第84話 南面 4

不知治者,必曰:“無變古,毋易常。”變與不變,聖人不聽,正治而已。則古之無變,常之毋易,在常古之可與不可。


 統治のイロハも理解できていないものは「古のルールは変えてはならない、常識を疑ってはならない」と必ず言う。変えるだ変えないだと言ったことは聖なる統治をなさんとするものにとっては些事である。古来のルールや常識をどう扱うかなぞ、今にとって可か不可であるかで検証する以外にない。



伊尹毋變殷,太公毋變周,則湯、武不王矣。管仲毋易齊,郭偃毋更晉,則桓、文不霸矣。


 伊尹が殷のしきたりを変え、周公旦が周のしきたりを変えなかったら、湯王も武王も次代の王とはなれていなかったろう。管仲が齊を、郭偃が晋を変えていなかったら、桓公も文公も覇者にはなれていなかったろう。



凡人難變古者,憚易民之安也。夫不變古者,襲亂之跡;適民心者,恣奸之行也。民愚而不知亂,上懦而不能更,是治之失也。


 とは言え、そもそもひとは古来のルールを変えるのに抵抗を覚える。それは民が安定を好むがゆえである。しかし古来のルールを守り続けるというのは、いわば乱政をそのまま引き継ぐことにもなる。民の心を聞き続けるというのは、よからぬ行いを見逃し続けることでもある。民の視点では何が統治で何が混乱であるかも見極めきれない。ならば為政者がだらだらと乱れた状態を改善できずにおれば、統治は失われよう。



人主者,明能知治,嚴必行之,故雖拂於民,必立其治。說在商君之內外而鐵殳,重盾而豫戒也。故郭偃之始治也,文公有官卒;管仲始治也,桓公有武車:戒民之備也。


 人主とは道理に明るく、統治された状態がどのようなものを明確に見抜いている。そして厳然とその状態の実現に向けて動き、たとい民心に背いたとしても、その方針を貫き通す。このため商鞅は外を出歩くのに、護衛に鉄矛と大盾を持って襲撃に備えさせたという。郭偃や管仲の統治が始まったときにも文公や桓公にはものものしいまでの護衛を付けられたというではないか。それは民よりの反乱を恐れてのものである。



是以愚戇窳墮之民,苦小費而忘大利也。故夤虎受阿謗,而振小變而失長便。故鄒賈非載旅狎習于亂而容於治,故鄭人不能歸。


 そもそも民は愚かであるから、目先の小さな損失にこだわって大きな利益を見逃すものである。だからこそ夤虎はそしりを受けることを恐れたため大きな取引を見落としたし、鄒の商人たちは行商を否定することで故郷に戻ることができなかったのだ。



 ぐ愚民セイジィー! いやそこにたどり着かない統治者って逆にびっくりだけど。定期的に主張していることではあるのだけれど、人間って個人個人は知性を持ってるけど、ある一定以上の規模になってしまうと、それはもはや「流れ」にしかならないんだ、と思っている。そこに知性は、悲しいかな、関係ない。「愚か」という言葉を使っている時点で、まだ衆に対する理解が甘いとすら思う。


 選挙もそうだけど、結局は「大きな流れ」にそっれしかものごとは動かない。局面局面では当たり外れ、勝ち負けとかはあるにしても、結局「流れの外」にいて、「流れを変えたい」ひとの言葉は届かない。だいたい選挙なんてもんは結局「答え合わせ」でしかない。ここまでの政が、どのような流れ向きであったか、の。この辺を無視して民主主義の敗北とか言ってるおにいちゃんおねえちゃんって……あっいやその辺はまぁいいですね。


 在常古之可與不可。


 この言葉は重いですね。部分最適として「いま」に対する処方箋になるかもしれないけど、ちょっと先にとっては致命的決壊を招く一手となってしまうかもしれない。そんな先を人間見据え切れはしないわけだけど、ただ「流れ向き」についてはある程度見出しやすいんじゃないかな、って思うのだ。そして見出せば見出すほどそいつが簡単に覆せるもんでもないと気付くと思うし、その中でせめて流れに抗ってやろうじゃん、を地道に繰り返していくしかないですね。

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