第4話【副学院長と怖いメイドさん】

「…………」



 ヴァラール魔法学院が副学院長、スカイ・エルクラシスは目の前に広がる光景に唖然としていた。


 四季折々の花を咲かせる魔法植物たちは見るも無惨に氷漬けにされたり燃やされたり、花壇はひっくり返って舗装された小道は黒焦げになっている。これで硝子製の天井まで割れていたら大惨事と呼べた。

 原因は分かっている。ヴァラール魔法学院の植物園が誇る雪桜の下で、賑やかな花宴はなうたげをやっていただろう問題児と何故か全裸で地面に寝転がるヴァラール魔法学院の学院長だ。


 多分、学院長は被害者だろう。そうだと信じたいスカイである。



「あ、あのー……ショウ君?」


「はい」



 酒精アルコールが全身に回って心地よい眠りについてしまった酔っ払いどもに囲まれ、可愛らしい猫耳を生やした可憐な女装メイド少年――アズマ・ショウにスカイはおずおずと声をかける。


 自分の上司である銀髪碧眼の魔女に膝枕をし、彼はにこやかな笑顔で応じた。とても綺麗な笑みである。惚れ惚れしてしまうほどだ。

 ただし、泥酔した馬鹿野郎どもが揃って寝落ちした中で片付ける訳でもなく、ただ銀髪碧眼の魔女の頭を優しく撫で続けるのには何か意味があるのだろうか。もう彼が色々と手を回したとしか思えない景色なのだ。



「聞いてもいいッスかね」


「どうぞ」



 質問を許されたことで密かに安堵するスカイは、



「何でグローリアは全裸で転がっているんスかね?」



 最初に生徒からの通報を受け、植物園に駆けつけたのは学院長であるグローリアだ。彼が一向に戻ってこないのでいつまで説教を続けているのかと様子を見に来た途端に全裸で寝転がっている始末である。

 さすがに学院長の風上にも置けない恥の晒しっぷりで、スカイは頭痛を覚えたものだ。自分の衣服が消失したにも関わらず眠りこけているし、彼の近くには酒瓶が転がっていたので、問題児の誰かに苦手とする酒を飲まされたか。


 ショウは花壇に頭を突っ込んで眠るグローリアを一瞥すると、



「俺が燃やしました」


「え?」


「俺が燃やしました、学院長の衣服を」



 華やぐような笑みを見せるショウは、



「だって学院長、ユフィーリアを傷つけようとするんですよ。許せませんよね」


「いやー……あのー……」


「許せませんよね?」



 清々しい笑顔を浮かべるショウに、スカイはそこはかとない恐怖を覚えた。


 言葉の端々まで圧を感じるのだ。

 相手に肯定を強要するような容赦のない重圧を言葉だけでかけてくるこの女装メイド少年に、まさか名門学校と名高いヴァラール魔法学院の副学院長が敵わないとはあるだろうか。今まさにここがそうだ。


 口元を引き攣らせるスカイは、



「ちょっとショウ君もやりすぎって言えばやりすぎなんじゃ」


「副学院長」



 ショウはスッと音もなく右腕を持ち上げた。


 紅蓮の炎が出現したと思えば、彼の近くに召喚されたのは歪んだ白い三日月――冥砲めいほうルナ・フェルノである。三日月の前方には複雑な魔法陣まで出現し、燃え盛る炎が矢として束ねられている。

 ギチギチギチと嫌な音を立てて、冥王の裁きと名高い魔弓が引き絞られる。このにこやかな女装メイドさんが合図を出せば、スカイもめでたくグローリアと同じ恥晒しの末路を辿ることになる。


 懸命に最悪の状況を回避しようと頭を回転させるスカイに、ショウは先程と同じ言葉を繰り返した。



「ゆ る せ ま せ ん よ ね?」



 ――あ、これは本当にまずい奴ッス。


 スカイは自分の無力さを実感した。

 同時に悟った、アズマ・ショウという少年のユフィーリアに対する執着っぷりを。彼にとってユフィーリア・エイクトベルという存在が誰よりも正しく、誰よりも信じるに値する人物だと思っているのだ。反論しようものなら武力行使で黙らせられる。


 副学院長のスカイはゆっくりとその場に膝をつき、静かに土下座を決行させた。



「その通りッス」


「では学院長を早々に持ち帰ってください。起きたユフィーリアに変なブツを見せたくないので」


「さすがに学院の長を変なブツ呼ばわりはちょっと」


「何か言いました?」



 ギチ、と音がした。


 まだ引っ込めていなかった冥砲めいほうルナ・フェルノへ、さらに炎の矢が追加であてがわれる。2本まとめてぶち込まれようものなら、スカイも全裸にひん剥かれるどころの話ではない。

 スカイは即座に全裸で寝転がるグローリアに転移魔法をかけ、とりあえず学院長室の隣に併設された彼自身の部屋に突っ込んでおく。聡明な彼のことだ、起きたら着替えるだろう。


 全裸のグローリアが回収されたことで、ショウはようやく冥砲ルナ・フェルノを消した。命の脅威は去ったようだ。



「副学院長もお酒を飲んで行かれますか?」


「ボクはいいッスわ、酒飲めないんスよね」


「そうですか。それは残念です」



 ショウはそっと微笑み、



「学院長ともどもスキャンダルのネタとして文芸雑誌に売れるかと思ったのですが」


「ショウ君、アンタだいぶユフィーリアたちに毒されてきたッスね?」


「お褒めに預かり光栄です」



 問題行動で言えばユフィーリアたちの方が多いのだが、悪質さで言えば新人のショウの方が桁違いだろう。おそらく、彼はユフィーリアに危険を及ぼす人間を見れば徹底的に排除しようと動く。

 ユフィーリアは、アズマ・ショウという少年にとっての唯一神だ。心酔する彼女が白と言えば、たとえ黒だろうと白に塗り替える思考回路の持ち主だ。


 これ以上、彼と会話していて地雷を踏むことになっても困る。スカイは「じゃあ、後片付けをしっかりやるんスよ」と告げてその場から逃げるように立ち去った。



「…………ボクのことは敵じゃないって言っとかないとッスね」



 問題児と称されていても、ヴァラール魔法学院に在籍する用務員は誰も彼も非常に優秀だ。彼らに敵として認定されれば、まず間違いなく消されるどころの話ではなくなってくる。


 スカイは安全策を探しながら、植物園を急いで立ち去った。

 午後の授業では、植物園を使う授業を取り止めるように通達しなければならない。



 ☆



「あ、ユフィーリア」


「ンだよ、副学院長」



 花宴はなうたげによる泥酔騒動が起きてから次の日、どこか不機嫌そうに廊下を1人で歩くユフィーリアをスカイは呼び止める。


 基本的に全員での行動を良しとする問題児が、単独行動をするとは珍しいものだ。

 特にあのユフィーリアを唯一神のように崇拝する女装メイド少年――アズマ・ショウが側にいないのは、本当に珍しいという以外に言葉が見つからない。どこか影で見ているのではないか、と思わず彼の姿を探してしまった。


 スカイの行動を不審に思ったユフィーリアは、怪訝な表情で「副学院長?」と問いかける。



「何かあったかよ、副学院長。今日は変だぞ」


「えー、あー、いつもは全員揃って行動する問題児が1人でいるのは珍しいなと思ってッスね」


「あー」



 ユフィーリアは納得したように頷き、



「実はジャンケンに負けてな、全員分の飲み物を買いに購買へ行く羽目になって」


「今日も楽しそうなことをやってるッスね」


「誰かが行くのは別に……いやよくねえな、ショウ坊とアイゼルネを単独で校内を歩かせる訳にはいかねえからな。うん、負けたのがアタシでよかったのか」



 何かを悩むように首を捻るユフィーリアに、スカイは「そういえば」と話題を変える。



「ショウ君はどうッスか? 冥砲めいほうルナ・フェルノに適合して、何か不都合とかないッスか?」


「ねえよ。今日も元気にハルと一緒に空を爆走してる」


「完全に使いこなしてる様子で何よりッスわ」


「何か箒に乗った女子生徒たちを3人ぐらいいたらしいけど」


「何してんスか?」



 そこまで出来るぐらいなら改造される前の持ち主だった月の女神システィが嫉妬するほど、彼は冥砲めいほうルナ・フェルノを使いこなしているようだ。そもそも右腕を持ち上げただけで冥砲ルナ・フェルノが呼応するのだから、相性がいいと言うべきだろう。

 植物園での光景が、スカイの脳裏をよぎった。彼は冥砲ルナ・フェルノの適合者になるべくしてなったのかもしれない。


 スカイは「あとそれとッスね」と言葉を続け、



「ユフィーリアは大丈夫ッスか? 何か変わったこととか」


「は? 何だよ急に、気持ち悪いな」


「部下の体調変化を気遣うのも上司の務めッスよ。ボクはほら、副学院長なんで」



 警戒心を抱くユフィーリアに笑顔で対応するスカイは、



「で? どうッスか?」


「別に何とも」


「不満とかは?」


「特に」


「…………そッスか」


「何か回答が不満げだな? お前の求めてる回答は何だよ一体」



 雪の結晶が刻まれた煙管を咥えて不機嫌そうに応じるユフィーリアに、スカイはもう素直にぶっちゃけることにした。



「ショウ君とユフィーリアの関係性なんスけど」


「いいだろ、可愛い恋人なんだよ」


「え?」


「可愛い恋人なんだっての」



 あっけらかんと言い放つユフィーリア。


 なるほど、とスカイは納得した。

 ショウのあの有無を言わせない態度は、部下だからという理由ではなく恋人だからか。それは確かに傷つけられようとしたら怒るし、全裸にひん剥くだろう。スカイも多分そうする。


 彼は――ショウは一途にユフィーリアを愛しているだけなのだ。少しばかりその愛情は過激だろうが。



「ユフィーリア、可愛い恋人は大事にするんスよ」


「当たり前だろそんなの」


「恋人が出来た記念にボクが飲み物を奢るッスよ」


「マジか、じゃあ1番高い『黒猫シェイク』を全員分な!!」


「はいはいッス」



 一気に上機嫌となったユフィーリアに購買部へ連行されながら、スカイは密かに「ユフィーリアに恋人が出来るとか珍しいッスね」などと思うのだった。



「ところでユフィーリア、ボクお勧めの本があるんスけど是非読んでほしいッス」


「珍しいな、副学院長。どんなの? 魔導書?」


「んにゃ、一般文芸書で小説なんスけど。とりあえずこれとこれとこれ、ボクの私物なんで絶対に返してくださいッスよ。じゃねえと用務員室まで押しかけに行くッスから」


「えーと『私だけを見て、マスター』と『愛しているわご主人様、もう離さない』と『足枷の侍女』……お前これ、全部メイドさんが足枷と首輪を常備してる表紙じゃねえか。何かメイドさんの表情がおかしくない? 目がおかしくない?」


「これが正常ッスよ。大丈夫、ユフィーリア。絶対に刺さるから」


「何に? 読んだら背後から刺されるとかあるの!?」



 一途な気持ちに理解力のある副学院長は、とても素敵な笑みで問題児筆頭に自分の性癖を押し付けたという。

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