第3話【問題用務員と冥府の穴】

 目の前を火の玉が飛んでいった。



「……………………えー?」



 ユフィーリアの思考回路が誤反応でも起こしたのか、と思ってしまった。


 目の前を魔法による火の玉が飛んでいき、追いかけるようにして風の刃が飛んでいった。直後に現場を駆け回る獄卒の悲鳴が、幾重にもなって毒々しい赤色の空に響き渡る。

 冥府は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。本来であれば魔法を封じられ、獄卒たちに暴力を振るわれて激痛を叩き込まれている罪人たちが、一斉に反旗を翻して獄卒たちを攻撃しているのだ。特に魔女や魔法使いの罪人として冥府の刑場に閉じ込められた奴らは、水を得た魚のように魔法で獄卒たちを蹂躙する。


 それが異様な光景と言えた。

 何故なら、冥府にいる時は魔法が使えないのだ。



「何でこんな地獄みたいな光景に」


「ここは地獄だが?」


「そうだけど、そうじゃねえ」



 ユフィーリアの隣でしれっとそんなことを言うキクガは、ツイと指先を空に向けた。



「見たまえ、あれが原因だ」



 彼の示した方向にあったのは、巨大な穴だ。


 鮮血を想起させる冥府の空に、途方もなく大きな穴が開いているのだ。穴の先は深淵がどこまでも続き、地上には出れずにどこか別の世界へ落ちるような不思議な感覚になる。

 誰があの風穴を開けたのか、容易に想像できた。やはり神造兵器レジェンダリィ――神々の為に誂えられた武器は、冥府の空に穴まで開けることが出来るのか。もはや神々しか扱えない魔法『大魔法』みたいではないか。


 全員揃ってポカーンと空の穴を見上げる問題児たちは、



「アタシらでもあんなのはやらねえよな?」


「出来ないねぇ、常識的に考えて」


「出来ないね!! 出来たら凄いよ!!」


「出来ないわヨ♪ 魔力がいくらあっても足りないワ♪」


「だよなァ」



 数々の問題行動をしてきた自覚はあるが、さすがに天空へ風穴を開けるような真似はしたことがない。というか、やりたくても出来ない。規模が大きすぎるので、説教どころではなくなってしまう。



冥砲めいほうルナ・フェルノが冥府の空に穴を開けた影響で、冥府全体を覆っていた魔法封印の結界が解除されてしまった訳だが」


「親父さん、意外と落ち着いてるな」


「落ち着いてる? 私がかね?」



 赤い空に開いた巨大な穴を見上げるキクガは、冷静沈着な態度を指摘されて即座に否定する。



「これでも焦っている訳だが」


「焦ってる風には見えねえんだよなァ」


「焦っているとも、前代未聞のことだからな」



 すると、どこからか「補佐官殿!!」という悲鳴じみた声を聞いた。

 声の主はキクガと同じように錆びた十字架を首から下げた、鳥の形をした仮面を装着した獄卒である。長身痩躯である部分と声の低さから察して男性であると判断できた。


 死神が命を刈り取る際に用いられる鎌を担いだその獄卒は、



「罪人たちが冥宮殿めいきゅうでんへ押し寄せようとしています!!」


「目的は?」


「来世の選定です!!」



 獄卒の報告を受け、キクガが深々とため息を吐いた。「傲慢な人間どもはこれだから……」などと文句も聞こえる。



「親父さん、悪いんだけど『来世の選定』ってのが分からねえんだわ。出来れば説明してくれる?」


「ああ、すまないな。話を聞かれていたか」


「この至近距離で話を聞いていませんでしたってのは無理があるんだわ」



 ユフィーリアの挙手による質問を受けて、キクガは「そうだな」と説明の言葉を選ぶ。



「君たちは死んだ時、次の人生が今より良いものだったらいいなと思ったことはあるかね? 例えば食うに困らないほどの金持ちの家に生まれたいとか、誰もが羨むような才能を得て周りからちやほやされたいとか」


「ねえな」


「ないねぇ」


「ないよ!!」


「ないワ♪」


「そうか」



 問題児たちによる一斉の否定の言葉に、キクガは「そうだろうな」と納得していた。


 そもそも、ユフィーリアたち問題児は享楽主義者である。やりたいことを好きなだけやるし、やりたくないことは梃子で動かされようとやらない。

 今が1番楽しい彼らに、来世の人生がより良いものだったらと考える暇などないのだ。来世のことを考える余裕があるなら、学院長に仕掛ける悪戯や嫌がらせの1つでも考えている。



「ところが一般人は君たちと一緒ではない。彼らはより良い人生を求めるのだ」


「つまり?」


「来世の選定は、彼らの来世を決める為の作業だ。彼らがより豊かな人生を、より裕福な人生を送れるように望む身勝手な我儘だ」



 簡単に言ってしまえば、本来なら決められない来世の人生を自分たちの望むままに設定してやろうという作業が『来世の選定』となる。

 この作業を請け負うのは冥府を牛耳る冥王ザァトと、その右腕たる第一補佐官のみだ。反旗を翻した罪人たちは、自分の人生を薔薇色にする為に冥宮殿めいきゅうでんへ押し寄せているのか。


 ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管でキクガを示し、



「じゃあ、親父さんがここにいたらまずくねえか?」


「あ」



 キクガが「それもそうか」と自身に危険が迫っている可能性を悟った瞬間だ。



「〈爆ぜて燃えよ〉!!」


「〈炎よ爆ぜろ〉!!」


「〈爆発せよ〉!!」



 多岐に渡る爆破魔法が3度も放たれた。


 ユフィーリアは胡乱げに放たれた爆破魔法を見やり、唖然と立ち尽くすキクガを抱き寄せると雪の結晶が刻まれた煙管を突きつける。

 星の数ほど存在する魔法を手足の如く自在に操る魔法の大天才を相手に、爆破魔法などという陳腐な魔法で挑むのがおかしいのだ。



「〈氷雪の壁デルタ・フリーズ〉」



 真冬にも似た空気が、冥府に降りる。


 爆破魔法が襲いかかるより先に、ユフィーリアが展開した氷の魔法がエドワードたちとキクガ、それと異常事態を知らせに来た獄卒を守るように展開された。

 パキパキと音を立てて作られたのは、分厚い氷の壁だ。爆破魔法と相性が悪いのは目に見えて分かっているが、残念ながら爆破魔法程度では壊れもしない丈夫な壁なのだ。


 分厚い氷の壁の向こう側で炎の揺らぎと爆発音が耳を劈き、衝撃が地面から伝わってくる。だがそれだけだ。氷の壁は割れもしないし、溶けることもなかった。



「おーいおい、初手で爆破魔法を仕掛けてくるとか下品にも程があるだろうがよ」



 氷の壁を解除しながら、ユフィーリアは爆破魔法を放ってきた戦犯どもへ視線をやる。


 思った以上に数がいた。

 獄卒から奪っただろう槍や鎌などの武器を携えた一般人に守られるようにして、魔法使いや魔女の罪人の姿が確認できる。爆破魔法を放ったのは彼らで間違いなさそうだ。「どうして氷の魔法で防げる!?」「聞いたことないわ!!」などと狼狽えていた。



「お前らもアレか? 来世の人生を薔薇色にする為に、魔法が使えるこの隙を狙って反旗を翻したっていう阿呆なことしてんのか?」


「お、お前に何が分かる!!」


「あ?」



 反旗を翻す罪人たちからの非難の視線を受け、ユフィーリアは眉根を寄せた。



「アンタに何が分かるんだよ!!」


「邪魔をするな!!」


「こっちは必死なんだよ。来世はもっといい人生にするんだ!!」


「俺たちだって幸せになったっていいだろうが!!」



 罪人たちの非難は、第一補佐官襲撃を邪魔したユフィーリアに向けられる。


 精神が弱くて、心優しい魔女から「ごめんなさい」と謝っていただろう。

 だが、ここにいるのはユフィーリア・エイクトベルだ。身内には世界で1番優しい魔女でいられる彼女だが、身内でも何でもない連中に優しくしてやる義理などないのだ。


 そもそも、ユフィーリアは急いでいる。彼らの我儘に付き合っている暇などないほどに。



「うるせえなァ」



 底冷えのするような青い瞳で反旗を翻した愚かな罪人たちを見据え、ユフィーリアは驚くほど平坦な声で言う。



「お前らのような奴らの来世なんてタカが知れてんだよ。それよりもちゃんと反省しろよ、ここは冥府だぞ。反省もしないで我儘だけ言いたい放題って、どれだけ面の皮が厚いんだ?」



 雪の結晶が刻まれた煙管キセルを咥えるユフィーリアは、



「それよりもこっちは急いでんだよ。可愛い新人をとっとと助ける為に冥府を出なきゃいけねえってのに、お前らの我儘に付き合ってられるか!!」



 真冬にも似た空気が、今度は冥府全体を支配する。


 異変を察知したのは魔法使いと魔女の罪人だった。

 さすがに魔法関連の勉強はしているようだ。ユフィーリアがこれから何をしようとしているのか理解して逃げようとするが、もう遅いのだ。



「〈大凍結イ・フリーズ〉!!」



 パキン、と。


 第一補佐官襲撃を目論んでいた罪人たちが、一斉に凍りついた。

 無様な氷像と成り果てた罪人たちを睨みつけ、銀髪の魔女は「ふん」とつまらなさそうに鼻を鳴らす。あれだけ立派な啖呵を切ったにも関わらず、防衛魔法で防ぐ真似もしないで魔法を受けるのは笑える。


 ユフィーリアはエドワードとハルアへ視線をやり、



「おい、アイツらぶっ壊してこい。2度と来世に期待なんてさせんじゃねえ」


「はいよぉ」


「分かった!!」



 ゴキゴキ、ボキボキと指の骨や首の骨を鳴らすエドワードとハルアは、不格好な氷像となってしまった罪人たちの首を次々ともいでいく。

 まるで果実の収穫かと言わんばかりの手際の良さだった。首と胴体が離れてしまった罪人たちは何も言えず、その場で棒立ちの状態である。事態の収束を図って追いついた獄卒たちも、当然だがキクガも、ユフィーリアの命令とエドワードとハルアの行動を唖然と見ていた。


 ユフィーリアの青い瞳がさらに騒がしさを増す冥宮殿めいきゅうでんの方角に向けられ、



冥宮殿めいきゅうでんがまずいんだっけ?」


「そうだな。冥王ザァト様の身が危ない」


「よし分かった」



 ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、



「正面突破するか」


「君、それは危険が過ぎるのでは?」


「何でだよ」


「此方は数十人程度の襲撃で済んだが、冥宮殿へ向かった方は此方の何十倍の勢力だ。魔女や魔法使いの罪人も、きっと冥宮殿へ向かった方が多くいるはずだ」


「うん、だから?」



 冥宮殿めいきゅうでんへの正面突破を止めさせようとするキクガに、ユフィーリアはキョトンとした表情で言う。



「全員2度殺せばよくない?」


「君、そんな短絡的な思考回路だったかね?」


「こっちは早く地上に帰りたいんだよな。手段なんか選んでられるか、まとめてぶっ殺してやる」



 可愛い新人であるショウが絡むと思考回路が短絡的になってしまうユフィーリアだった。



「お前らァ!! 冥宮殿めいきゅうでんへカチコミに行くぞオラ!!」


「はいよぉ」


「分かった!!」


「素敵ネ♪」


「エドはアイゼと親父さんを担げ、アタシとハルは走るぞ!!」


「走んの大好き!!」



 ついに罪人のもいだ首をボールの代わりにして遊び始めたハルアが、凍りついた首を遠くに蹴飛ばして駆け回る。準備は万端の様子だった。



「あ、そこの獄卒は? どうする? 冥宮殿めいきゅうでんに行くならアタシかハルが担ぐけど」


「ひゃッ!?」



 鳥の形をした仮面の獄卒にも冥宮殿へ向かうかお伺いを立てたところ、相手から何故か凄い勢いで首を横に振られた。そこまで怖いことはしていないと思う。


 ユフィーリアは「そう? じゃあ自分の足でついてこいよ」と言う。もう来る前提で物事を語っている。

 キクガをエドワードに押し付けて、雪の結晶が刻まれた煙管を咥えた銀髪の魔女は、



「じゃお先」


「お先!!」


「走るよぉ、捕まっててねぇ」


「わーイ♪」


「早わばばばばばばばばばば!?」



 自分の身体能力を余すところなく使用して、冥宮殿めいきゅうでんへ向かって駆け出した。


 残された獄卒は、強制連行された自分の上司たるキクガへ静かに合掌するのだった。

 遠くの方で問題児の奇声と第一補佐官の絶叫が轟いたとか、いないとか。

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