
「港!そういえば、港は?!」
急なククールの大声にわずかばかり驚いた様子のフィンだが、すぐさま、
「死者三名、重症者五名。といったところだと聞いています」
そう教えてくれた。
ドラゴンに襲われるとどの程度の被害になるのかククールはよくわからない。それでも人が亡くなったというのは胸が締め付けられる思いがする。
「そうか……」
「これでも少ない方です。あなた方を追って港から早々と切り上げたからでしょう」
結果的にあの恐怖の鬼ごっこは港にとっては良いことだったらしい。インティアナもククールも無事だったのであれば、被害の拡大がなくて不幸中の幸いといえるのか。
けれどやはり、思い出せば身の毛がよだつ。思い出したくない。が、置き去りにしてきた荷物も気にはなる。ククールが持ってきた剣は父の形見。大事な品なのだ。
ククールが何も返せずにいると、フィンが予想外にも誘いの言葉を口にした。
「近いうちに被害調査のため港に行くことになっています。何か気になるなら同行しますか?荷物とかもまだ保管されているかも」
「いいんですか?」
「ただし、主治医が許可してくれたら。日程決まりましたらまた相談しますので」
「よろしくお願いします!」
そう約束するとフィンは去って行った。
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