六  大宗師

第37話 大宗師 1

知天之所為,知人之所為者,至矣。知天之所為者,天而生也;知人之所為者,以其知之所知以養其知之所不知,終其天年而不中道夭者,是知之盛也。雖然,有患。夫知有所待而後當,其所待者特未定也。庸詎知吾所謂天之非人乎?所謂人之非天乎?


 天の法則を知り、人の法則を知る。そうして人生を全うする、それこそが知性の最たるものだ。とは言っても「知る」というのは対象があったればこそ。そしてその対象はいつ果てるともなく変化し続ける。そして天と地とを対置してはみたが、それは本当に対置してしまっても良いものなのだろうか?



且有真人而後有真知。何謂真人?古之真人,不逆寡,不雄成,不謨士。若然者,過而弗悔,當而不自得也。若然者,登高不慄,入水不濡,入火不熱。是知之能登假於道者也若此。


 昔いたという真人は、そういった疑問とは無縁の境地にいた。かれは孤独を憂えず、成長を誇らず、人々にはかりごとをすることもない。ただ泰然とし、失敗しても悔いず、成功しても得意がらない。高所でもおののかず、水に入っても濡れず、火の中に入っても熱さを感じない。とにかく、そういう境地に達している、としか言えない。



古之真人,其寢不夢,其覺无憂,其食不甘,其息深深。真人之息以踵,衆人之息以喉。屈服者,其嗌言若哇;其耆欲深者,其天機淺。


 寝ていても夢も見ないし、起きていても何かに心動かされることもない。ものを食べても味は感じず、ただその呼吸が深く、深い。真人の呼吸は全身を透徹するが、我々の呼吸は喉にまでしか届かない。ぜえはあと地面に突っ伏し、あえぐ。欲望の深さが、天との接続を浅いものとしてしまっている。



古之真人,不知說生,不知惡死;其出不訢,其入不距;翛然而往,翛然而來而已矣。不忘其所始,不求其所終;受而喜之,忘而復之,是之謂不以心捐道,不以人助天。是之謂真人。


 真人は生死に固執しない。ゆえに生きる喜びも、死への恐怖もない。しれっとやって来、しれっと去るのみだ。手に入れる全てに喜び、そして従容と返却する。「心の動きによって道との繋がりを損ねず、人なんぞの力によって天をどうこうしようだなどと思わない」と言われる。こういった態度こそが真人の態度なのだ。



 うーん、まぁ難しいけど、斉物論に近い話が出てきている感じはありますね。あそこを少しでもちゃんと理解しようと努めておいて良かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る