零能探偵のはじめかた。

@kasugaihako

第0話 寺田ハル

 北山学院大学には噂があった。

曰わく、呪われたサークルがあるという。


 しかしその実態を

知っているものはおらず、

よくある学校の七不思議と同様に、

噂は噂として漂っていた。


「キヨー。あきたー。」


 サークル棟の東側に位置する

日本歴史研究会ことポン研の部屋で、

留学生のフェリスが唇を尖らせ、

日本人離れした鼻梁を

キュッと結びつけながらしかめっ面をした。

 

 ローテーブルに合わせたソファーに

チョコンと座り購入したレジャー雑誌を

ペラペラとめくっている。

 奇妙なのは、その向きが

上下逆さまになっているとこだろう。


「ちょっと早いけど、お昼にでもします?」


「あたし、フルーツサンド。」


 キヨと呼ばれた男はキヨタカと言い、

北学の二回生だった。

 キヨタカは使い込んだハンディカムを

フェリスに対して向けている。


 ここだけ切り取れば非常に危ない事案を

想起させるが、当の本人たちはこの状況を

不思議ともなんとも思っていないようだ。


 足早に最後のページを

捲り終えたあたりで、

フェリスは有無をいわさず立ち上がった。


「いくわよ。キヨ。」


「あ、はい。」


 ハンディカムを携えて、

キヨタカは学食横の購買へと向かう。


 購買はまだ昼前ということもあり

人影はまばらだった。

 フェリスは購買のスタッフである

橋詰さんに

いつもの調子で駆け寄っていく。


「ハシヂュメさん。」


「あらー、フェリスちゃん。

今日も可愛いわねー。

いつものやつでいいの?」


 フェリスは日本語の発音で

不得手があった。

しかしお人形のような見た目の

フェリスが言うと、

洗脳されたみたいに

全員がデレデレとした笑顔になった。


 お目当てのフルーツサンドを

特別オマケ付きで購入すると、

フェリスはいつもの指定席である

端っこのオープンデッキに

そそくさと向かう。

 キヨタカをわざわざ待つほど

暇ではないのだ。


 月見うどんを乗せた

トレーをキヨタカが運んでくると、

ファンと思しき女性たちがフェリスを

取り囲んでいる場面に出くわす。

 ほんの五分ほどで凄まじい盛況だ。


「……あ、ごめーん。それじゃあねー。」

 

 キヨタカの登場を見て、女性たちは

そそくさと去っていく。

 気を遣われているのか

避けられているのか、

一方のフェリスはそんなことは気にも留めず

ぺしぺしとテーブルを叩く。


「あたしのは?」


「はい、どうぞ。」


 フェリスは学食のほうじ茶も結構好きで、

キヨタカがついでに

貰って来るのが日課だった。


 フルーツサンドにかぶりつくフェリスは

キヨタカの隣の方を見て威嚇する。


「ちょっと、みないでよ。

まずくなっちゃうでしょ。」


 苦笑いするキヨタカも手を合わせて

月見うどんに感謝の意を表す。

 キヨタカが箸を割った瞬間

「うげ。」とフェリスが

可愛らしい悲鳴を上げた。


「どうしたの?」


 フェリスは思わず

声を上げてしまったことを

後悔するが、隠す意味もないと思ったか

キヨタカに顔を寄せるように人差し指で

ちょいちょいと示した。


「あそこにすわってるやつ。やばい。」


「……そうなの?」


 無意識で動くキヨタカの右手を

フェリスはピシャリと叩いた。


ここではつかわないで。

……どうする?」


 フェリスが残りのフルーツサンドを

シマリスのように頬張りながら、

規定事項の質問をする。


「……一応、声かけてみるよ。

どうせ、放っておくとろくなことに

ならないと思うし。」


「ん。じゃあすきにして。」


 うどんを片付け、

キヨタカはフェリスの言う

女性のもとへ近づいていった。

 フェリスの言うその子は

文庫本のようなものを開いているが、

確かにちょっと変だった。

 先ほどから

一切ページを捲る気配がないのだ。


 焦点も紙面にはあっておらず、

眼鏡の奥の瞳はぼんやりしている。


「あ、あの……。」


「…………え?」


 突然の声かけに

女性がふと本から目を離す。

キヨタカは声を掛ける勇気を

振り絞るだけでいっぱいだったので

次の言葉が咄嗟に出てこない。


「えっと……。」


「あ、す、すいません。

ここ邪魔でしたか?」


「い、いえ、そうではなくて。」


 しどろもどろなキヨタカが、

意を決して質問した。


「最近、幽霊……

とかに困ってたりしますか?」


「…………え?」


 一度目とは違う。

困惑の色が見て取れた。


「いや、すみません。突然こんなこと

言われておかしいと思いますよね?

ただまあ、話を聞くだけ聞いてもらえれば

と思いまして。」


 立て続けに話すが、まるで

ヤバい勧誘にしか見えない。


「あの、え、失礼します……!」


 女性はバタバタと文庫本を片付け、

足早にその場所を去った。

 キヨタカが失敗したというような

表情でがっくりうなだれるが、

入れ違いでやってきたフェリスが

キヨタカの服の裾を

ちょいちょいと引っ張る。


「これ。」


 そこにはパスケース入りの

学生証が落ちていた。

思わず拾って見ると、名前は

寺田ハルと書いている。


「エン、がつながったわね。」


 フェリスが覚えたての日本語を口に出し、

キヨタカには何も見えない中空を睨む。


「……どうする?」


「え? いや、どうしよ……。」


 煮え切らないキヨタカの態度に、

フェリスはやれやれと息を吐いた。




 急に声をかけられて驚いた。

 チラチラと後ろをふりかえるが、

さっきの男は追ってきていないらしい。

 まだ心臓はバクバク言っているが、

吹き出しそうになる汗を無理やり抑え、

 深呼吸して、落ち着かせる。


「(多分、あれは霊感商法かマルチの勧誘。

絶対そう。だってなんか

ウソっぽかったもん。学生が標的に

なるってよく聞くし……。)」


 小走りで学外に出て、

近くの川沿いを進む。

大雨でも氾濫しそうにない川は、

とても穏やかだった。


「(でも、なんで……。)」


 まだ彼女は自分が学生証を落としたことに

気がついていなかった。

 考え込むほど、

その歩みは緩やかになっていく。




 キヨタカはサークル棟の部屋に

戻ったが、フェリスの「キヨ。こいつが。」

の一言で

話したい事があるのだと察した。


 部屋に入るとハンディカムを

動画モードで起動させた。


『おっそいわね!

取り逃がしたじゃん!』


 画面にはムキー! と効果音が

背後に出てそうな表情で

愉快な地団駄を踏む美女が現れる。

 朱色の髪に薄茶色の瞳。

フェリスほどではないが

全体的に色白な肌を見せつけて、

元気いっぱいにダンスしていた。


 服装は神社の巫女っぽい感じで、

ところどころに古めかしい

飾りを付けている。


 しかし不思議なことに、彼女の姿は

ハンディカムの画面に映り、

彼女の声はハンディカム

からしっかり聞こえてきているのだが、

フェリスの隣にいるはずの彼女を

肉眼で見ることは全く出来なかった。


「えっと、すいません。

さすがに外で回し続けるのはちょっと。」


『チビ助を撮ってるフリ

すればいーじゃん!

早く行こうよ!

鮮度が落ちちゃう!』


 誰も海鮮や魚貝類の話はしていないが、

フェリスには何となく伝わったらしく、

考え事をするように頬に手を当てた。


 フェリスはカバンから手のひらに収まる

ほどのくまのぬいぐるみを取り出した。

 そのぬいぐるみの目のボタンを

プチリと千切ると、さっきの学生証の

入ったパスケースの隙間へと滑り込ませる。


「なにやってるの?」


「こいつのまね。」


 フェリスが赤髪の美女を指差し、

なにやらおまじないらしき言葉を紡ぐ。


『へー、器用ね。チビ助。』


「……はい。できあがり。」


 フェリスはそのパスケースを

キヨタカに投げ渡す。

 片手でパスを受け取った

キヨタカは目線でどういうことかを聞く。


「さがしにもどってくるとおもう。

がくせいか、にわたして。」


 つまり、落とし物として

学生課に届けて、引き取りに来たとき

後を追うということだろうか。

 キヨタカはとりあえず忘れないよう

直ぐに学生課へと足を運んだ。



 夕方、帰り支度をしていると

ハンディの向こうから

美女が話しかけてきた。


『キヨタカ。次に会ったらちゃんと

動かしてよね。』


 赤髪の美女は

ちょいちょいとハンディカムを

指差した。見た目に似合わない子供っぽい

仕草でぶー垂れる。


『あとー、最近

なんで名前呼んでくれないのー?』


「よんじゃだめよ、キヨ。

うざくなるだけだから。」


 フェリスは美女を無視して

カバンを背負う。

背格好に比べてそのカバンはかなり大きい。


「―あ。」


 席を立ったフェリスは、

何かに気付いたようだ。


「うごいた。」


『待ってましたー。

ねえねえ、早くいこ?』


 キヨタカは追い立てられるように

部屋を後にする。


 


 二人は大学の最寄り駅までやってきた。

 先回りしてあの寺田ハルという女生を

待ち伏せするためだ。


 フェリスは駅前のファーストフード店で

一番小さいジュースを買って

張り込みの真似事をした。

 数分後に、目的の女性が通りかかる。


「キヨ。これ。」


 フェリスはカバンに入っていた

大きめの帽子をキヨタカに渡す。

 おそらく変装しろということだろう。


 女性は二人には気付かず、

猫背のまま改札へと上がっていく。

 東宮駅方面の電車に乗るようだ。


「どうするの?」


「はがす。けす。

それでだいじょうぶ。

……そいつはたべるき、だけど。」


 キヨタカは全身が一般人のそれだ。

フェリスのような特性は無い。

 ただ唯一、特異な事情があるだけだ。


「でも、家まで着いていってどうするの?

押し掛ける訳にもいかないでしょ?」


「だいじょうぶ。

ばくだん、はいってる。」


 物騒なフェリスの言葉の真意を聞く前に、

電車は東宮駅に到着した。

 女性は降りて、改札へと向かう。

 

 距離をとり、

産まれて初めての尾行をする。

不謹慎だがにわか探偵の気分を

やや高揚した足取りと共に味わう。

 女性は住宅街にある低層マンションへと

吸い込まれるように歩いた。


「キヨ。キャメラ。」


 慌てて起動させると、美女が

アップで変顔をして映り込んできた。


『もー! 放置プレイかよ!』


「うわっ!」


 落としそうになるハンディを

キヨタカは何とか保持した。


『ん? あー、爆弾ってそういうこと。』


 美女が楽しそうに笑った。いい笑顔だ。

たとえそれが自己中心的な

悪意からくるものだとしても。


 ガシャン! と何かが窓から飛び出す。

重そうな置き時計が二階から外の

道路へと飛んでいきバギャンと壊れる。


『キヨタカ! 行こう!

いまめっちゃ面白いことになってるよ!』


「いや、面識ない他人の家ですよ?

無理ですって!」


『心配ないない。』


 遊園地のアトラクションを前に

はしゃぐ園児のように騒ぐ美女の言葉に、

キヨタカが慌ててフェリスを見る。


 フェリスはコクリと首肯した。

キヨタカは否定も肯定も出来ないまま、

ハンディを構えたまま足を動かす。


 時計が飛び出した家の玄関近くでは、

獣のような吼える声が中から聞こえており

表札を確認すると寺田と書いてある。


「いやでも、入る理由がないですって。」


『出たとこ勝負ってやつ?』


 フェリスが勝手にチャイムを押す。

そのピンポンを聞いた途端に、中から

一切の叫び声が聞こえなくなった。


 急な無音に、キヨタカは妙な汗をかく。


「……はい、どちら様でしょうか?」


 ガチャリとドアが開くと、

猫背の女性が出てくる。

 流石にさっきの今でキヨタカの

顔を覚えていたのだろう、

女性が急速に不安のある表情になる。


「えっと、あ――。」


『御姉妹の調査依頼で来ました。』


「ご、御姉妹の調査依頼で来ました。」


 美女の不意な発言に、キヨタカは

無意識で乗っかってしまった。

 その意味と前後の文脈を

反芻する間もなく、

キヨタカは寺田ハルが御姉妹という単語に

強烈な動揺を感じたのを見た。


「な? え、なん、で?」


『探偵です。』


「た、探偵、です。」


 今度は意味を理解しながら、

寺田ハルにでまかせを伝える。

 彼女は「きっ」と叫びそうになるのを

無理に抑えて、

「こ、こちらではなんですので、

な、中へどうぞ……。」


 と、明らかに無理やりな笑顔を構築した。


「おじゃまします。」


 姿を隠していたフェリスが

キヨタカの背後からちゃっかりと

自己主張をした。


「そちらは、どちら様でしょうか?」


「えっと、助手? です。」


 まあ、そう言うしか無いだろう。

嘘に嘘を重ねればこうなることは

目に見えていた。


「……カメラを回すのは

止めていただけますか?」


『キヨタカ。

助けられなくなっちゃうよ?』


 美女が可愛らしくも真剣に云う。

確かにキヨタカにも、既に寺田ハルが

普通でないことは分かっていた。


「……申し訳ありません。

これは、僕自身を守る為にも

必要なものですので。

それに、今はこのとおり

待機状態で撮影はしていません。

何も無ければ、

何も撮りません。」


「……何があると言うんですか?」


『死体。』


「……し、死体。とか?」


 寺田ハルの瞳孔がギュルリと開いた。


「…………。わかりました。

何も無いと分かれば、お引き取り

頂けますか? どうぞ。中へ。」


「(キヨ。くつぬがないで。)」


「(え? でも。)」


「(そんなとこみてないよ。あいつ。)」


 寺田ハルの家は、中流階級やや上寄り

という雰囲気で、リビングに

大きいテレビ、ソファー、額縁に入った絵。

アップライトピアノに

縦長スタイリッシュな暖房器具。

そして、円形の自動掃除機が置いてあった。


 強烈な違和感は一つだけ。

その全てに何らかの破損が見受けられ、

家主と思しき中年男性と中年女性が

頭から血を流して

床で呻いていることだろう。

 フローリングはガラスやら木屑やら

プラスティックの破片やらで踏み場も無い。


 寺田ハルは意に介さず


「どうぞ、こちらにお座り下さい。

お茶をご用意しますので。」


 と言い、台所に向かった。

 キヨタカはさすがに流血している

人間の前で寛ぐ訳にはいかず、

二人の状態を確認する事にした。

 死んではいない、息がある。

普通に考えれば寺田ハルのご両親だろう。

 床に転がっている写真立てにも

寺田ハルと三人で映っているのが見えた。


「だ、大丈夫ですか?」


 二人は呻くばかりで、立ち上がることが

出来そうもない。話すことも難しそうだ。

 救急車を呼ばなければと

スマホを取り出すがフェリスに制される。


「あとで。」


 フェリスがソファーには座らずに

台所の方を見て身構える。


「飲み物は何になさいますか?」


 場にそぐわない朗らかさで、

寺田ハルは二人に聞いてくる。


「遠慮なさらず。

いいお紅茶があるんです。」


 ジャバジャバと、明らかに紅茶を

淹れている時とは違う音がしていた。

 直ぐに戻ってきた寺田ハルは、

お盆に三名分のカップを載せている。


「どうぞ。お召し上がり下さい。」


 それは強烈な漂白剤の臭いを放っていた。

その劇物を三つとも

ローテーブルに並べるように置く。


「(……見えてる?)」


「(みえてる。)」


 フェリスとのアイコンタクトは

これで充分だった。

 寺田ハルは既にあちら側の人間だ。


「それで、

何をお調べになっているのですか?」


 直立したままの二人をそのままに

寺田ハルは向かいのソファーに座った。

 座る際にスカートをさっと直す仕草を

自然と行うが、周囲に散らばる残骸のほうが

気になってしょうがない。


『御姉妹のお付き合いしている方より、

婚前前の調査依頼を承りました。』


 意味不明ながら、キヨタカはそっくり

そのままを伝える。フェリスも目線で

彼女の話に合わせるように訴えた。


「わたくしに姉妹はおりませんが。」


『お付き合いしている方は、

あなたをいたく心配されておりまして。』


「わたくしに姉妹はおりませんが?」


『場合によっては、婚約前に関係を

解消したいと仰られております。

……噂によれば、大層酷い生活を

送っておられるとか?』


「姉妹はいねぇつってんだろ!」


 突如、その表情は得体の知れない

怪物へと変貌した。

 どこから出ているのかわからない罵声が

この異常さを訴えている。


「こどく。」


 フェリスがぽつりと呟いた。


『よく知ってたわね。チビ助。』


「?! そんなことより!」


 寺田ハルはお盆の下に隠していた

台所包丁を全身の力を込めて振りかぶる。

 フェリスは動じず、美女の背後へと回る。

 普通の人間ではただ横に移動した

ようにしか見えないだろう。


『あ、てめコノヤロウ。』


 包丁は美女へと飛ぶ。その包丁は

美女の身体を通り抜け

窓の横壁へと突き刺さる。

 フェリスは屈んで危機を回避していた。


『あー。くそ。ちょっと

当たっちったじゃん。』


「だいじょうぶでしょ?」


 フェリスは背負っていたカバンから

自分の背丈ほどはあろうかという

使い古したパペットをズルリと取り出す。

 人間でいう脳髄の部分に右手を突っ込むと

パペットの口は見た目とは裏腹な

禍々しさを放ちながら大きく開いた。


「いないづっでんだろがー!」


 床に転がっていた大きめの灰皿を

ひっつかみ、寺田ハルはフェリス達に

襲いかかる。


 フェリスは猫のようにしなやかに

しゅるりと大振りする右腕を抜け、

パペットの口で寺田ハルの右肩付近を

ガブリと噛み千切る。

 見えない陰がブチブチと引き裂かれた。


「う゛ぁあああああ!」


 身をよじり絶叫する寺田ハルは

ガンガンとローテーブルに顔を打ち付ける。

 テーブルが割れんばかりの勢いで

鼻や口から血が吹き出した。


「ろくが。」


 フェリスの言葉でキヨタカは反射的に

録画のスタートボタンを押す。


『あはっ!』


 そのとき、美女が突然に生気を帯びる。

今までが平面とすれば、

これはまるで立体映像だ。

 美麗が妖艶に、不気味が畏怖に、

不定形な存在が

まるで実体へと上位互換されたようだ。


「じねぇええええええ!」


 ありったけの狂気を孕み、

寺田ハルは赤髪の美女に飛びかかる。

 その顔面は血だらけで阿修羅そのものだ。


『いただきま~す。はい、ぐるぐるポン。』


 軽薄な声で美女が両手の人差し指を

くるくると回す。トンボを惑わすような

遊び調子でおふざけも混じっている。


 その指はいつの間にか

白蛇となって寺田ハルの頸もとに

噛み付いた。

 弾丸と見紛うほどの速さでズブリと

見えない肉の内側に入って行く。


「かっ………!」


 鬼の形相のまま寺田ハルは白蛇を

外そうともがくが、外れない。


 その隙を突いてフェリスが無言で

寺田ハルの左足を食いちぎる。

 パペットは可愛らしくも不気味に

その食いちぎったモノを

くちゃくちゃと咀嚼する。


「て、ださないで。あばずれおんな。」


『は? 何か言った? 愛玩チビ。』


 その口喧嘩の隙に、寺田ハルは

異常な俊敏さで美女に襲いかかる。


「……!」


 キヨタカの声よりも早く、

寺田ハルは赤髪の美女の喉笛に

ガブリと噛み付いた。


 意趣返しなどという

浮ついたものではない。

殺される前に殺すという明確な殺意を

持った攻撃だった。


『  』


 美女の声が消えた。


「ヒミコさんっ!」


「ばかっ!」


 フェリスの言葉は

キヨタカに向けられたものだった。


『……やっと呼んでくれたねえ?

おねーさん。そういう焦らすの

別に嫌いじゃないけどさぁ。』


 ヒミコと呼ばれた美女が

艶やかに威圧感を増す。

 喉笛にこびりつく寺田ハルの頭部を

みむきもせず、

変容した両腕で無造作に頭部を掴み

そのままくびり切る。

 美女の両腕はいつの間にか

虎のように逞しく毛羽立っていた。

 その音はぶぢぶぢと聞こえるほどに

生々しく、耳に残った。


「アアアアァァァ!」


 実際に捻って千切られたのは

寺田ハルとピッタリ重なっていた

陰のような部分で、寺田ハルには

見たところ外傷はない。


「グギィィィ!」


 しかし口角から泡を飛ばす姿からは

尋常ではない激痛や苦痛を感じさせる。


『赤ん坊が、

あたしに勝てるわけないでしょ。

まあ、あんたは結局、これだから

そうなってんでしょうけど。』


「やめて。」


 フェリスの言葉に耳を貸さず、

ヒミコは子供に語るように説明する。


『所詮、蟲毒こどくの成れの果て。

喰うことが生き様なんだから。

死に様は当然、喰われてお終いでしょ。』


 ヒミコの左手がカラスのような

嘴に変化する。

 そのついばみは寺田ハルの陰を

無慈悲に食いちぎっていく。


 ヒミコの右手が犬歯をむき出して、

大きく開いた。

 自失している寺田ハルは、

抵抗もせずその大顎を迎え入れる。


『いただきます。』


 そこで寺田ハルの悪夢は

一旦の幕引きとなった。


 複数台のパトカーに囲まれる中、

キヨタカは事情聴取された。

 もっとも、本格的なモノはまた

最寄りの警察署で行われるのだろう。


 キヨタカ達が来る前から、

この家では頻繁に

怒号が飛び交っていたらしく、

当日も破壊音が凄まじかったらしい。

 学校の友人として心配になって

訪れたというキヨタカの嘘は

すんなりと受け入れられた。


 現場検証の際、女性一人で

行ったにしては

あまりに異様な破壊痕に、捜査員は

目をまるくしていた。

 ちなみにフェリスは

日本語が不自由なフリ、

かつ泣く演技で女性警官の心を掌握し、

善意の被害者を装っていた。


 帰り道に夜の明かりの中、

眠ってしまったフェリスを背負いながら

キヨタカはフェリスの宿舎へと歩いた。


「あの……、結局、あれって、

どういうことだったんですか?」


『うん? 蟲毒のこと?』


 キヨタカはスマホで電話

する振りをしながら、

ヒミコと会話をしていた。


『あの子って、多分

姉妹の片割れだよ。』


「え?」


『目元のほくろ、それと

鼻筋がちょっと違う。』


 学生証のことを言っているのだと、

しばらくして気付いたが、

その指摘した項目は気付きもしなかった。


『古きよき呪法、ってやつ?

古今東西似たようなの一杯あるけどね。

チビ助が気づいたのもそういうこと。』


「えっと、となるともう一人の

本物? 本人は……?」


『この場合どっちが本物かは無意味だけど、

この辺りには居ないよ。』


 キヨタカはまるで分からずに、

次いでの質問も出てこない。


『蟲毒の造り方は簡単。

逃げられない場所に、

毒気を孕んだモノ同士を、

生き残るまで争わせる。

コレだけ。

蟲毒は過程じゃなくて結果を

求めた手法だからね。

それも偶発的なモノを

取り出すのが目的だから、

どんな化け物が出来上がるかは

そのときの運次第。

今回は面白かったねー。』


 ヒミコはケタケタと嗤う。



 後日談として、キヨタカとフェリスは

病院へのお見舞いに行くことになった。

 実家の母親から言われた通り、

フルーツの盛り合わせを持って行こうかと

考えたが、病院でナイフを取り出すのは

抵抗があり、お菓子の詰め合わせにした。


 ちなみに、ナイフで思い出したのは

寺田ハルの名前のことだ。

 あの学生証はカッターナイフで

名前の一部が削られていたらしい。


 病院でキヨタカ達を待っていたのは、

寺田ハルによく似た女性だった。


「この度はご迷惑をお掛けする事になり、

申し訳御座いませんでした。

寺田

申します。

妹のハルナが、お世話になりました。」


 礼儀正しい女性はそう名乗った。

キヨタカ達が出会った女性は

ハルナであり、双子の妹だと言う。


 最初は当たり障りのない

感謝の言葉に終始していたハルカだが、

二人があの家の惨状を

知っていることを踏まえ

ポツポツと過去を語り出した。


「私達の両親は、今で言う『毒親』でした。

まあ、それが分かったのは受験に落ちて

働きに出てからですけど。」


「うちの大学にですか?」


 ハルカが首を横に振る。


「いいえ、国立です。

北学には特待生枠で入れたから

あの人達が勝手に切り替えただけです。」


 学費が免除になる特待生枠は

言うまでもなく狭き門だ。


「覚えている限り、私達は常に競わされて

いました。それぐらい普通

とか言う人いますけど、

実際に家の中は殺し合いでしたよ。」


「……ハルカさんは、

いま社会人なんですか?」


「はい。住み込みで。

給料の半分があの人達に

差し押さえられてましたけどね。」


 不穏にも程があるワードだった。

あっけらかんと言うセリフではない。


「今回の事件は、多分私のせいです。

でも……ハルナが生きていたことが、

せめてもの救いです。

本当にありがとうございました。」


 キヨタカはそれ以上何も言えず、

つむじを見せながらお辞儀をする

ハルカに見送られ病院をあとにした。




「キヨ。そいつがはなしたいみたい。

うざいからなんとかして。」


 フェリスの言葉で、キヨタカは

鞄から取り出したハンディカムを起動する。


『大丈夫? キヨタカ。』


 柔和な笑みを浮かべるヒミコさん。

まるで子供をあやすような

猫なで声を出した。


「僕は、まあ。」


『辛いなら、止めてもいいんだよ?』


「いえ。大丈夫……です。」


『……そ。じゃあ、困ったら言ってね。

あたしがぜーんぶ何とかしてあげるから。』


 困った顔でキヨタカは苦笑いした。


「こまっているのは、あんたのせい。」


『だから、あたしが助けてあげる

って言ってるんじゃなーい。』


 フェリスの言葉もヒミコは

どこ吹く風だ。


「あの、ヒミコさん。」


『何?』


「……いえ、あの二人は

その、これからどうなるんでしょうか?」


『うーん。可もなく不可もなく?

今からならどうとでもなるよ。

大体、本人にとっての幸せな最期なんて

あるわけないと思うけどさー。』


「え?」


『死ぬ時大事なことなんて、

そのとき傍にいる誰かが、

幸せに死んだと思ってくれるかどうかだよ。

結局、死ぬなんて他の

生きているヤツの為だもの。

だからキヨタカ。私はあなたに

幸せになって欲しいな?

全部の邪魔はあたしが壊してあげるから。』


「だから、そういうところ。」


『わー、うるさーい。』


 いがみ合う二人を取りなす為にお出かけを

提案するキヨタカにヒミコは

要望を添えた。


『じゃあ、あたし観覧車に乗ってみたい。』


 ヒミコさんは無邪気に笑い、

あさっての方向を指差した。


『あ、そうそう、そういえば

探偵って響き面白そうだよね。

いっそのこと、本当にやってみる?』


「……考えときます。」


 この時、強く否定しなかったことを

キヨタカは後悔する事になった。

 が、それはまた別のお話。





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