第23話 人間世 3
仲尼曰:「惡!惡可!大多政,法而不諜,雖固亦無罪。雖然,止是耳矣,夫胡可以及化,猶師心者也。」
ダメだダメだ、そんな煩瑣なことやりおおせるわけないだろう! 確かに罪には問われるまい、しかし罪に問われない方法を採れると言うだけで、本来の目的である教化が達成できるはずもない!
顏回曰:「吾無以進矣,敢問其方。」
ほええ……じゃどうしろってんですか?
仲尼曰:「齋,吾將語若。有[心]而為之,其易邪?易之者,皡天不宜。」
顏回曰:「回之家貧,唯不飲酒不茹葷者數月矣。若此,則可以為齋乎?」
曰:「是祭祀之齋,非心齋也。」
回曰:「敢問心齋。」
斎戒しろ。だいたい、誰かを変えようとする作為に頼って何かをしようと試みても、天の理に背く以上やりようがない。
ふぇえ……うち貧乏だし贅沢な食べ物なんか食べてないし、もう斎戒してるようなもんだよぅ……。
ちゃうねん。心の斎戒やねん。
なんかこの辺の話、ゴール見ずに読んでるから孔丘先生の激詰めに心折れかけてる顔回しか見えませんね。
仲尼曰:「若一志,無聽之以耳而聽之以心,無聽之以心而聽之以氣!聽止於耳,心止於符。氣也者,虛而待物者也。唯道集虛。虛者,心齋也。」
一切の迷いを振り払い、心を純一に保つ。耳で聞くのでなく、心で感じる。いや、心よりも気で接するのがいい。聞けば耳で止まり、心では物事を知覚するので止まる。けど気で接すれば、虚心に、あるがままの状態の物事を受け止めることが出来る。道の境地は虚心であるよう努めることであり、虚心となることが、つまり心の斎戒なのだ。
顏回曰:「回之未始得使,實自回也;得使之也,未始有回也;可謂虛乎?」
! 確かにいままでの発言では、まず「自分」ありきでした! 相手を動かそうとするに当たっては、まず自分があってはならない、と言うことなのですね! これが虚の境地なのでしょうか?
夫子曰:「盡矣。吾語若!若能入遊其樊而無感其名,入則嗚,不入則止。無門無毒。一宅而寓於不得已,則幾矣。
オッケー、それ☆ 高き境地を、と考える必要はない。世俗に同化しておりながら、世俗にいることを忘れるのがいい。衛公が聞く耳を持つ状態だったらこちらも話すが、そうでないならやめる。これでいい。一切をあるがままの状態に委ねれば、間違いもあるまい。
絕跡易,無行地難。為人使易以偽,為天使難以偽。聞以有翼飛者矣,未聞以無翼飛者也;聞以有知知者矣,未聞以無知知者也。
歩こうというならば、どうしても足跡が残るもの。しかし世のなすがままに動けば足跡は残りにくいもの。翼あるゆえに鳥は空を飛ぶが、翼を捨てて初めて本当の意味で飛翔できる。知あるゆえに人は知に頼るが、その知を捨てた先に真の知がある。
瞻彼闋者,虛室生白,吉祥止止。夫且不止,是之謂坐馳。夫徇耳目內通而外於心知,鬼神將來舍,而況人乎!
無というものは、無が広ければ広いほど光を受け入れることが出来る。そこをあくせくと埋めようとすれば何も見えなくなる。耳目からは見えるもの、聞こえるものをただ感じとり、心に通す。この境地にいたれば鬼神をも動かせようし、まして人と手容易かろう!
是萬物之化也,禹舜之所紐也,伏戲几蘧之所行終,而況散焉者乎!」
こうして万物が教化される。禹・舜・伏羲・几蘧と言った聖人らも無心たるべく努めた。であるならば、我ら凡人もまた無の境地を目指そうではないか!
んー? この話ってあくまで孔子は「道」の境地を知ってるの? なんでこんな話になってんの? 話全体の輪郭は見えなくもない気はするんだけど(完全にリラックスした状態で、下手に批判的な態度を取ろうとせず、あるがままに他者の言葉を受け入れるのってマジ重要だよね)、例によって「で、なんでそれが孔子と顔回の対話なんですか?」がわからない。だってそもそも顔回がこんなこと言い出すなんてありえませんもん。やるなら子路でしょ。けど荘子は、この対話をすべきなのが孔子と顔回だって思ってる。
ここも人間世編全編を通した上でないと見えづらいのかなあ。まぁ、先に進んでいきましょう。
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