2/7(火)時代を待ってる
石原慎太郎さんが亡くなられたということで、口が悪ぃ都知事というイメージしかなかったのだが、Twitterやニュースで故人がやってきた色々を見る限り私の中ではやっと古い価値観がひとつ無くなってくれたという気持ちになった。
人が亡くなるのは悲しい。
誰かにとっては大切な人だ。
だからこんなこと言うのはとても不謹慎かもしれない。
でも例えばだが、結婚したら一人前の大人……とか、女が家庭を守り男が働き一家を支える……とか、昔の暮らし方を今の人たちに押し付けてくるような真似をするご老人方がまだまだ現役にたくさんいらっしゃる。
新しい価値観のアップデートと、その人たちの言う常識とに板挟みになって自分をすり潰すようにして暮らしている人たちはまだまだ多い。
私もたぶん、その一人だ。
声優の卵だった若い頃、飲みの席では必ずお酌をさせられた。
同期の男の子は先輩の女優さんにお酌をして頂いているのに。
セクハラめいた言動にはうまく交わせ、逆に誰にも手を出されないような女がスターになれるか、頭を使え、知恵を絞れと教えられた。
(……まあ、それに関しては今ならちょっと頷ける点もありますが。それでもセクハラかっこ悪い、ダメ、ゼッタイ)
しかし今は無理に飲みの席に行く必要はないし、最初はウーロン茶から始めてもいい。好きな時間に帰っていい。セクハラを我慢しなくてもいい。
……のに、それを許さない古い常識に縛られた人はたくさんいる。
私は息をひそめるようにしてただただ待っている。
『常識』がひとつ、ひとつと、死に行ってくれるのを。
勢力を弱め消え去っていくのと、自分がすり減っていくのと、
どちらが早いかの我慢比べをしている。
酷いことを言っているのは分かっている。
でも「令和はコレです」と声高に言ってみせたところで、
ハイそうですかと人は変わらないし変える必要もないと思う。
常識を変えるということは世界が変わるということだ。ご老体には無理だ。
戦国時代の常識がなぜ今の時代にないのか。
その常識に生きる人が死に絶えたからだ。
石原さんの訃報に触れて、申し訳ないが自分が常にそんな気分でいるのを思い出してしまった。
そういえばここ最近、やっと少しだけ息がしやすくなってきた。
勝てない試合ではなくなってきた気がする。
私たちの世代でもっともっといらないもん捨てていけたらいいなと思う。
思うところは大いにあれど、ご冥福をお祈りいたします。
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