第31話 徳充符 2
申徒嘉,兀者也,而與鄭子產同師於伯昏無人。子產謂申徒嘉曰:「我先出則子止,子先出則我止。」其明日,又與合堂同席而坐。子產謂申徒嘉曰:「我先出則子止,子先出則我止。今我將出,子可以止乎,其未邪?且子見執政而不違,子齊執政乎?」
申徒嘉もやはり足切りにあった人だという。孔子と同世代の鄭の宰相、子産とともに伯昏無人より教えを受けているのだが、子産からは毛嫌いされていたのだそうな。
お前と一緒に帰りたくないねん、帰るタイミングずらせや。だいたいこっちゃ一国の宰相やぞ、お前宰相さまに無礼じゃねーか? お前俺みてーにうまく鄭の国を運転できんのか?
申徒嘉曰:「先生之門,固有執政焉如此哉?子而說子之執政而後人者也?聞之曰:『鑑明則塵垢不止,止則不明也。久與賢人處則無過。』今子之所取大者,先生也,而猶出言若是,不亦過乎!」
申徒嘉は答える。いや同じ先生から学んどるだけだろ、政がどうとかアホか。鏡がよく見えるのは埃がついてないから、埃がつけば曇って見えない、と言われるだろう。賢人のもとで学べば過ちはない、とも言われてるのに、お前はいまそれに逆らった言動しとんのやぞ、それって先生を侮辱することにもなるからな?
子產曰:「子既若是矣,猶與堯爭善,計子之德不足以自反邪?」
はぁーあ! すっげええなお前、堯と肩並べられた気でいるんだ! へー、お前なんぞにそこまでの徳があるとはな、へぇー、へぇーえ! じゃなんで足なんぞ切られとんのじゃあほか!
申徒嘉曰:「自狀其過以不當亡者衆,不狀其過以不當存者寡。知不可柰何而安之若命,唯有德者能之。遊於羿之彀中。中央者,中地也;然而不中者,命也。人以其全足笑吾不全足者衆矣,我怫然而怒;而適先生之所,則廢然而反。不知先生之洗我以善邪?吾與夫子遊十九年矣,而未嘗知吾兀者也。今子與我遊於形骸之內,而子索我於形骸之外,不亦過乎!」
なぜ切られたかなぞ、いくら言いつくろってもしかたあるまい。切られる定めにあった、だから切られた。それだけだ。むしろそいつを受け入れられることこそが徳ではないかね?
だいたい人間なんぞ、いつ思いがけない不運に見舞われるともしれんのだ。その意味で、みな弓の達人、羿の射程圏内にいるようなもの。当たるも当たらんも、ただの運、不運でしかない。
お前さんにかぎらず、幸運にも足切りに遭わずに済んでる、それだけの理由でわしを笑うやつのなんと多いこと! わしなんぞはそれで怒りを抱いてしまうものだが、先生のお言葉を伺えば、綺麗さっぱりそいつが濯がれる。
先生のもとで十九年学ばせて頂いておるが、その間、先生の前で足切りに遭った身であることを思い出すなぞ、ただの一時とてなかったものさ。
あんたもわしも、先生と心をかよわせ合う時を過ごしておるのだ。だと言うのに、あんたは未だもって外側の器の評価にばかり終始する。本当に先生のお話を理解出来とるのか?
子產蹴然改容更貌曰:「子無乃稱!」
はっとなって子産は言う。
あっちょ、勘弁してください。
遊於羿之彀中。中央者,中地也;然而不中者,命也。がキツい。本当にキツい。と言うのも、俺たちは「偶然戦争から縁遠い地に生まれた」に過ぎないわけです。これは例えば朝鮮半島みたいに「継続的に有事の中にいる」人たちとも、あるいは世界各地の、いままさに戦争のまっただ中にいる人たちとも違う、とんでもない僥倖。幸福。本当は誰もが「羿の射程」の中にいるんだけどね。
だのに世の中には「たまたま射られてしまった人たち」を見下し、嘲る人のなんと多いこと。平和な日本にあってこれだけ排他的になるんじゃ、有事下の世界なんてどれだけ排他的にならざるを得ないのかってぞっとします。
ほんに、いまは思考のあらゆるもんがそっち方向に引きずられてしまいますね。泰然としていられりゃいいんですが、自分の泰然は、どう足掻いても「振り」「演技」に過ぎない。なら動揺を動揺のまま出力しておいた方がいい。
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