第12話 鬼ごっこ


「――っ!?」


 唐突な爆発に、マリベルは正面に水の盾を生み出した。

 鬼ごっこだと言ったのにまさかの攻撃――見た目によらず、ウィニングはとんでもない悪ガキなのかとマリベルは疑う。


 しかしふと違和感を覚える。

 展開した水の盾には衝撃が与えられていない。どうやら先程の爆発は、正しくは突発的に生じた爆だったらしい。


 ならばこれは、恐らく攻撃ではない。


 巻き上がった砂塵が消えた後、マリベルは眉を潜めた。

 ウィニングが――消えた。


「こっちですよーーっ!!」


「な……っ!?」


 遠くからウィニングの声が聞こえ、振り向いたマリベルは絶句した。

 ウィニングはいつの間にか、五十セコルも離れた位置にいた。


 まさか、先程の爆発は……。

 ただ走っただけで起きたというのか……?


「く……っ!」


 マリベルは瞬時に《身体強化》を発動し、ウィニングを追う。

 しかし再び爆風が放たれたかと思うと、ウィニングはまた遠くへ移動していた。


 ――速い。


 信じられないくらい、速い。

 困惑したマリベルは足を止める。

 二人の鬼ごっこを眺めているロウレンとシャリィにいたっては、開いた口がふさがらないほど驚いていた。


(随分、前情報と違いますね……っ)


 フィンドから聞いた話によると、ウィニングは走ることが好きで、もしかしたら・・・・・・魔法の才能がある子供とのことだった。


 依頼を仲介してきたロイドは「余計な先入観を与えたくない」と言って、何も教えてくれなかったので、マリベルはウィニングのことを少し優秀な子供程度にしか考えていなかったのだ。


 蓋を開けば、とんでもない子供がいた。

 適当に捕まえて終わりだと思っていたが、そう簡単にはいかないようだ。


「――《身体強化・二重デュアル》ッ!!」


 無属性魔法《身体強化》を二重に発動する。

 マリベルは今度こそウィニングを捕まえようとしたが――距離が中々縮まらない。


(向こうは普通の《身体強化》なのに、まだ追いつけない……ッ!?)


 だが速度では並びつつある。

 マリベルは回り込んで、ウィニングに近づいた。

 するとウィニングが跳躍する。


「跳ん――高っ!?」


 あっという間にコントレイル家の館の屋根に上ったウィニングは、脇目も振らずに逃げていった。


「………………いいでしょう。認めます」


 己を落ち着かせるために、マリベルは敢えて口に出して言う。

 認めなくてはならない。

 この勝負、真剣にならなければ負ける。


「貴方は速い。ですが……私の魔法は、それを凌駕します」


 マリベルは深く呼吸して、集中力を研ぎ澄ませる。

 杖の持ち手側を、トンと地面に当てた。


「――《水軟樹ウィテル》ッ!」


 マリベルの正面に、水の樹木が屹立した。

 瞬間、樹木を中心に地面から大量の水の根が出現し、その全てがウィニングへと迫った。


 鞭のようにうねる木の根を、ウィニングは速さだけで避けようとする。

 しかしその時、マリベルが杖を振った。


「花咲けッ!!」


 うねる木の根の表面に、無数の花が開いた。

 花弁が飛び散り、その一つ一つが威力のある水の弾丸と化す。


「え――っ」


 想定外の角度から攻撃され、ウィニングは対応が遅れる。

 それはウィニングが今まで見たどの魔法よりも自由度・・・が高かった。


 驚きと戸惑いが、ウィニングの足を鈍くする。

 そして、それこそがマリベルの狙いだった。


 たとえ足が速くても――判断が遅ければ意味はない。


 踏んできた場数が違う。

 マリベルがもう一度杖を振ると、空中に飛散している水の花弁が一斉に破裂した。


 飛び散る水飛沫が、極小の弾丸と化してウィニングを襲う。

 水はウィニングに触れた瞬間――まるで泥のように粘度が高くなった。


「うわっ!? ネバネバ!?」


 ウィニングが驚愕する。

 ネバネバの水がウィニングの身動きを少しずつ封じていた。

 あと数秒も経てばウィニングは指先一つ動かせなくなるだろう。


 マリベルは勝利を確信した。

 しかし、その時――。


 ――マリベルは見た。


 ウィニングの足に魔力が集中する。

 三級の紋章では保有できる魔力の上限が低い。故に大量の魔力が集中しているわけではなかったが――全身に行き渡っていた魔力が、微細な取りこぼしもなく一瞬で脚部に凝縮されるという、そのあまりにも滑らかな魔力制御は見惚れてしまうほど美しかった。


 足に収束した魔力は、更に極限まで練り上げられ――。


「《イグニッ――――あ駄目だ」


 何かが起きることなく、練り上げられた魔力は霧散した。

 呆気にとられるマリベルの前で、ウィニングはネバネバの液体に全身を囚われ動けなくなる。


「……私の勝ちですね」


「はい……参りました」


 マリベルの勝利宣言に、ウィニングはがっかりした様子で肯定する。

 しかしマリベルは釈然としていなかった。

 まるで勝った気がしない。


「貴方……最後に何かしようとしていませんでしたか?」


「ああ、えっと、もっと速く走ろうと思ったんですけど、これ以上は庭が壊れちゃうので……」


「……まだ、速くなるんですか」


 マリベルは驚愕した。

 どうやらウィニングは環境面に配慮した結果、手札を切れなかったらしい。


 もっとも、その点においてもマリベルは勝っていた。

 マリベルが杖を軽く振ると、水の樹木と根が消える。地面は濡れているが破壊の跡は一切なかった。マリベルは最初から庭を壊さないよう注意していたのだ。


(この速さは普通ではありません。元の身体能力がずば抜けて高いんでしょうか? ……いえ、それだけで片付く話ではありませんね)


 項垂れるウィニングを、マリベルは無言で見つめながら考えた。


(……まあ今はいいでしょう。遅かれ早かれ詳細は分かるでしょうし……それに、まだ私の方が速いですしね!)


 ふふん、とマリベルは一人、得意気な顔をする。

 伊達に六年間、後に世界最強と呼ばれる女と張り合ってきたわけではない。

 この世界にはウィニングが知らない魔法がまだまだある。

 機動力ならともかく、最高速度なら……まだマリベルに分があった。


 自分が七歳の頃はどうだったか――その思考はすぐに打ち切る。

 考えてはいけない。勝ちは勝ちなのだ。


「三人の長所はよく理解できました。これからよろしくお願いいたします」


 丁寧に告げるマリベルに、ウィニングたち三人も頭を下げた。

 そんな子供たちを見て、マリベルは機嫌をよくする。


(教師の仕事なんて一度も引き受けたことはありませんが……なかなか悪くないですね! だって皆、私より格下ですし!)


 マリベルは格下しかいない環境では強かった。 

 しかし流石に、未来までは読めない。


 マリベルは、目の前にいる三人の子供……特にウィニングと、これから半年どころか何十年にも渡る付き合いになるとは思ってもいなかった。

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