第80話 再読 逍遙遊1-2-2
湯之問棘也是已:「上下四方有極乎?」棘曰:「窮髮之北有冥海者,天池也。有魚焉,其廣數千里,未有知其修者,其名為鯤。有鳥焉,其名為鵬;背若太山,翼若垂天之雲;摶扶搖羊角而上者九萬里,絕雲氣,負青天;然後圖南,且適南冥也。
湯の棘に問うや是なるのみ。「上下四方に極有らんか?」と。棘は曰く:「窮髮の北の冥海なる者有りしが天池なり。魚有りて、其の廣きこと數千里、未だ其の修むを知る者有らず、其の名を鯤と為す。鳥有り、其の名を鵬と為す。背は太山の若くし、翼は天に垂る雲が若し。扶搖羊角を摶ちて上れること九萬里、雲氣を絕ち、青天を負う。然る後に南せんと圖り、且くて南冥に適かいたるなり。
殷の湯王が棘に問いかけたのも、結局これらと同じことだ。
世界って果てあるんかいな?
ぺんぺん草一本生えない北の果てには黒黒とした天池があるねん。そこには魚がおる。右ヒレから左ヒレまでで数千里。長さは到底わからん。鯤ちゅうねんけど。あと鳥もおる。こっちゃ鵬やねん。泰山と同じくらいの背幅、翼を広げりゃ、そりゃもう雲にも等しい。つむじ風をぶわっと吹かしてぎゅんと九万里ものはるか上空に昇りゃそこにゃもう雲もなく、満天の青だけを背に受けるねん。んで、スパッと南に向かうねん。
斥鴳笑之曰:『彼且奚適也?我騰躍而上,不過數仞而下,翱翔蓬蒿之間,此亦飛之至也。而彼且奚適也?』」此小大之辯也。
斥鴳は之を笑いて曰く:『彼れ且れ奚んぞ適けるや? 我れ騰躍して上らんとせど、數仞を過ぎずして下る。蓬蒿の間を翱翔す、此れ亦た飛べるの至れるなり。而して彼れ且れ奚んぞ適かんや?』と。」と。此れ小大の辯なり。
で、ウズラはな。鵬を笑うねん。
そんな遠方に行ってどないするんや。こちとらぴょいこら撥ねても目の前にすぐぼてっと落ちてしまいやねん。ヨモギの間をぴょいこらひーこら駆けずり回んのが関の山。北の果てから南の果てなんぞ、到底考えつきもせんねん。
大きいもんと小さいもんは、これだけ見え方が違うのだ。
ここでの疑問は、なぜ鯤鵬ウズラが再度引き合いに出されているのか。たぶんネタがかぶるのってここくらいよね。この話しぶりからすると、「湯王の視点も所詮ウズラ」なのだよなあ。伝説の聖王を捕まえて。ただ、どうしてそれが湯王だったのか。湯王と棘の話って元ネタあったりするのかしら。史記だとどうなってる? あっいないのね? うーんこの。
自身がウズラであると気付けているか、どうか。これ以前ちょっとついったーでも考えたことがあった。こんな感じ。気付けていないひとを「自己絶対化の中にいる」とみて考察した。
自己絶対化、かなあ。確かに世界は自分を通じてしか見ることができないんだけど、それはそれとして世界はお前とは関係なく存在してますからね? みたいな部分に気付けるか否かで、たぶん世の中の見え方ってだいぶ違うのよな。
自己絶対化の中にいる人たちとは、たぶんここの齟齬で会話が成立しない。
相手を「絶対的な敵対者」と見るのって、結局そういうことだと思うのよな。いやあなたと完全に一緒なわけないですし、あなたと完全に違うわけないでしょうって言う。一部でもあなたと違うところがあったら敵だっていうんなら鏡でも抱いて寝てろ。
自己絶対化から抜け出せないと、デカいお題目を自身と同一化しちゃうから、同じことを標榜している人を勝手に「同じもの」として括るのかな、って気はする。そうすると冷静じゃない内はぜんぜん別もんが混じってても気付けない。と言うか冷静になれるのか? 無理じゃね?
ウズラである、と気付けるウズラでありたいものですよ。せめて、ね。
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