第3話 逍遙遊 3
堯讓天下於許由,曰:「日月出矣,而爝火不息;其於光也,不亦難乎?時雨降矣,而猶浸灌;其於澤也,不亦勞乎?夫子立而天下治,而我猶尸之,吾自視缺然。請致天下。」
許由曰:「子治天下,天下既已治也。而我猶代子,吾將為名乎?名者,實之賓也,吾將為賓乎?鷦鷯巢於深林,不過一枝;偃鼠飲河,不過滿腹。歸休乎君,予無所用天下為!庖人雖不治庖,尸祝不越樽俎而代之矣。」
堯が許由に天下を譲ろうとするも断られ、しかも許由は帰宅後「汚らわしいことを聞いた!」と自らの耳を洗った、というエピソードがある。そこを下敷きとしたお話。たぶんここに見える堯と許由のやりとりは荘子の創作。この人怖いもんねーな。
堯の許由に対する評価は「太陽」であり、その前では自分などかがり火にすぎない、と言っている。ならばより大徳の者に道を譲るべきなのではないか、と堯は語るのだが、許由は「いやあんたが十分世の中治めてんじゃん、何で俺がそこにのこのこ出張んなきゃいけねーのよ」と突っぱねる。個人的にはここで許由が「お前疲れてんの? 少し休めば?」って声掛けしてるのが好き。
このへんの人物像の組み立て方には「為政者より隠者の方が上に決まってんだろバーロイ」的な荘子の思想が反映されてそう。う、うーん……。
肩吾問於連叔曰:「吾聞言於接輿,大而無當,往而不返。吾驚怖其言,猶河漢而無極也;大有徑庭,不近人情焉。」
連叔曰:「其言謂何哉?」
曰:「藐姑射之山,有神人居焉,肌膚若冰雪,淖約若處子。不食五穀,吸風飲露。乘雲氣,御飛龍,而遊乎四海之外。其神凝,使物不疵癘而年穀熟。吾以是狂而不信也。」
連叔曰:「然,瞽者無以與乎文章之觀,聾者無以與乎鐘鼓之聲。豈唯形骸有聾盲哉?夫知亦有之。是其言也,猶時女也。之人也,之德也,將旁礡萬物以為一世蘄乎亂,孰弊弊焉以天下為事?之人也,物莫之傷,大浸稽天而不溺,大旱金石流土山焦而不熱。是其塵垢秕糠,將猶陶鑄堯舜者也,孰肯以物為事?」
宋人資章甫而適諸越,越人斷髮文身,無所用之。堯治天下之民,平海內之政,往見四子藐姑射之山,汾水之陽,窅然喪其天下焉。
主な登場人物は三人プラス一。このうち連叔と接輿がすごくて、肩吾がザコ。そんな関係性をまず踏まえておかねばならないのだが、その辺の説明がものすごく雑じゃないですかねこの条? なに? なめてんの?
肩吾が、接輿より聞いた「藐姑射山にいる神人がやべー、とにかくやべー、クッソやべー」って話に対して半信半疑であったのを、連叔が「あぁ、そいつを信じらんねーのはオメーがクソザコだからだよ」とぶった切る。「めくらが緻密な織物の仕事を理解できねえのと、つんぼが音楽の素晴らしさを理解できねえのと同じくらいオメーはクソだ」とまで言い切る。ひどい。なにこのひと。
接輿の語った神人は、堯や舜ですら全力でリスペクトを尽くしてなお余りある存在だった。なのに、どうしてその偉大なる存在を疑うのか、と語ってくる。この辺には「人為の限界」をどう示すべきか、的なアレを感じないでもない。
最後の段落「宋の商人が殷の儀礼で用いられていた帽子を越に持っていったが、越人に帽子をかぶる習慣がなかったので売れなかった」というのも、「常識の枠組みに囚われているとそういうポカをやらかしがちだよね」って話のつづきには見える。けどそのあとに「堯が世の中を平和にせんとしていたが連叔、接輿、肩吾、神人に会った途端に天下のことを忘れてしまった」という話だなんで差し挟まったのかがわからない。この四人が堯よりもすごいってこと? え、そこまでぶっ飛んだ主張しちゃうの荘子さん?
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