第17話 ついていけない


 ロウレンとシャリィが去った後、マリベルはウィニングの個別指導を始めた。

 この指導に、ロウレンたちが同席していない理由は二つある。


 一つは訓練の都合。

 ロウレンとシャリィは、朝から夕方まで行われる主従訓練で十分な成果を挙げているので、夕方以降は休息と復習に時間をあててほしいとマリベルは指導した。そもそもこの個別指導自体、ウィニングのモチベーションを繋ぎ止めるという、ふわっとした目的のために行われているものだ。訓練で成果を挙げている二人がわざわざウィニングに足並みを揃える必要はない。


 そして、もう一つの理由。

 それは……仮に見学したところで、ついていけない・・・・・・・からだ。


「さて、ウィニング様。本日の個別指導も同じメニューです」


 そう言って、マリベルは杖を構えた。

 心なしか、先程の模擬戦以上に真剣な面持ちである。


「鬼ごっこを始めましょうか」


「――はい」


 ここ最近、個別指導のメニューは鬼ごっこに固定されていた。

 鬼ごっこによってウィニングの改善点を見極め、それをマリベルが指摘する。この流れが長く続いていた。というのも、ウィニングの実力は非常識的なので、通常の指導では中々ウィニングを伸ばすことができないのだ。だから実践させてから軌道修正する方針にしている。


 しかし、一ヶ月を過ぎたあたりからこの訓練は形骸化していた。

 ウィニングが捕まらないのだ。


「《水剣ウェルス》……ッ!!」


 走り去るウィニングに対し、マリベルは水の剣を投擲した。

 投擲された剣の数は八本。ウィニングは方向転換するだけで全てを回避する。


「《水槍ウォルラ》、《水球ウォルブ》っ!!」


 マリベルの杖から、水の槍と水の球が射出される。

 模擬戦では使わなかった魔法を、マリベルは次々と使用した。


 だが、いずれもウィニングには命中しない。

 どの魔法よりも――ウィニングの方が速い。


 それなら、とマリベルは杖を構えて集中する。

 本来これは戦闘中には起こり得ない状況だ。これが本物の戦いなら、わざわざ精神を集中する時間なんて用意されない。


 それでも、マリベルがウィニングに追いつくには、こうするしかない。

 実戦では活用できない技術の一つや二つでも使わないと――ウィニングには追いつけない。


「《身体強化》、《加速アクセル》、《水靴ウォルブ》、《水流波ウォルジェ》――」


 以前、ウィニングが《発火イグニッション》を見せた時、マリベルが対抗するために編み出した方法だった。

 膂力を向上する《身体強化》に加え、全身の活動速度を向上させる《加速アクセル》、更に脚部の耐久力と移動速度を向上するための《水靴ウォルブ》に、勢いよく水を噴射する《水流波ウォルジェ》を組み合わせる。


 ウィニングの背中目掛けて、マリベルは疾走した。

 敢えてウィニングには伝えていないが、マリベルはこの方法で自身の最大移動速度を更新している。


 ウィニングのおかげで、マリベルは更に速くなった。

 もうどちらが訓練を受けているのか分からない。


「んふふ……どうやらまだ私の方が速いみたいですね」


 マリベルとウィニングの距離は少しずつ縮まっていた。


 知識と経験。

 この二つが、ウィニングになくてマリベルにあるものだ。


 どちらも戦いの勝敗を決める大きな要素である。

 まだまだ、子供に負けるわけにはいかない。

 そう思っていたマリベルだが――。


「――それはどうでしょう」


 ウィニングが不敵な笑みを浮かべる。

 その両足に、一瞬で魔力が集中した。


「《発火イグニッション――」


 ウィニングの全力疾走が始まる。

 その直前――ウィニングの足首から先に、ある魔法が作用した。


「――》ッ!!」


 魔力が爆ぜる。

 刹那、ウィニングの姿はブレて、遥か遠くまで移動していた。


「え――――」


 予想外の光景を目の当たりにして、マリベルは驚く。

 徐々に縮んでいた距離が一瞬で突き放された。それどころか、時間が経過するごとにどんどんと差が開いていく。


 ――《吸着ソープション》だ。


 一瞬だけ見えた。

 ウィニングは《吸着ソープション》の反動である、反発する力を利用しているのだ。


(嘘……まだ、二ヶ月しか経ってないのに……ッ)


 初めて会った時からウィニングは速かった。

 だがマリベルがその気になれば、まだなんとか捕まえることができた。


 しかし、あれから二ヶ月が経過した今。

 マリベルは歯軋りし、全力で魔法を駆使しながらウィニングを追う。

 それでも――差は開く一方だ。


 ――追いつけない。


 触れられない。

 近づけない。


 それは武力でも知力でもないが、絶対的な力だった。

 マリベルは全力を出していた。汗を流し、軋む身体に鞭打って走っていた。


 それでも――ウィニングの背中はどんどん離れていく。


 直後、マリベルの全身が鉛のように重たくなった。

 足を止めたマリベルは、静かに俯く。


 この感覚には……覚えがあった。


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