第7話【問題用務員とおやつの時間】
居住区画は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
「えー……」
ユフィーリアは目の前に広がる居間を眺め、どういう反応をするべきか悩んだ。
開放的な台所はバーカウンターも備わっていて開放的な構造となっているのだが、何故か壁や床に薄黄色の液体が付着して大いに汚れていた。加えてコンロに置かれたフライパンからぷすぷすと黒い煙が上がり、食べ物の焦げる臭いが鼻を突く。
全体的に焦げついたフライパンを片手にコンロの前で立ち尽くすキクガは、死んだ魚のような目で焦げたフライパンを見据えていた。爆発音に驚いたのか、焦げてもなお調理の真っ最中なのか不明である。
居住区画の隅に設置された大きめの
この中で唯一、爆発音を聞いても驚かなかったのは昼寝中のハルアだろうか。元々は長椅子に寝かされていたらしいが、赤子になっても寝相の悪さが発揮されて毛布に包まれた状態で床に落ちていた。
じわじわとショウの赤い瞳に涙が溜まっていき、次の瞬間、火がついたように泣き始めた。
「びええええええええええええええええええ!!!!」
「あーあーあー、驚いたなショウ坊。大丈夫だぞー」
ボロボロと涙を流すショウを抱き上げるユフィーリアは、
「アイゼ、何があったか話してくれるか?」
「ショウちゃんがお腹減っちゃったみたいでネ♪ お昼寝から起きちゃったから、キクガさんがおやつを作るって言ってくれたのヨ♪」
「あー……」
なるほど、だから台所が大惨事なのか。薄黄色の液体は、簡単なケーキでも焼こうとしたのだろうか。
ユフィーリアは「ちょっとショウ坊を頼めるか」とアイゼルネにショウの面倒を任せ、台所の惨劇を作り出した張本人の元へ向かう。
焦げたフライパンを片手に未だ火を噴き続けるコンロの前で立ち尽くすキクガは、ユフィーリアの存在に気づいてゆっくりと振り返る。彼の赤い瞳に光は宿っておらず、どこかしょんぼりしているような雰囲気さえあった。
「ゆ、ユフィーリア君……」
「親父さん、まさかだけど料理できねえんだな?」
「恥ずかしながら、その通りだ……」
ガックリと肩を落とすキクガは、
「実は昔から料理だけ大の苦手でね、こうしていつも爆発が絶えない訳だが」
「調理に何で爆発が付き物なのかアタシが聞きてえよ。どうやったらそんな面白いことになるんだ?」
「私にも理解できない、もはや呪いの類と思っている」
料理の爆発が呪いの類へ行き着くのか理解できないが、とりあえずおやつを作るという任務は大失敗に終わった。さっさと掃除をしなければ生地が壁や床にこびりついて取れなくなってしまう。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた
焦げてしまったフライパンは、時空魔法をかけて元通りに再生する。時間が逆再生され、黒焦げで使い物にならなかったフライパンは新品同然にピカピカな状態となった。魔法の天才の手にかかれば、掃除や焦げたフライパンの対処など朝飯前だ。
「そういやもう3時か。腹も減る頃合いだわな」
壁に掲げられた時計を確認すると、3時を少し過ぎた時刻を示していた。
確かに子供なら小腹が空く頃合いだ。キクガが子供たちにおやつをこさえようと苦手な料理に挑戦したのも、気持ちは分からないでもない。
どのみち解除薬の調合は明日になる。白蓮の花は育成増進魔法で鋭意育成中なので、今日のところは彼らの面倒を見なければならない。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、
「親父さん、用務員室にエドがいるから『壺ごと持って居住区画まで来い』って呼びにいってきてくれ」
「それは構わないが、君は何をするのかね?」
「そりゃまあ、決まってんだろ」
清々しい笑みを浮かべたユフィーリアは、
「おやつ作りだよ」
☆
さて、おやつ作りだが何を作ろうか。
「フレンチトースト、ケーキ……あー、でも最近暖かくなってきたしなァ。今が旬の果物を使うか」
おやつの内容を考えながら、ユフィーリアは食糧保管庫の扉を開けた。
見上げるほど巨大な箱だが、内側に食べ物を冷やして保管する魔法陣が組まれた
大量の食材が詰め込まれた食糧保管庫を漁り、ユフィーリアが取り出したものはザルに盛られた苺だ。
「よいしょっと」
大粒で真っ赤な苺を手に取り、ユフィーリアはヘタの部分を咥える。それから風船を膨らませる要領で、息を吹き込んだ。
すると、それまで一般的な大きさの苺だったものが、息を吹き込まれたことにより膨らんでいったのだ。本当に風船のようである。
一抱えほどになるまで苺を膨らませると、ユフィーリアは苺の上部分を切り取る。それから大きめの
くり抜かれた苺の中身は鉄製の容器に移し替えられ、そこに牛乳と砂糖を加えて混ぜながら氷の魔法を行使。程よく冷えたところで、中身が抉り出された一抱えほどもある苺の中に戻した。風船のように膨らませた巨大な苺を、容器として活用したのだ。
「お化け苺の丸ごとシャーベットの完成っと」
ユフィーリアは苺のシャーベットを詰めた巨大苺を皿に乗せると、
「まずはアイゼからな」
「あら、いいのかしラ♪」
「ショウ坊をあやしてくれた功績を讃えてだ」
「嬉しいワ♪」
小さめの匙をユフィーリアから受け取ったアイゼルネは、早速とばかりに苺の中に詰め込まれた苺シャーベットを掬う。冷え冷えとした苺の氷菓を口に運び、小さくなってしまった
「風船のように膨らむ苺があるとは驚いた。珍しい品種な訳だが」
「あー、お化け苺は冥府にねえからな」
2個目のおやつを作りながら、ユフィーリアはキクガの言葉に応じる。
この苺は『お化け苺』と呼ばれる品種であり、ヘタから空気を送り込むと風船のように膨らむという特性を持っているのだ。その為、大きさも自由自在に変えることが出来る。
膨らませた分だけ容量も増える魔法植物の1種だが、気をつけなければならないのは送り込む空気の量だ。風船と同じように容量を超えて空気を送り込んでしまうと破裂してしまうので、欲張らないように注意しなければならない。
手際よく2個目の『お化け苺の丸ごとシャーベット』を完成させたユフィーリアは、
「ほい、親父さん。ショウ坊にも食わせてやってくれ」
「心得た」
2人分の匙を受け取ったキクガは、お化け苺の中に詰め込まれた苺シャーベットを掬い上げる。まずは自分ではなく、膝の上に座るショウの口元に運んだ。
小さなお口を懸命に開けて、匙に盛られた苺シャーベットに食らいつくショウ。冷たくて甘い、されど程よい酸味のあるシャーベットに「みゅー」とほっぺを押さえてご満悦の様子だ。
キクガも自分の匙で苺シャーベットを掬い、口に運ぶ。苺特有の仄かな酸味を残したシャーベットに、彼もまた顔を緩ませた。
「美味しいな」
「そりゃよかった」
3個目の『お化け苺の丸ごとシャーベット』を完成させ、今度はエドワードの前に置いた。彼の膝の上にはハルアがいて、琥珀色の瞳を爛々と輝かせて机から身を乗り出している。
「エド、全部は食うなよ。ちゃんとハルにも分けてやれ」
「俺ちゃんのことを何だと思ってるのよぉ」
「食いしん坊」
「そこまで食いしん坊じゃないもんねぇ」
不満そうに2人分の匙を受け取ったエドワードは、まずハルアに一口だけ食べさせてやる。エドワードから匙を奪い取らない勢いで匙に盛られた苺シャーベットに食らいつくハルアは、まるで肉食獣のように見えた。
あんまりにも勢いがあるので、エドワードが「ハルちゃん、垂れてるからぁ。ゆっくり食べなよぉ」と苦笑いしていた。何というか、取られないように必死という雰囲気があった。
自分のおやつは面倒なので作らず、ユフィーリアは魔法で人数分の紅茶を用意する。アイゼルネのように上手くはないが、ユフィーリアだって普通に紅茶ぐらい淹れられるのだ。
「ユフィーリア君はお菓子作りも上手なのだな」
「どうしたよ、親父さん。
唐突な称賛に首を傾げるユフィーリアに、キクガは「いや、何」と小さく笑いながら言う。
「これなら息子を安心して任せられるという訳だが」
「はいはい、息子さんは大切にお預かりしてるんで大丈夫だよ親父さん」
「おや、私は『夫婦として』という意味合いで言ったつもりなのだが」
「…………んん?」
何か話が飛躍しすぎていないか?
人数分の紅茶を淹れ終えたユフィーリアは、それぞれの前に置きながらキクガへ振り返る。
膝の上に乗せたショウに苺シャーベットを食べさせるキクガはまさに父親の優しげな表情を浮かべていたが、その朗らかな笑顔をユフィーリアにも向けてこう聞いた。
「それで、いつ結婚するのかね?」
「親父さん、気が早い」
ユフィーリアは首を横に振る。
ショウは15歳だ、それに交際を始めてからまだ1ヶ月程度しか時間が経過していない。
それなのに、そこから結婚の話はまだ早すぎる。もう少し段階を踏んでいきたいところだ。
その意見へ同調するかのように、エドワードとアイゼルネも「そうだよぉ」「そうネ♪」と頷いた。やはり持つべきものは理解のある部下だ。
「ユーリってば慣れているように見えるけどぉ、超がつくほど奥手なんだからぁ。まずは必要な段階を踏まないと結婚なんて出来ないよぉ、このヘタレはぁ」
「貞操観念も固いわヨ♪ そんな急ぎ足の交際なんて出来る訳ないじゃなイ♪ 意外とヘタレなんだかラ♪」
「ゥオイ、お前ら!! 好き勝手言い過ぎだろ!!」
前言撤回、コイツら状況を楽しんでやがる。さすが長年を問題児として連れ添った信頼に於ける部下たちである、コンチクショウ。
恨みがましげな視線を送るユフィーリアをよそに、エドワードとアイゼルネは「もう少し踏み込んだ方がいいよねぇ」「おねーさんたちが都合よくお出かけしてあげた方がいいのかしラ♪」などと話し合っていた。段階を進めさせる気満々である。
しかも話題を振った張本人であるキクガは愛息子のショウへ苺シャーベットをせっせと運び、赤子の状態になったショウは甘い苺シャーベットに夢中で話を全く聞いていない。元の姿に戻った時、覚えていないことを祈るばかりだ。
どうしてこうなった、とユフィーリアは紅茶を啜りながら密かに頭を抱えるのだった。
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