恋の兆し
重闘士の仲間の少女を治療しているハルカの前に現れたのは、見ただけでそうだとわかる獰猛な獣。ネコ科の
「グレートウルフェン、群のボスだ!」
スペリオルウルフェンをふたまわり大きくしたその姿は巨漢の彼が見上げるほど。
「エリオは……、あいつ殺られちまったのか?!」
慌てて盾を構える彼をその前足が叩いて森の中へ放り込む。魔獣の鋭い目は傷つき弱った少女とそれに寄り添うか弱き少女のふたりを捉え、間髪入れずに襲いかかった。
(もう少し警戒してよっ!)
常人ならばひと噛みで絶命する一撃。倒れる少女を置いて逃げるという選択肢はない。その身を挺して少女を守ろうとするハルカの心配は、噛まれても怪我ひとつしない自分の秘密を知られることだ。
重闘士の男性が森の茂みに突っ込み、少女は意識を失っている。一瞬に満たない時間でのためらいを済ませたその刹那、森の中から迫る別の気配を察知する。同時にハルカは最悪の事態に備えて迫る牙に左腕を伸ばすと、飛翔してきた斬撃がグレートウルフェンの横っ面を叩いた。
足をバタつかせながら転倒を回避した魔獣は、姿勢を低くして警戒の構えを取る。
森を飛び出しハルカの前に現れたのは、青味がかった短髪が似合う精悍な顔つきの青年。赤茶色の簡素な皮の部分鎧を着る体を揺らめく炎のようなオーラが包んでいる。その現象を起こしているのは、纏う鎧とはあきらかに違う高価な長剣によるものだろうとハルカは推測した。
彼は少しだけ顔をハルカに向け、横目で状況を確認する。
「レミを治療してくれているんだね。同じくらいの年齢の男の子は見なかった?」
「森の中です。止血だけはしました」
「そうか、ありがとう」
短文でのやり取りを終えた青年はグレートウルフェンへ意識を向けた。
戦闘モードの鋭い視線の表情に切り替えた彼からは、善性と優しく強い思いやりの心が伝わってくる。それは相手の感情や悪意などを感じ取る、アルティメットガールの能力だ。
彼が戦いに入る際にハルカに向けてわずかに上げた口角が、彼女の心の奥に刺激を与えた。その刺激が小さな波紋を広げ、ハルカの意識を刹那の時間途切れさせる。それは、これまで彼女が持ち得なかった感情が誕生する兆しだった。しかし、このときの彼女はそれがなんなのか気付いてはいない。
「危険です。逃げてください。その狼はあなたよりも強いわ」
昔のクセでそう忠告したハルカだったが、その忠告に対する青年の返答によって、心の奥で誕生したばかりのなにかがグッと膨らみ内側から胸を圧迫した。
「仲間を助けてくれた人を置いていけるものか。自分の目の届く範囲の出来事には目をそらさず、手の届く範囲には手を伸ばし、必要ならば力が及ばずとも全力で立ち向かう。これが俺の生き方だ」
その言葉が意味することに彼女は強い共感を覚えた。それは自分が心にかかげていた信念に似かよっていたから。そして……。
「ましてや君は女の子。男は女を守るもの」
ドッキン
この擬音は彼女の胸に響いた感覚だ。心拍もわずかに上がっている。戦闘中であるために状況判断に使われている脳も、心に沸き上がった不可解な感覚を理解するために並列処理をおこなっていた。
「仙術、グランファイス」
この言葉によって彼を包む炎は劫火へと変化する。
彼は大きく吸った空気を胸に溜めると同時に地を蹴った。振り回すその剣は炎の帯を引いてグレートウルフェンの体毛を焦がし肉を斬る。ひと太刀ごとに動き、魔獣の反撃をきわどく避けては飛び込んでいく。
魔獣の
彼が使った【
(闘気を闘気で抑え込むことでその反発力がより大きな力を生み出しているのね。でもそうとうな負担があるはず)
そういった思考の片隅で、彼がハルカに対して言ったいくつかの言葉が頭で何度も再生されていた。
(なんで彼の言葉がこんなに気になるの?)
その理由まではわからず、思考を戦いにも向けているため深くも考えない。
そんなハルカが見守る中で双方の血しぶきが舞い、その血を吸う地面が赤黒く染まっていく。だが、その割合は圧倒的にグレートウルフェンが上回り、魔獣の動きを鈍らせる。青年はその隙を見逃さなかった。
「ブレイズストリーム」
わずかな溜めが必要な闘技を練り上げ、振り下ろした剣がその闘技を発現させる。
青年が身にまとった劫火がさらに激しさを増し、前方に投げ出されて広がった炎の帯が数秒間グレートウルフェンを焼き上げた。
それなりの火耐性を持つ体毛に包まれたグレートウルフェンだったが、全身の傷と劫火に焼かれたことにより、グラリとその身を揺らして横転した。
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