第3話【異世界少年と酔っ払いども】

「困った」



 目の前に広がる光景に、ショウは困惑していた。


 八雲夕凪やくもゆうなぎが酒を携えて緊急参戦し、花宴はなうたげは飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎと化した。元の世界でも泥酔した花見客が、他の花見客と揉める騒動を何度か見かけたことがある。酒は人間の隠された本性を暴く秘密兵器なのだ。

 それは現在も例外ではない。ショウにはよく分からない高級な酒の数々は、ユフィーリアたちの隠された本性を暴いてしまった。



「あーはははははははははは!!」



 高級な大吟醸酒の瓶を抱えて、赤い絨毯の上で寝転がる銀髪の魔女が高らかな笑い声を響かせる。寝ながら酒を飲むという行儀の悪いことをしているが、誰も彼女の行動を咎めることはない。

 煌めく銀髪が赤い絨毯に散らばり、その上に雪桜の花弁が落ちる。何と幻想的な光景だが、泥酔状態によるぶっ壊れた笑い声が全てをぶち壊していた。


 硝子杯に水筒から水を注ぎ入れたショウは、寝転がりながら酒を飲むユフィーリアの顔を覗き込んだ。



「ユフィーリア、水は飲めるか?」


「水ぅ?」



 酒精アルコールによってやや据わり気味な青い瞳でショウを見上げ、ユフィーリアは首を傾げた。



「もう飲んでるぅ」


「それは身体に悪い水だから、少し落ち着く為に健康的な水を飲もう」


「ショウ坊が言うならぁ」



 目元を擦りながら起き上がるユフィーリアは、ショウが差し出した硝子杯グラスを受け取る。その中を満たす冷たい水をチビチビと傾け、



「んーぅ、味がない……」


「水だから仕方がない」


「水……」



 硝子杯グラスの水を半分ほど飲んだところで、ユフィーリアが「もういい」と硝子杯を突き返してくる。



「味がないのはもうやだ」


「なら少し眠るか? 膝を貸そう」



 硝子杯グラスの中身を代わりに全て飲み干して、ショウは正座をする。ポンと自分の太腿を叩けば、ユフィーリアが大人しく頭を乗せてきた。

 綺麗な銀髪に絡まる雪桜の花弁を取りながら、やや乱れてしまった銀髪を手櫛てぐしで整える。頭を撫でられる感覚が心地よいのか、ユフィーリアは「んふふー」と楽しそうに口元を緩ませた。


 すり、と髪を撫でるショウの手のひらに頰を寄せたユフィーリアは、



「わ、凄え綺麗」


「ん?」


「ショウ坊の後ろ、雪桜が満開だ」



 ふにゃりと微笑んだユフィーリアは、



「綺麗だなァ……」



 それは酔っ払いの戯言か、彼女自身の本音か。

 しみじみと呟いたユフィーリアは、そっと瞳を閉じた。ややあって規則正しい寝息が、桜色の唇から漏れる。


 ああ、本当に彼女はああいう台詞を恥ずかしげもなく言うのだから。


 頬に集中する熱を覚ます為に、ショウは騒がしくなる周囲を見渡した。

 先程まで酒瓶を抱えながら大爆笑していたユフィーリアが寝落ちした今、騒ぎに騒いでいるのは残り4名ほど。約1名はユフィーリアより前に寝落ちしているので除外とする。



「うええー、何で俺ちゃんは初対面で怖がられるのぉ。俺ちゃんだって初対面の女の子と楽しくお喋りがしたいのにぃ」



 高級火酒の瓶を抱えながら、エドワードがメソメソと泣きじゃくる。

 どうやら彼は泣き上戸になる様子だった。銀灰色ぎんかいしょくの瞳から透明な涙をボロボロと零し、大きな体格を目一杯に縮めて女々しく泣きながら誰も聞いちゃいない愚痴を吐く。


 あの愚痴を素面の状態である彼に伝えたら恥ずかしがるだろうか、それともあれはエドワードの本音ではないのだろうか。その部分がとても気になる。



「開☆放☆感!!」



 ユフィーリアたちが泥酔したのに乗じて酒に手を出してしまったハルアが、華麗な脱衣をショウの目の前で披露した。

 それはもう魔法と言わんばかりの素早い脱衣だった。衣嚢ポケットだらけの黒いつなぎを勢いよく脱ぎ捨て、下着1枚のみという変態的な格好で雪桜の周囲を走り回る。何かに束縛された開放感を味わいたかったのだろうか、それともハルアには普段から下着1枚になって走り回りたいという願望が潜んでいるのだろうか。


 脱衣系の酔い方をしているのは、ハルアだけではなかった。



「おねーさんも脱ぐワ♪」


「アイゼルネさんは止めておいた方がいいです。身体を冷やしますよ」



 露出の高いドレスを脱ぎ捨てようとするアイゼルネを炎腕えんわんに制してもらい、ショウは彼女の脱衣を強制終了させた。そうしなければ、多分良からぬものがショウの目の前に晒される羽目になった。

 いくら恋人がいて、思考回路はユフィーリアだけになろうとも、ショウだって健全な男の子である。異性の素っ裸は恥ずかしいのだ。


 脱衣を強制終了させられたアイゼルネは、つまらなさそうに唇を尖らせるも新たな葡萄酒ワインの瓶を差し出せば機嫌が治った。嬉しそうに紫色の液体を硝子杯グラスに注ぎ入れ、遠慮なく飲み干していく。



「すー、すぴー……」



 ショウのすぐ側では、酒瓶を抱えながら猫のように丸まって眠る父のキクガがいた。どうやら酔っ払うと眠くなってしまう体質のようで、意外と早く限界が訪れて寝落ちしてしまったのだ。

 脱衣をやらかそうとした連中2名とメソメソと泣き続ける強面の巨漢と比べれば、だいぶマシな酔い方である。ただ、父のはっちゃけた姿が見れなくて残念だ。


 父親の睡眠を阻害しないように酒瓶を抜き取ったショウは、何か布ようなものはないかと周囲を見渡す。ちょうどいいものがなかった。



「うははははははは!! そぉれ、じゃんじゃん酒を注ぐぞぉ。飲むのじゃ飲むのじゃーッ!!」


「…………」



 自前らしい巨大な酒盃へ大吟醸酒を注ぎ込み、豪快に飲み干す白い九尾の狐をショウはジト目で睨みつけた。

 原因は間違いなくこの狐である。彼が参加さえしなければ、ユフィーリアたちもここまでトチ狂うことはなかった。


 ショウのジト目を受けた白い狐――八雲夕凪やくもゆうなぎは「はて?」と首を傾げ、



「別嬪さんが怖い顔をして睨んでおるわい」


「原因は貴方だと思うのですが」


「はて? 花宴はなうたげには酒が付き物じゃろ。儂のせいにするでない」



 八雲夕凪は楽しそうにコロコロと笑うので、ショウは炎腕でまたロメロスペシャルの刑に処してやろうかと画策する。



「――これは何の騒ぎ?」



 その時、楽しい花宴はなうたげの場に絶対零度の声が落ちた。


 あ、とショウは周囲の変化に気づく。

 泥酔状態に陥った問題児たちや父親、そして純白の狐以外にも目を向けるべきだった。彼らが酔っ払うと同時に、花宴を楽しんでいた他の生徒たちは姿を消していた。


 代わりにやってきたのが、阿修羅像の幻覚を背負って仁王立ちをする青年である。



「が、学院長……」



 ショウは口元を引き攣らせた。


 艶やかな黒髪と色鮮やかな紫色の瞳が特徴の青年――学院長のグローリア・イーストエンドがそこにいたのだ。

 朗らかな笑みを浮かべた彼は、そっと右手を掲げる。白い革表紙をした立派な魔導書が召喚され、



「酔ってるなら多少はきついお仕置きをしてもいいよね?」



 まずい、非常にまずい。


 朗らかな笑みを浮かべてはいるが、多分あれは日頃の鬱憤を晴らそうとしているものだ。直感で何となく理解した。

 ユフィーリアたちに被害が出るのも困る。ショウは炎腕でグローリアの邪魔をしようとするが、



「うるせえなァ、グローリア」


「あ」



 ショウの膝で寝ていたユフィーリアが起き上がり、近くにあった中身の残った状態の酒瓶を引っ掴む。



「酒を飲むのがダメならお前も共犯だ、ほら飲め」


「ガボゴボッ!?」



 グローリアの口に酒瓶を突っ込むと、中身をひっくり返して学院長の口の中に注ぎ入れた。


 ごぼぼ、という水に溺れたような声がグローリアの喉奥から聞こえてくる。

 魔法による暴力を受ける前に、酔っ払いたちによる酒の洗礼を受けてしまった。しかも一気に酒瓶の半分以上を飲まされて、酔わないはずがない。


 案の定と言うべきか、酒精アルコールは学院長の隠された素顔まで曝け出してしまった。



「このクソアバズレがぁ!!」



 口の中に突き刺さっていた酒瓶を抜き取り、グローリアは手にした酒瓶を投げ捨てる。

 パァン、と容易く割れる酒瓶。綺麗な硝子の破片が散らばってしまう。


 据わった目つきのグローリアはユフィーリアの胸倉を掴み、



「ひっく、うあー。おいこらぁ、このアバズレがよぉ。毎日毎日こっちに迷惑をかけやがってよぉ、挙句の果てにちゃんと謝らねえでよぉ!!」


「あ゛? 誰の胸倉を掴んでんだ、このもやし野郎が!!」



 ユフィーリアの右拳がグローリアの鼻っ面を的確に射抜いた。


 酔っているからか、そこまでの力は出ずに学院長は数歩ほどよろけただけに留まる。

 ぶん殴られた鼻っ面を押さえ、グローリアはユフィーリアを睨みつけた。それから魔導書を振り上げると、



「殴ってんじゃねえ!!」


「げぶぅッ」



 ユフィーリアの脳天に魔導書の角を叩き落とした。


 互いに1発ずつ貰ったことで、喧嘩の火蓋が切って落とされたらしい。

 カァンという鐘の音が鳴ったような幻聴を聞いた。多分、鳴っていない。


 雪の結晶が刻まれた煙管を握りしめるユフィーリアは、



「〈絶氷の棘山イルゼ・フリーズ〉!!」


「氷の魔法なんか効く訳ねえだろ!!」



 グローリアの足元から突き出た氷の棘山が、炎の魔法によって容赦なく溶かされる。

 氷の魔法の余波と炎の魔法の余波が、他の魔法植物にも影響を及ぼした。綺麗な花は凍りつき、または紅蓮の炎に包まれて消し炭となる。植物から悲鳴も聞こえた。


 さらに魔女と魔法使いによる衝突は続く。



「〈薄氷の白棘ガルラ・フリーズ〉!!」


「〈燃えて爆ぜよ〉!!」


「〈蒼氷の塊ゼルダ・フリーズ〉!!」


「〈熱で溶けろ〉!!」


「あー、クソが。〈大凍結イ・フリーズ〉!!」


「残念。〈燃え尽きろ〉!!」



 ユフィーリアの放つ氷の魔法はことごとくグローリアの炎の魔法によって防がれ、魔法の余波が徐々に広がっていく。

 植物は凍りつき、消し炭となり、土が捲れ上がって、氷柱があちこちに突き刺さる。美しい植物園は、あっという間に阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。


 完全に置いてけぼり状態となったショウは、ゆっくりと立ち上がる。


 彼には、この喧嘩を鎮めることが出来る手札を持っていた。

 簡単なことである。片方はあっという間に鎮められる。



「ユフィーリア」



 ショウは愛しい恋人の名前を呼んで、両腕を広げる。



「おいで」



 即座に喧嘩を中断したユフィーリアは、蛙跳びでショウに突っ込んでくる。正面衝突を果たすかと思えば、彼女はショウの華奢な身体をぎゅうと強く抱きしめた。

 ショウもまたユフィーリアを抱きしめ返す。ややひんやりとした身体には、氷の魔法を連続で使った弊害が蓄積されていた。


 大切な恋人を強く抱きしめるショウは、



「――ユフィーリアを傷つける奴は、誰であろうと許さない」



 ふわり、とショウの足が地面から少しだけ離れる。


 それは、彼が獲得した常軌を逸した武器が召喚される合図だ。

 紅蓮の炎が虚空に出現し、歪な三日月の形を取る。煌々と輝く白い三日月に寄り添うショウは、標的であるグローリアを真っ直ぐに見据えた。



冥砲めいほうルナ・フェルノ」



 ショウの呼び声に応じるかの如く、歪な三日月がギチギチと音を立てる。


 三日月の前には複雑な魔法陣が出現し、紅蓮の炎を束ねて矢と化す。

 冥府の空すら射抜くと言われる神造兵器レジェンダリィの中でも指折りの威力を兼ね備えた魔弓が、主人の命令に従って解き放たれた。



「放て」



 冥砲めいほうルナ・フェルノから放たれた炎はグローリアの全身を包み込み、衣服だけを消し炭にしたのだった。

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