第5話【問題用務員と解除薬の材料】

「はい、これから解除薬を調合するのに必要な魔法植物を発表します」



 解除薬の調合に必要となる魔法植物を採取する為に、ユフィーリアとエドワードは植物園を訪れていた。


 ヴァラール魔法学院の植物園は、何も花宴を行う為の場所ではない。魔法薬学の授業で使われる魔法植物が栽培されている場所で、魔法薬に使用される魔法植物の大半はここで集まる。

 より高度な魔法薬を調合する際には植物園で栽培されている魔法薬だけで賄えないが、今回作るのは魔法薬の効果を解除する為の解除薬だ。魔法薬学の授業では最初に習う基礎的な魔法薬であり、植物園だけで材料は賄える。


 雪の結晶が刻まれた煙管キセルを咥えて仁王立ちするユフィーリアは、



「必要な材料は『アリオストロの花』『メジェドの実』『白蓮の花弁』『空華クウカの蜜』だ」


「意外と少ないねぇ」


「そう、意外と少ねえんだよな」



 解除薬は基礎的な魔法薬の1つなので使用する魔法植物も少なく、1年生でも簡単に作ることが出来るのだ。これを子供に変えた教職員27名、赤ん坊に変えた教職員3名、学院長、トドメに問題児ども全員分作らなければならない。

 ただ魔法薬は水で嵩増しが出来るので、何も人数分の魔法植物が必要になることはない。人数10名につき、材料がそれぞれ1つと考えれば妥当だ。


 そんな訳で、先程の魔法植物はそれぞれ4つほど必要になる。



「エド、お前はアリオストロの花とメジェドの実をそれぞれ4つ取ってこい」


「4つでいいのぉ?」


「さっきの魔法植物が1つずつで10人分の量が作れるからな。魔法薬ってのは水で嵩増かさまししても効果があるんだよ」



 エドワードは「ふぅん」と応じると、



「アリオストロの花ってのはどれなのぉ?」


「地面から生えてる奴」


「いやどれもそうでしょうよぉ」


「立て看板を見りゃ分かる。無理やり引き千切るなよ」


「引き千切るとどうなるのぉ?」



 首を傾げるエドワードに、ユフィーリアはさも当然とばかりの口調で告げた。



「花粉が舞う」


「それなら別にいいよぉ。俺ちゃん、花粉症じゃないもんねぇ」


「まあ聞け、エド。アリオストロの花の花粉だけどな」



 ユフィーリアは声を潜め、



「めっちゃくちゃ辛いんだよ」


「辛いのぉ?」


「唐辛子の100倍の辛さがあるんだと。だから無理やり引き千切ると、その辛味成分がたっぷり詰まった花粉が敵から身を守る為にパッと飛び散るんだ。顔面に唐辛子の粉を振りかけられたぐらいの衝撃がある」


「それって魔導書からの知識だよねぇ?」


「ンにゃ、実践」



 初めてアリオストロの花の花粉攻撃を食らった時が懐かしい。

 魔導書の記述で初めて存在を知ったのだが、どういうモンかと実践してみたらしばらく目と鼻と口が効かなくなった経緯がある。「うぼあああああああああ」と顔面を押さえて地面をもんどり打つあの時の衝撃は、今でも忘れられない。


 ユフィーリアはまだ魔女だから回復魔法を使えたのだが、エドワードは目と鼻が非常によろしいのだ。失明した上に鼻が利かなくなっても困る。



「本気で止めた方がいいぞ、エド。目と鼻が死ぬぞ。洗浄してもしばらく目が使えなかったんだから」


「ええー……何で実践しちゃうかなぁ、ユーリはぁ。分かったけどぉ」



 エドワードは「じゃあ鉈を借りてこなきゃねぇ」などと言って、植物園の隅に向かっていった。植物園の至る場所には道具箱が存在し、そこに魔法植物の採取に必要な道具がたくさん収納されているのだ。

 あれだけ脅しかければ、エドワードもユフィーリアの忠告を聞くだろう。まあ長年の付き合いがあり、用務員の中で最も信頼できる相棒のような存在だ。ユフィーリアの忠告を聞かない訳がないのだ。


 さて、ユフィーリアも魔法植物の採取である。『白蓮の花弁』と『空華クウカの蜜』だ。



「簡単でよかったな、本当に」



 ミントに似た香りのある煙を燻らせながら、ユフィーリアは植物園の奥地に向かう。


 これで難易度が高かったりすれば別の手段を考えたが、解除薬の調合が簡単でよかった。植物園はしっかり管理されているはずなので、魔法植物が枯れるということは万に一つもない。

 魔法薬学で使われる魔法植物ばかりなのだ。枯れるような場面があれば、植物園の管理人の怠慢が原因である。



 ☆



 ――と、思っていた時期がユフィーリアにもありました。まる。



「…………」



 ユフィーリアは目の前に広がる池を眺めていた。


 空華クウカの蜜は簡単に手に入った。『空華』と呼ばれる高い位置に花を咲かせる青くて小さな花があるのだが、水を与えれば蜜が垂れてくるのでそれを採取すればいいだけだ。

 高い硝子製の天井付近まで伸びていた空華まで浮遊魔法を使って飛び、水を与えて蜜を採取した。採取が上手くいってよかったとホクホク顔で白蓮の花弁を採取しに行ったらこれである。


 端的に言おう、池の水が汚れに汚れて白蓮の花が枯れていたのだ。



「…………」



 池には藻でビッシリと埋め尽くされ、ぷんと嫌な臭いが鼻を突く。本来なら綺麗に咲き誇っているはずの白い蓮の花は軒並み茶色く変化し、カサカサの状態で水の上を漂っていた。

 白蓮の花は綺麗な水辺に咲く魔法植物であり、水が汚染されてくると途端に枯れてしまう繊細な花だ。こまめな管理が必要であり、また栽培にもかなりの時間を要することから『綺麗な水を絶やしてはならない』という鉄則がある。


 だからこの魔法植物が枯れた原因は、植物園の管理人の怠慢によるものだ。



「爺さああああああああああああああああああん!!!!」


「ぬおおおお!?」



 ユフィーリアの怒りに満ちた絶叫を受けた影響か、近くの木から真っ白な九尾の狐が落ちてきた。頭に葉っぱを何枚かつけているが、決して変身したいから葉っぱを頭をつけている訳ではない。

 白衣と黒い袴が特徴の神主の装束に身を包み、ふさふさの真っ白な狐の尻尾が9本も生えている。赤い隈取りを施した狐の顔は神々しさはあれど、今は単に苛立ちしか浮かばない。


 ちょうど酒を飲んで程よく酔っ払い、木の上で眠っていたのだろう。近くに酒瓶が転がっているし、顔もほんのりと赤みが差している。



「な、何じゃぁ!? 敵襲か!? も、者共、出会え出会えーッ!!」


「おう爺さん、敵襲たァいい表現だな。氷漬けにしてやろうか」


「んむ?」



 トロンと眠たげな薄紅色の双眸を擦る白狐――植物園の管理人である八雲夕凪やくもゆうなぎは、胸倉を掴んできたユフィーリアを見上げて首を傾げる。



「はて、ゆり殿によぅく似ておる別嬪じゃのう」


「〈蒼氷の氷塊ゼルダ・フリーズ〉」


「イタッ、イダダダダダッ!? こ、細かい氷塊が降り注いできおるのじゃが!?」



 ふざけたことを抜かす白い狐に、ユフィーリアは細かな氷塊を雨の如く降らせた。地味な嫌がらせである。



「このクソジジイ、授業に使う花を枯らしてどうするんだよ!! 学院長から説教されんぞ!!」


「そうなったらゆり殿に責任をなすりつけるのじゃ」


「〈薄氷の白棘ガルラ・フリーズ〉」


「うおっほい!? 今度は氷柱が飛んできやがったぞい!?」



 ユフィーリアは氷柱を八雲夕凪の右目に突き刺そうとしたのだが、運悪く回避されてしまった。残念である。

 この狡猾なクソジジイは、まだ問題児であるユフィーリアを利用する気なのか。自分の責任をなすりつけてくる前に油揚げにでもしてしまった方がいいのではないだろうか、主に世の為に。


 こんなクソジジイが極東地域で豊穣神として祀られているのが謎である。狡猾なジジイに神として敬う部分など、どこにもない。怒れるショウのプレロス技10連発を食らった方がまだ面白みがある。



「何じゃい、ゆり殿。いつにも増して暴力的な……せっかくの別嬪が台無しじゃ」


「お前の毛皮ってあったかそうだよな。これからの時期に必要なくなるだろうから毟り取ってやるよ、今ここで」


「儂の毛皮が狙われておる!? い、いつにも増して苛立っておるのぅ、対話の余地がないわい。儂は悲しいのじゃぁ……」



 ヨヨヨ、と白衣の袖で顔を覆い、さめざめと泣く八雲夕凪。白蓮の花を枯らした罪は泣いたって消えないのだ。


 ユフィーリアは八雲夕凪の胸倉を掴むと、彼の頬に雪の結晶が刻まれた煙管の先端をぐーりぐーりと押し当てた。

 苛立ちも最高潮に達しているのだ。責任を逃れようとする狡猾なクソジジイ狐に対してもまともに会話をしてやるだけありがたいと思ってほしいものである。可能なら9本の尻尾を全て刈り取った上で、極東地域で待つこのクソジジイの嫁さんに熨斗のしをつけて叩き返したいところだ。



「おう爺さん、白蓮の花を枯らしたことに対する言い訳は? 5文字以内に済ませろ」


「済まんかった」


「1文字過ぎてんだろうがクソ狐ェ!!」



 ユフィーリアは絶叫して八雲夕凪の頭頂部で揺れる狐耳を鷲掴みにし、



「どうすんだよこれ!! これから解除薬を調合しなきゃいけねえってのに、全部枯れてたら意味ねえだろうがよォ!!」


「な、何故に解除薬が必要なんじゃい」


「アタシの自業自得だボケェ!!」


「逆ギレ!?」



 八雲夕凪は「わ、分かったわい」とユフィーリアの腕を振り払うと、



「直せばええんじゃろ、直せば。はーあ、野蛮な問題児はこれだから好かんのう」



 深々とため息を吐いた八雲夕凪は、いそいそと汚れた池に歩み寄る。それからポンと手を叩いて「ほーれ、戻れ戻れ」などと雑に呼びかけた。

 だが枯れた白蓮の花は戻らない。それどころか汚れた池すらも戻らない。藻がビッシリと浮かんだ汚れた水を湛え、茶色くなってしまったカサカサの花が浮かんでいるだけだ。


 八雲夕凪は「はて?」と首を傾げ、



「おかしいのう、池の状態が戻らんわい」


「爺さん、知ってるか? 壊れたものじゃねえと修繕魔法って適用されねえんだわ」



 ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、八雲夕凪の背後にそっと立つ。


 建物や設備が壊れた時に使われる修繕魔法は、壊れたと見做された場合にのみ適用されるのだ。硝子が割れたり、校舎の壁が崩れたり、照明器具が天井から外れたり、それこそ校舎が全壊した時が該当する。

 しかし、現在の池の状態は壊されたとは呼べない。あくまで汚れているだけであり、これでは修繕魔法は適用されないのだ。池を復活させるには清掃魔法を用いて水の入れ替えを行なったり、藻を燃やして片付けたりと様々な工程が必要になってくる。


 それなら時間を戻す時空魔法ならどうだろうか?

 あれはかなり難易度が高い魔法なので扱いは難しいが、池の状態だけなら元に戻せるだろう。ただし魔法植物である白蓮の花には時空魔法が適用されず、綺麗な池に戻っても枯れてしまった魔法植物は帰ってこない。魔法植物なので生物として認定され、蘇らせるには死者蘇生魔法ネクロマンシーが必要だ。


 ところがどっこい、死者蘇生魔法は人間に対して適用される魔法なので枯れてしまった魔法植物にかけても意味がないのだ。

 しかも死者蘇生魔法は踏む手順が多く、冥府に申請などもしなければならないので入念な準備が必要になる。今すぐ使える訳ではないのだ、残念ながら。


 結論から言って、白蓮の花を元に戻す方法は皆無。種に育成増進魔法でもかけて、成長を待つ他はない。



「くたばれクソジジイイイイイイイ!!」


「ぎゃあああああああああああああ!!」



 ユフィーリアは汚れた池の中に八雲夕凪を突き落としてやる。藻だらけの池はかなり汚れているようで、八雲夕凪は浅い池だというのに何度も足を滑らせて顔面から池に飛び込むことを繰り返していた。


 枯れているのだったら仕方がない、種を探して育成増進魔法で成長させるしかない。白蓮の花の育て方は頭の中に入っているので、1輪だけなら用務員室でも育てることが出来るだろう。

 八雲夕凪の「た、たす、助けてくれ、助けてくれぇ」という救助要請を華麗に無視して、ユフィーリアはそろそろ魔法植物の採取を終えているだろうエドワードの元へ向かうのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る