エピローグ

 タケルはかつて、自分の将来を無味乾燥なものとして捉えていた。悲観する程ではないにせよ、平凡で、面白みのない人生を歩むだろう。そう考えていた。


 しかしニーナとの出会いをキッカケに、彼の運命は変わった。うねりにうねる変化の波が、タケルを予想だにしない所へと連れ去ったのだ。



「着いたぜタケちゃん。カツトシ・ドリームスクエアだ!」



 カツトシに連れられたのは、地域最大級の野外ライブ会場だ。開演までだいぶ時間があるというのに、道々では露店が立ち並び、匂いに釣られた来場者達が列を成した。



「間に合って良かったなぁ命名権(ネーミングライツ)がさぁ。タケちゃんの大舞台を逃すとこだったぜ!」



 カツトシは勝利に通じるので、縁起が良いと評判だ。一部の野球ファンが「うちのホーム球場の命名権も買え」と、界隈を騒がせる事もしばしば。


 そんな世評とは隔絶されたタケルにとって、カツトシのこだわりに共感が持てずに居る。



「別に良いじゃん、そんなの。間に合わなくたって……」


「んな訳あるか。初の1万人超えじゃねぇか。オレの名前がついた会場で記念ライブをやってもらうのが、ささやかな夢だったんだよ」


「そうだったんだ。初耳かも」



 在学中、タケルは進路に酷く悩まされた。友人に相談しても、一緒にトレーダーやろうぜとか、うちの会社に就職しなよっつうか結婚しよう等と返されてしまい、全く参考にならない。あれこれ悩む最中も動画の反響だけはウナギ登りで、身に余る程の額面を手にしてしまう。


 その結果、当面は様子を見ようと決め、就活を中断。動画投稿とライブに勤しむ日々を送るのだった。



「そんじゃタケちゃん。オレ達は特等席で観てっからな! 頑張れよ!」


「にぃに、水風船を買っていこ。今日は暑いし、濡れ透けチャンス」


「これからライブ観るってんだよ、別のもんにしろ!」



 会場の裏手から駆け去る車を、タケルは利き手を上げて見送った。念の為、コットン帽を目深に被る。以前に過激派ファンと出会した際、騒がしくなって辟易した記憶が生々しい。


 裏口、関係者出入り口から遠慮げにドアを開けた。守衛室でパスを提示した後、控室に向かうと、何人ものスタッフとすれ違った。誰もがにこやかに挨拶をしてくれるが、決して足は止めない。多忙な時間帯なのだ。



「こんなにも大勢の人が頑張ってるもんね、僕も想いに応えなきゃ」



 つい感慨深くなり、通路の光景に目を向けた。インカム越しに言い合いをする男、マップ片手に部下へ指示する女性と、活気づく光景が広がっている。


 するとスタッフの1人から、花が届けられていると聞いた。そのうちの1つは恩人からのものである。



「アサノコウジさんか。後でお礼を言わないと……」



 学祭以来、音楽業界に厄介な敵を作ったタケルだが、意外と活動は順調だった。ピアノ講師として活躍するアサノコウジのコネと、安里グループのバックアップのお陰で、障害は大して邪魔にならなかった。せいぜいSNSで粘着される程度である。


 そうして、懐かしみながらもボンヤリとするタケルの耳に、鋭い声が鳴り響く。完全に虚を突かれてしまい、壁が無ければ尻餅をついていた所だ。



「おはようざっす! 飯場アニキ、おはようざっす!」


「あぁ、うん。おはよう……元気いっぱいだね」


「前座はオレ達に任せてください! 客席あっためておくんで!」


「うん、ありがと。まぁ程々で良いから、アハハ」



 タケルの楽屋付近で行儀よく並び、歓迎の挨拶を叫ぶのはジリヒンの一同だ。彼らは学祭ライブで、タケルを差し置いて大賞に輝き、デビューが約束されたグループである。


 しかし、約束は遂に果たされなかった。あの審査員の男は、界隈でも悪評で知られる人物で、ジリヒンの扱いも相当なものだった。無給の上に、不眠不休で延々コキ使うという超搾取。眠れる分だけ奴隷の方がマシと囁かれる程である。


 そんな過酷極まる暮らしに堪えかねたメンバーは、早々に夜逃げを計画。身一つで逃亡、そして町中をさまよう。交番に駆け込もうかとも考えた矢先、出会したのがタケルだった。それを機に生活を立て直し、前座とはいえ晴れ舞台に立てるのだから、感謝の気持ちを隠せるハズもない。


 やがてジリヒン達がキビキビとした動きで立ち去ると、タケルもようやく腰を落ち着けた。8畳ほどの控室は座敷になっている。靴を脱ぎ、カーペットに腰を降ろしては、ローテーブルで両腕を休ませた。


 しかし気を緩める間もなく、室内は騒がしくなる。



「おはようタケル君! 調子はどうかな?」



 ノースリーブのワンピースに半丈のデニム姿で現れたのは、イナだった。彼女は返事を聞く前にあがりこみ、タケルの隣に腰を降ろした。



「スゴイよね。アッという間に人気出ちゃって、もう1万人ライブだよ。チケットもすぐに完売したんだってね」


「実際どうなの。ただ運が良いだけかもしれないよ」


「そんな事無いってば。タケル君はスゴイんだよ。私は最初から見抜いてたもん。出会ったあの日からね……」



 イナは天井隅に備え付けられたテレビに目を向けた。そこに映し出されるのは、ステージ上で目まぐるしく駆け回るスタッフの姿だ。かつてのピアノコンクールで、タケルの演奏と出会った時も楽屋に居たものだ。今こうして、肩を並べて座るのが奇跡のように思えてくる。



「不思議なものよね、男女の縁って。タケル君と夫婦になってこの日を迎えるだなんて、夢にも思わなかった……」



 イナは眼を細めたままで幸福に酔いしれた。通路から聞こえる喧騒ですら、賛美歌として聴こえるようである。



「ねぇ、それはどういう……」



 タケルが訝しむところ、台詞は別の声によって遮られた。そちらに眼を向けたなら、ニーナの姿が見える。



「今の台詞は何ですか。冗談にしても笑えません」



 相変わらず笑顔は柔和だが、不思議と背筋の冷える印象を受けた。エアコンの風向きのせいだろうか。



「あらニーナさん。もうリハは終わったの?」


「今しがた。それよりも質問に答えていただけますか。先程の夫婦がどうのとは、何の戯言でしょう」


「別に深い意味はないよ。言ってるうちに実現しないかなって思っただけ」



 タケルとイナはビジネスパートナーであり、婚姻関係にない。今の言葉は単に外堀を埋めようとして、しくじっただけの事である。



「それよりもニーナ、お疲れ様。段取りとか大丈夫?」


「はい、滞り無く。ですが本日は時間が取れず、タケル様の傍から離れがちです。どうかお許しを」


「それは仕方ないよ。僕の事なら気にしないで」


「少し心細く感じられます。この辺りで1度補給をお願いできますか?」


「もしかして充電? コードなんて持ってきたかなぁ……」


「いえ、熱いハグと情熱的な口づけを。いつものように」



 ニーナはタケルに向けて、両腕を広げた。どう見ても待ち構える姿勢である。そこへイナが血相を変えて割り込んだ。



「ニーナさん、そっちこそ何。普段通りみたいなノリで!」


「おあいこです。それにタケル様も心の奥底では望んでおられるので、言語化したまでです」


「ねぇ2人とも。僕の意見をそっちのけで盛り上がるのは止めてくんない?」



 こうして見慣れた小競り合いが繰り広げられると、やがてイナにお呼びがかかる。単眼鏡の付き人、セワスキンである。



「お嬢、ステージまで来てくれ。警備の打ち合わせがしたい」


「何よ……せっかく休憩できると思ったのに。ニーナさん、タケル君に変な事しないでよ?」


 そんな言葉を残して、イナは通路の方へと消えた。すると控室の空気は一転、静まり返る。



「相変わらずだな安里さんは。緊張なんかしてないんだろうね」


「タケル様。本日のステージは記念ライブであると同時に、私とイナさんの決着をつける場でもあります」


「またやるの? 飽きないなぁ、ライブの度に言ってるよね」



 思わず苦笑するタケル。その頬の右側に、ニーナが顔を寄せ、口づけを交わした。ゆっくりと静かに、触れ合う肌の柔らかさを確かめるように。



「えっ、今のは……!?」


「前祝いです。この続きは、私が勝利を掴んだ後、とさせてください」



 それからニーナは、呆然とするタケルの前から立ち去った。彼女もスタッフに呼ばれたのだ。


 そしてタケルとてボンヤリしていられない。メイクだ衣装替えだとスタイリストが押しかけた事で、意識の切り替えを求められた。化粧の臭いはいまだに慣れず、ついつい顔をしかめてしまう。「顔の力を抜いて」という指摘も、今や聞き慣れたものである。


 やがて迎えた開演時間。舞台袖に控えるタケルは、イナと肩を並べていた。ニーナは反対側の袖付近だ。



「ねぇタケル君。今日はニーナさんと決着をつける日なんだぁ」



 イナは両手で拳を握りしめ、やる気を見せつけた。その一方で装いは愛らしく、艶やかな振袖姿だ。踊りやすいように、裾は短く整えられ、膝から下が剥き出しだ。朱いアイラインと口紅も、茜色の衣装によく似合う。ちなみにニーナは色味を蒼として、対比を取っている。


 

「さっき聞いたよ。いつまでやる気なのさ」


「今日はタケル君とのディナー権を賭けて争うの。もっとも、ご飯だけで終わるかは決めてないけどね」



 そう囁くと、イナは両足で媚びたように跳ねた。そしてタケルの傍に着地し、首に両腕を絡めた。それから左頬に口づけ、また跳んで離れる。



「この続きはライブの後で! 絶対勝つからね!」



 イナはそう言い残すと、ステージの上に躍り出た。歓声で揺れる会場。熱っぽい歓迎を、イナは両手を振って答えた。逆サイドのニーナも、同じように愛想を振りまいている。



「まったく。これじゃあ緊張するヒマもないよ……!」



 タケルはそう呟くなり袖から飛び出した。一際大きくなる歓声に会釈で応じると、程なくしてスタンバイを完了する。手に馴染むグラスハープ。それを目まぐるしく鳴らす。無造作としか思えない、音の洪水だった。そうして観客の意識を一身に集めると、演奏を緩やかに整えていく。


 機を捉えたニーナが、そしてイナがステージ端から中央に向かって歩みだす。静かで、穏やかな振り付けで踊りながら。2人は意味深な笑みを交わしつつ、馳せ違う。一糸乱れなく、艷やかな舞いは観る者の心を惹きつけた。イナは努力を積み上げた結果で、ニーナは気が遠くなるほどのアプリ調整により、これほどのステージを実現してみせた。


 そこにタケルの演奏が完全に調和する。これは眼と耳だけでなく、肌から没入する芸術作品だ。魂ごと慈しまれた人々は感涙に頬を濡らし、微かに嗚咽までが溢れだす。


 タケルはふと何かが気になり、視線を空に向けた。そこではトンビが気ままに晴天を泳いでいた。止まり木でも探しているのか、円を描きながら右へ左へと飛び回り、いつしか視界の外へと消えた。



(なんだろう。まるで僕みたいだ……)



 タケルはひととき自嘲すると、すかさずグラスと向き合った。今この瞬間を生き抜き、そして楽しむ。未来の事はその時の自分が思い悩めば良い。それが、目まぐるしい毎日で培った人生観であった。


 走らせる指先、鳴り響く透明な音。タケルは我を忘れて奏で続けた。耳福を待ち望む人々の求めるがままに。




〜完〜



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