第35話 徳充符 6

闉跂支離無脣說衞靈公,靈公說之,而視全人,其脰肩肩。甕㼜大癭說齊桓公,桓公說之,而視全人,其脰肩肩。故德有所長而形有所忘,人不忘其所忘,而忘其所不忘,此謂誠忘。


 闉跂=足が不自由、支離=背中が大きく曲がり、無脣=口蓋の裂けている人間が衛の霊公にに道について説いた結果霊公は彼を大いに重んじ、却って健常者を薄気味悪くなったのだそーな。斉の桓公も首に大きな瘤のある人物に道を説かれて以下略。えっそんな話マジで実在してんの? ここから「徳が長ずるにしたがって」って話に持ってってるけど、どっちも終わりを全うしたとは到底言い切れない君主であり、そんな人たちが異形の徳あるものを慕ったと言われても、素直に首肯しきれない……?



故聖人有所遊,而知為孽,約為膠,德為接,工為商。聖人不謀,惡用知?不斲,惡用膠?無喪,惡用德?不貨,惡用商?四者,天鬻也。天鬻者,天食也。既受食於天,又惡用人!


 まぁいいや、もうちょい話を伺いましょう。

 聖人は知性なぞハエのごときものとしか思っていない。規範なぞ接着剤程度にしか思っていない。道徳なぞおまけでしかないし、振る舞いの巧みさなぞただの作為だと切り捨てる。聖人は特段に物事を意図しないし、分別をしないのだから接着剤は要らないし、そもそも本性のままであるのだから補足なんぞ不要だし、別に誰かに取り入る必要もないわけだから作為でどうこうするまでもない。こうした聖人の四つの性質は、要は「天に育まれている」とみなせばいい。既に天によって育まれているのだから、人によって養われる必要もない。

 あっうん、論旨には納得しましたが、そのために例を挙げる君主がよりによって衛霊斉桓なのには引き続き一切合点がいかない。



有人之形,無人之情。有人之形,故群於人;無人之情,故是非不得於身,眇乎小哉,所以屬於人也!謷乎大哉,獨成其天!


 人の形を持ちながらにして人が抱きがちな情とは無縁な存在、それが聖人! もちろん人の世に生きてはいるわけだけれども、細々とした是非にとらわれることはない。もちろん人間のひとりであるから、ただの微細な存在でしかない。とは言え彼のみが自然と一体化し、その限りない偉大さを己がものとしているのだ!!!!!



 なるほどなるほど、おっしゃることはなんとなく理解できなくもありません、ところで聖人と人間を盛大に分別なさってるこの状況が非常にきついですし、あと衛霊と斉桓についての投げっぱなしジャーマンがホントしんどいです……これやっぱり荘子が寓話に引っ張り出してる人物のリストは作っておかないとダメだな、そこにも軸を引っ張らないとほんと何にも見えない、危なすぎるぞこの本。

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